全部、先生が教えて。
静けさが訪れる。
ドキドキして落ち着かない私は、呟くように言葉を発した。
「ねぇ先生。教えて下さい…」
「…なに?」
心拍数は最高潮。
震える体を抑え、小声で言葉を継いだ。
「行波先生と居ると、心拍数が上がって、ドキドキして、胸が苦しい。先生のこと、興味無いって思えば思うほど…先生のことが気になります」
「今だって、他の人が先生に抱きついているのを見て、凄く嫌な気持ちになりました。…何ですか、これ。経験したことの無い感情に、苦しさを覚えます…」
目を見開き、ジッと私を見つめる行波先生。
「…行波先生。この感情は何? 教えて…責任を持って教えて下さい…!」
自分からこんな言葉が出てくることに驚いた。
それと同時に、何故か涙が滲んで視界がぼやけ始める。
「……秦野」
先生は強く唇を噛みしめ、そのまま私を抱きしめた。
「秦野、それが…恋かもしれない…」
…恋。
恋って、何だろう。
喜び、怒り、哀しみ、楽しみ。
色々な感情があるけれど、恋をするって…どういう感情のことを言うのだろう……。
ずっとそれが分からなくて。
だけど、興味も関心も無くて。
知らなくても良いとまで思っていた、その感情。
「…先生に恋なんて。馬鹿馬鹿しいよ…」
行波先生は抱きしめていた腕を緩め、少しだけ離れた。
そして私の両手を握って、優しい眼差しでこちらを見る。
「俺は、嬉しいよ」
「…俺が選ぶ新刊を、楽しみにしてくれている本の虫。最初こそ、そんな風に思っていた」
「毎回、楽しそうに新刊を見てさ。全部読んでくれて、感想も言ってくれて。…次第に、秦野自身に興味が出てきた」
「…相方、部活で全然来られなくて…嬉しかったよ。気付いたらいつの間にか、秦野と2人で過ごす日々が…俺の楽しみになっていたんだ」
先生の言葉に、ポロポロと涙が零れる。
何で涙が零れているのかも、自分のことなのに全く意味が分からない。
行波先生はモテる。
ただ、図書室で一緒に過ごす時間が多かったから好きになったと錯覚しているだけ。
…なんだか、そう思いたくて
「…先生は、モテます。だから私なんか…」
勇気を出して言葉を絞り出したのに…
「私なんか、じゃない。俺は、秦野が良いんだ」
一瞬で、蹴散らされた。
「モテることと俺の感情はイコールじゃないんだよ…」
そう言いながら、また私を優しく抱きしめる。
先生の体が温かくて、溢れる涙が止まらない。
「…ねぇ、秦野。『恋愛ごっこ』終わりにしても良い?」
「………」
私も、密かに望んでいたこと。
キスされることを期待していた…どうしようも無い私。
だから、先生の問いには…比較的簡単に返答ができた。
「…はい」
「……そうか」
行波先生はそっと、私の頬に左手を添えた。
その親指で優しく唇を撫でる。
「…後悔、しない?」
「………はい。しません」
頷いた私の顔を見て、優しく微笑む先生。
そっと顔を近づけてきて…ゆっくりと唇を重ねた。
「……」
柔らかい、先生の唇。
初めての感覚に、心臓が飛び跳ねる。
「秦野…好き」
「…はい」
「はい、じゃなくて。俺も…聞きたい」
さっき認めたばかりの、この感情の名前。
その言葉を出すのに…少しだけ躊躇った。
「…秦野」
勇気を振り絞って、言葉を吐き出す。
「……わ、私も。好きです…行波先生…」
段々と消えていく声。
それでも、行波先生にしっかりと届いたみたい。
「これから、沢山のことを…秦野に教える」
「…はい。全部、私の知らないことは全部…先生が教えて下さい…」
岩の上に置いたままのお弁当。
そんなこと、もうすっかり忘れていた。
“初めて”だらけの時間。
私の初恋物語は、高校2年生にて幕を開けた。
何も知らない私は、行波先生と共に。
どんな小説にもない、2人だけの物語をこれから紡いでいく…。
全部、先生が教えて。 終