処刑回避したい生き残り聖女、侍女としてひっそり生きるはずが最恐王の溺愛が始まりました
 足音がすぐ近くまで近づいてくる。跳ね上げ扉の存在に気づかれたら終わりだ。アメリは息を止めて、時が過ぎるのを待つ。

「見てきたぞ、誰もいないようだな」
「早いな。ちゃんと見たのか?」

 別の男の声に、その男は奥まで踏み入るのをやめて戻っていく。

「どうやら、どの部屋も貯蔵庫になっているようだ。後でまた来よう」

 やがて、足音が遠ざかっていく。アメリの背中は冷や汗でびっしょり濡れていた。

(もう、いいかしら)
《見てくる。待っていて》

 フローがパペットから離れて、ふよふよと飛んでいく。

(あれ、他の人には見えないのかな……)

 おそらくは見えていないのだろう。アメリだって、子供の頃は見えなかったのだ。

(まさか、フローが精霊だったなんて……。母様も……巫女姫だなんて知らなかったよ)

 不意に、昔の情景が脳裏に浮かんでくる。
いつもベッドの上にいた母は、お砂糖みたいな甘い声で、フローを動かしていたっけ。

「……あれ」

 気が付けば、頬を涙が伝っていた。

(おかしいな。死んだって聞いた時だって、泣かなかったのに)

 手で涙をぬぐいながら、アメリは自分がやっと母の死を受け入れたことに気づいた。

「そっか。フローと会ったから」

 母はパペットのフローを大事にしていた。それがここに捨て置かれていたということは、間違いなく、母はもうこの世にはいないのだ。

「……母様」

 ──だから、こんなにも悲しいんだ。

《アンリエッタ、大丈夫そうだよ……って、泣いてるの? そんなに怖かった?》
「フロー」
《大丈夫だよ。僕、秘密の通路を知っているんだ。ちゃんと逃げられるから》
「うん」

 アメリは涙をぬぐって、狭い入り口から再びはい出した。ポケットにパペットを入れ、先を行く光について行く。

《ここだよ。古井戸って言われているけど、実は浅くて下に地下道が走っている》
「そんなものが……」
《この城を最初に作ったときにつくられていた避難経路だよ。街に出られるんだ》

 恐る恐る、アメリは井戸に飛び込む。着地には失敗して尻もちをついたが、身長に少し足したくらいの深さで、怪我をするほどまでではなかった。
 暗く湿った地下道を通り、アメリは無事、城下町の一角に逃げられたのだ。
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