七日間の入れ替わり令嬢 ~ワガママ美女の代わりにお見合いします~
エピローグ
「おいノア! これ表に持ってけって言っといただろうが!」
「すみません、すぐやります!」
朝からアニーの父の怒声が飛び、ノアがそれに答える。この光景は、もはや見慣れたものだ。アニーの母は微笑ましそうに見守り、アニーは頭を押さえた。
オズボーン男爵家を辞職したノアは、結局アニーの家に世話になることになった。ノアは何も考えていなかったのかといえば、そうでもなかった。アニーは小切手を破ったが、それとは別にノアは退職金を手にしていたのだ。考えてみれば当然だ。無一文で追い出すようなことはしないだろう。
それはノアが暫く家を借り、生活を送るのに十分な金額だった。その間に仕事を探すこともできただろう。ただノアは、純粋にアニーと早く一緒に暮らしたい、と思ってくれていただけだった。
とはいえ、アニーにはパン屋の仕事がある。ノアと別に家を借りたとして、パン屋の仕事のためには早朝から家を出ていかなければならない。夜も早く眠ってしまう。生活リズムがずれていると、一緒に暮らすのは難しいのではないか。そう主張するアニーに、「なら俺もパン屋で働く」と言って譲らなかった。家も職場も違うのでは、そうそう会えないから、と。
結局、最初にノアが言ったとおり、両親に挨拶することになった。
頭を下げるノアに、母は諸手を上げて喜んだ。嫁にいけないと思っていた娘の貰い手が見つかったことに、心底安心した様子だった。
父は暫くむっつりと黙って、頭をがしがしとかいた。
「うちはな、代々このパン屋を継いできたんだ。アニーは一人娘だ。だからこいつには、店を継がせるつもりでいる」
「はい。承知しております」
「だから嫁には出さん」
父の言葉に、ノアは手をぐっと握りしめた。
「てめぇが婿にこい。それ以外は許さん」
ふん、と息を吐く父に、ノアは一瞬呆けたあと、力強く答えた。
「はい」
そして二人ともパン屋で働くなら住居も一緒でいいだろう、と今はアニーの部屋に二人で住んでいる。
いずれは移れるようにと、既に増築の工事が進んでいる。二世帯住宅にするらしい。ノア一人増えるだけなら増築まで必要だろうか、とアニーは進言したのだが。
「バカお前、子どもができたら必要な部屋は増えてくだろうが」
父の言葉にアニーは赤面した。子ども。考えてもいなかったが、いずれ、持つことになるのだろうか。
それは置いておくにしても、いつまでも父母と部屋が近いのは何かと気まずい。移れるのなら、それに越したことはない。
着々と外堀が埋まっていく、と思いながらも、アニーはそれが嫌ではなかった。そんな自分に、うっすらと微笑んだ。
一日の労働を終え、ベッドに倒れ込む。この瞬間が一番生きている心地がする、とアニーは枕に顔をすりつけた。
アニーの部屋にもう一つベッドを入れるには狭く、かといってノアを床に寝かせるわけにもいかない。ベッドだけは、急場しのぎだがサイズの大きいものに変えた。
そう。つまり、ノアとアニーは一緒のベッドで寝ている。
これはアニーには難易度が高かった。何せ今まで異性とお付き合いしたことがない。正直同じ部屋で暮らすのだってまだ早いと思っていた。しかしその辺りはノアが心得ており、今のところ健全なお付き合いをしている。アニーのペースに合わせてくれているのだろう。
「もう寝るか?」
ぎし、とベッドが軋んで、顔を上げる。着替えたノアが、ベッドに腰掛けていた。
「うん。今日は、疲れたしね」
「そうか。おやすみ」
額にキスを一つ落として、ノアは明かりを落とした。
このキスは照れくさいのだが、ノアは毎晩のルーティーンにしている。アニーに自信を持たせたいのだろう。もう今更、ノアの気持ちを疑ってはいないのだが。
甘えるように、アニーはノアにすり寄った。甘えても許される存在なのだと、ようやく思えてきた。
「……お義父さんが」
「……うん?」
「子どもは、いつ頃にするのかと」
まどろんでいた意識が急激に浮上した。何故娘より先に婿の方にそれを言うのか。というか寝ると言ったのに何故今その話題を出した。
「今すぐできても、生まれる頃には工事は終わっているから心配いらないと」
「……父が、すみません」
「いや、謝るようなことじゃないんだが」
ノアは少し言い淀んで、話を続けた。
「アニーは、子どものことをどう考えているのかと思って」
「え……」
「君は子どものことを口にしたことがなかっただろう。もしかして……欲しくない可能性も、あるんじゃないかと」
どうしてそうなったのだろう。不安そうなノアの目を見つめると、疑問に気づいたのか、理由を口にした。
「アニーはずっと、容姿にコンプレックスがあっただろう。俺も、普通の見た目じゃない。どちらに似たとしても、子どもは多分……容姿に悩むことになる」
合点がいった。アニーもノアも、容姿が人と異なる辛さを知っている。だから、子どもにそれが受け継がれることに不安を感じているのだ。
アニーはノアをぎゅっと抱きしめた。
「私は、ノアとの子どもは欲しいと思ってる」
ノアが意外そうに息を呑んだ。
「確かに、私に似ちゃったらどうしよう……って気持ちはある。そうなったら、私は自分の子どもに可愛いって言えないんじゃないかって。愛せなかったらどうしようって、不安はあるよ」
自分のことが大嫌いだったのに。もし、自分とそっくりな娘なら。可愛いよ、なんて言葉は軽々しく言えない。それが嘘だと、誰より自分がわかっているから。
「でも、ノアが一緒だから」
微笑んで、アニーはノアの頬を撫でた。
「私に似た子どもなら、ノアが可愛いって言ってくれる。ノアに似た子どもなら、私がかっこいいって言う。悩み続けた私たちだから、言えることもあると思う。二人一緒なら、きっと大丈夫」
アニーの答えに、ノアは少しだけ泣きそうな顔をして微笑んだ。
こつりと額を合わせて、目を閉じる。大丈夫。根拠のないそんな言葉を、二人なら信じられる。
頬をすり寄せて、ノアのキスが降ってくる。額に、瞼に、耳に、頬に。少しくすぐったいそれを受け止めていると、唇が重なった。唇へのキスはまだ慣れない。緊張して固くなった体を宥めるように、ノアの手が優しく触れる。
ただその手がいつもと違う気がして、勘違いかもしれない、と思いながらも、アニーは強くノアの胸を押した。気づいたノアが唇を離す。
「あの、い、一応言っておくんだけど」
「……ああ」
「子どもつくるのは、その、部屋移ってから……ね?」
念を押すように見上げると、ノアは大層不満げな顔をしていた。
「俺は、結構、我慢をしてきたと思うんだが」
「ご、ごめん」
「やっとお許しが出たのかと」
「話題振ったのそっちじゃない! それとこれとは別でしょ」
赤い顔をしながら小声で抗議するアニーに、ノアは眉を寄せながらも深く息を吐いて表情を緩めた。
「わかった。おとなしく寝る。おやすみ」
「……おやすみ」
最後にキスを一つだけ落として、ノアは目を閉じた。
アニーも目を閉じるが、心臓がうるさくて寝られない。ノアが自分を女性として見てくれていることはわかっているつもりだったが、いざとなると、本当に自分で良いのかと思ってしまう。
顔だけでなく、アニーは体にも全く自信がない。正直見られたくない。幻滅されたら生きていけない。
これはまたひと悶着ありそうだ、とアニーはそっと息を吐いた。
これから何度も、こうしてぶつかったり、不安になったり、そういうことを繰り返していくのだろう。
繰り返し、繰り返し。
やがて、家族になる。
「すみません、すぐやります!」
朝からアニーの父の怒声が飛び、ノアがそれに答える。この光景は、もはや見慣れたものだ。アニーの母は微笑ましそうに見守り、アニーは頭を押さえた。
オズボーン男爵家を辞職したノアは、結局アニーの家に世話になることになった。ノアは何も考えていなかったのかといえば、そうでもなかった。アニーは小切手を破ったが、それとは別にノアは退職金を手にしていたのだ。考えてみれば当然だ。無一文で追い出すようなことはしないだろう。
それはノアが暫く家を借り、生活を送るのに十分な金額だった。その間に仕事を探すこともできただろう。ただノアは、純粋にアニーと早く一緒に暮らしたい、と思ってくれていただけだった。
とはいえ、アニーにはパン屋の仕事がある。ノアと別に家を借りたとして、パン屋の仕事のためには早朝から家を出ていかなければならない。夜も早く眠ってしまう。生活リズムがずれていると、一緒に暮らすのは難しいのではないか。そう主張するアニーに、「なら俺もパン屋で働く」と言って譲らなかった。家も職場も違うのでは、そうそう会えないから、と。
結局、最初にノアが言ったとおり、両親に挨拶することになった。
頭を下げるノアに、母は諸手を上げて喜んだ。嫁にいけないと思っていた娘の貰い手が見つかったことに、心底安心した様子だった。
父は暫くむっつりと黙って、頭をがしがしとかいた。
「うちはな、代々このパン屋を継いできたんだ。アニーは一人娘だ。だからこいつには、店を継がせるつもりでいる」
「はい。承知しております」
「だから嫁には出さん」
父の言葉に、ノアは手をぐっと握りしめた。
「てめぇが婿にこい。それ以外は許さん」
ふん、と息を吐く父に、ノアは一瞬呆けたあと、力強く答えた。
「はい」
そして二人ともパン屋で働くなら住居も一緒でいいだろう、と今はアニーの部屋に二人で住んでいる。
いずれは移れるようにと、既に増築の工事が進んでいる。二世帯住宅にするらしい。ノア一人増えるだけなら増築まで必要だろうか、とアニーは進言したのだが。
「バカお前、子どもができたら必要な部屋は増えてくだろうが」
父の言葉にアニーは赤面した。子ども。考えてもいなかったが、いずれ、持つことになるのだろうか。
それは置いておくにしても、いつまでも父母と部屋が近いのは何かと気まずい。移れるのなら、それに越したことはない。
着々と外堀が埋まっていく、と思いながらも、アニーはそれが嫌ではなかった。そんな自分に、うっすらと微笑んだ。
一日の労働を終え、ベッドに倒れ込む。この瞬間が一番生きている心地がする、とアニーは枕に顔をすりつけた。
アニーの部屋にもう一つベッドを入れるには狭く、かといってノアを床に寝かせるわけにもいかない。ベッドだけは、急場しのぎだがサイズの大きいものに変えた。
そう。つまり、ノアとアニーは一緒のベッドで寝ている。
これはアニーには難易度が高かった。何せ今まで異性とお付き合いしたことがない。正直同じ部屋で暮らすのだってまだ早いと思っていた。しかしその辺りはノアが心得ており、今のところ健全なお付き合いをしている。アニーのペースに合わせてくれているのだろう。
「もう寝るか?」
ぎし、とベッドが軋んで、顔を上げる。着替えたノアが、ベッドに腰掛けていた。
「うん。今日は、疲れたしね」
「そうか。おやすみ」
額にキスを一つ落として、ノアは明かりを落とした。
このキスは照れくさいのだが、ノアは毎晩のルーティーンにしている。アニーに自信を持たせたいのだろう。もう今更、ノアの気持ちを疑ってはいないのだが。
甘えるように、アニーはノアにすり寄った。甘えても許される存在なのだと、ようやく思えてきた。
「……お義父さんが」
「……うん?」
「子どもは、いつ頃にするのかと」
まどろんでいた意識が急激に浮上した。何故娘より先に婿の方にそれを言うのか。というか寝ると言ったのに何故今その話題を出した。
「今すぐできても、生まれる頃には工事は終わっているから心配いらないと」
「……父が、すみません」
「いや、謝るようなことじゃないんだが」
ノアは少し言い淀んで、話を続けた。
「アニーは、子どものことをどう考えているのかと思って」
「え……」
「君は子どものことを口にしたことがなかっただろう。もしかして……欲しくない可能性も、あるんじゃないかと」
どうしてそうなったのだろう。不安そうなノアの目を見つめると、疑問に気づいたのか、理由を口にした。
「アニーはずっと、容姿にコンプレックスがあっただろう。俺も、普通の見た目じゃない。どちらに似たとしても、子どもは多分……容姿に悩むことになる」
合点がいった。アニーもノアも、容姿が人と異なる辛さを知っている。だから、子どもにそれが受け継がれることに不安を感じているのだ。
アニーはノアをぎゅっと抱きしめた。
「私は、ノアとの子どもは欲しいと思ってる」
ノアが意外そうに息を呑んだ。
「確かに、私に似ちゃったらどうしよう……って気持ちはある。そうなったら、私は自分の子どもに可愛いって言えないんじゃないかって。愛せなかったらどうしようって、不安はあるよ」
自分のことが大嫌いだったのに。もし、自分とそっくりな娘なら。可愛いよ、なんて言葉は軽々しく言えない。それが嘘だと、誰より自分がわかっているから。
「でも、ノアが一緒だから」
微笑んで、アニーはノアの頬を撫でた。
「私に似た子どもなら、ノアが可愛いって言ってくれる。ノアに似た子どもなら、私がかっこいいって言う。悩み続けた私たちだから、言えることもあると思う。二人一緒なら、きっと大丈夫」
アニーの答えに、ノアは少しだけ泣きそうな顔をして微笑んだ。
こつりと額を合わせて、目を閉じる。大丈夫。根拠のないそんな言葉を、二人なら信じられる。
頬をすり寄せて、ノアのキスが降ってくる。額に、瞼に、耳に、頬に。少しくすぐったいそれを受け止めていると、唇が重なった。唇へのキスはまだ慣れない。緊張して固くなった体を宥めるように、ノアの手が優しく触れる。
ただその手がいつもと違う気がして、勘違いかもしれない、と思いながらも、アニーは強くノアの胸を押した。気づいたノアが唇を離す。
「あの、い、一応言っておくんだけど」
「……ああ」
「子どもつくるのは、その、部屋移ってから……ね?」
念を押すように見上げると、ノアは大層不満げな顔をしていた。
「俺は、結構、我慢をしてきたと思うんだが」
「ご、ごめん」
「やっとお許しが出たのかと」
「話題振ったのそっちじゃない! それとこれとは別でしょ」
赤い顔をしながら小声で抗議するアニーに、ノアは眉を寄せながらも深く息を吐いて表情を緩めた。
「わかった。おとなしく寝る。おやすみ」
「……おやすみ」
最後にキスを一つだけ落として、ノアは目を閉じた。
アニーも目を閉じるが、心臓がうるさくて寝られない。ノアが自分を女性として見てくれていることはわかっているつもりだったが、いざとなると、本当に自分で良いのかと思ってしまう。
顔だけでなく、アニーは体にも全く自信がない。正直見られたくない。幻滅されたら生きていけない。
これはまたひと悶着ありそうだ、とアニーはそっと息を吐いた。
これから何度も、こうしてぶつかったり、不安になったり、そういうことを繰り返していくのだろう。
繰り返し、繰り返し。
やがて、家族になる。