マグノリア・ブルーム〜辺境伯に嫁ぎましたが、私はとても幸せです

キス……!

 
 城館に無事戻って来れた時、私は安堵のあまり大きなため息をついてしまった。
 リヒャルト様に助けられ馬から降りた私は、もう一度ため息をつく。
(無計画すぎたわ、葡萄農園は遠いとわかっていたのに)

「どうかしましたか?」
 リヒャルト様の声に我に帰る。
「いいえ、なんでもありません。あの、本当にありがとうございました。私たちだけでは帰ってくることが出来なかったかもしれませんし」

「となると、行き倒れになって、そのまま……」
「ええっ!」
「冗談ですよ。そうなる前に、皆で手分けして探しに行きますよ。いくら領主の私有地が広いからって、行方不明になることはありません」
 リヒャルト様はくすくす笑っている。

 もし私たちが行く方知れず(ゆくえもしれず)になったら、アンドレイ様はどう思われるだろう。逃げたと思ってお怒りになるかしら。
 でも。

 今朝出かける時、私たちの出発と入れ替わるように執務室の扉が閉められたこと、農園で私たちに気づいて、姿を消してしまわれたこと。
 思い過ごしかもしれないが、私のほうがアンドレイ様に避けられている気がする。そんなことを思うと、つい疑問を口に出して言ってしまう。

「実は今日、葡萄農園でアンドレイ様らしき人をお見かけしたのです」
「そうですか」
 それがどうした? という感じで、リヒャルト様は返事した。

「私たちがいるのに気づいて、姿を隠されたみたいに見えたのですけど。……リヒャルト様の農園に、アンドレイ様が来られることって、よくあるのですか?」

「兄がですか? たびたびではないでしょうが、今日みたいに気持ちの良い日は、視察に行くこともあるかもしれません。しかし、カザールは大きな山に囲まれていますから、天候が急変することはよくあること。今後、農園に行かれるときは、私に仰ってください。誰かお供をつけますから」

 リヒャルト様は、私の疑問は無視して、そんなことを仰った。

「ありがとうございます。またそのうちに、お願いするかもしれません。オーウェルさんとも約束しましたから」
「魔女のオーウェルさんと?」

「ええ、とても素敵な方でした」
「そうでしたか、それはよかった。我々にとって親戚みたいな存在ですからね。さてと、今日もパーティに参りますか?」

「えっ? 今夜も?」
「1週間は続ける予定ですが」

 さすがに、今日はやめておこうと思う。フェリスも具合が悪いだろうし。
 私はそう告げて、リヒャルト様にもう一度お礼を言って下がろうとした。

「あっ、お待ち下さい」
 行こうとした瞬間、リヒャルト様に腕を掴まれ引き止められる。

「お礼のキスをお忘れですよ」
「は?」

 あっという間に抱きすくめられ、触れるか触れないかのようなキスをされてしまう。
 驚いて腕から逃れようとする私の目をじっと見て、リヒャルト様は言った。
「また明日」

 呆然としている私を残して、彼は悠然と馬にまたがり、宵闇の中をゆったりと消えて行った。

「お嬢様ぁー」
「あっ! フェリス、大丈夫?」
 フェリスが私のほうに走って来る。

「もう大丈夫です!」
「そう、よかったわ……」

 私の返事に、フェリスが怪訝な顔をした。
「お嬢様? どうかされましたか?」
「何が?」
「なんていうか、心ここにあらず、って感じがするんですけど」

 私はハッとした。
 どうしよう! リヒャルト様にキスを許してしまったわ!
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