マグノリア・ブルーム〜辺境伯に嫁ぎましたが、私はとても幸せです

厨房で

　
　葡萄農園へのピクニックで散々な目に遭った私たちは、しばらく大人しく城館で過ごすことにした。
　厨房に押しかけて、料理長のクック夫人に美味しい料理を教えてもらったり、中庭の薔薇園で過ごしたり。
　今日も、厨房でクックさんが料理の下ごしらえするのをフェリスと一緒に眺めながら、彼女の手作り菓子を戴いていた。

　（こんなにのんびりと暮らしてていいのかしら……）
　時折、すごく不安になる。
　５年前、お母様が亡くなって、私は突然奈落の底に落とされてしまった。それ以来、ずっと落ち着かない気分で生きてきた気がする。

　いつも優しくて、私に有り余る愛を注いで下さったお母様。そのお母様がいなくなるだけでも辛いことなのに、涙の渇く暇もないまま、暗くて狭い部屋に移されて朝から晩まで働き詰め。

　フェリスがいてくれなかったら、私は今頃どうなっていただろう。お父様は私に無関心だし、万が一私に何かあっても気づかなかったかもしれない。

「暗い狭い部屋に押し込められてた、って仰いましたが」
　じゃがいもの皮を剥きながら、私の話を聞いていたクックさんが口を開いた。

「ええ、そうですよ。私も一緒に、お館の北の外れの使用人部屋に移りました。硬い木のベッドが一台、それだけで部屋がいっぱいになってしまうほど狭いんです！ ぺらぺらのマットに、お嬢様とくっついて眠ってました」
　フェリスは憤慨している。

「それがおかしいんですよ」
「え？」

「あたしは亭主と子供がおりますんでね、城館の近くの一軒家に住んでいます。城館内に住んでる使用人も多いですけど、みんなそれなりに広い部屋をあてがわれてるんですよ」
「どういうことですか？」

「使用人だからって、狭い部屋に押し込められるなんて変だってことです。夜、ゆっくり寝ることもできないなんて！ そんなじゃ、存分に働けませんよ」

　クックさんは鼻を鳴らした。
　私はびっくりした。そんなこと考えたこともなかった。

「ご領主様は、あたしたちと変わらない暮らしをして、同じものを召し上がって。誰に対しても、決して偉そうになさらない。分け隔てなく接してくれます。でも、だからといって、あたしたちはご領主様を軽んじたりしない。むしろ、とても尊敬しています」

　私はフェリスのほうを見た。フェリスも目を丸くして私を見てきた。クックさんは、にっこり笑って紅茶のお代わりを入れてくれた。

「奥方様、エッグタルトをもうひとつ、いかがですか？」
「ありがとうございます、でももうお腹いっぱい。こちらに来てから、私は少し太った気がします」

「奥方様にもっと食べさせてくれって、リヒャルト様から言われてるんですよ」
「リヒャルト様ったら、そんなことを」
　胸がどきんとなった。

「フェリスさんは？ あんたはまだ食べるよね」
　フェリスが答える前に、彼女の皿にはエッグタルトが載せられていた。

「失礼します」
　という声が厨房の入り口から聞こえ、あの雷の日、私たちを送ってくれたジョシュアさんが顔を出した。彼は騎士団のひとりであり、まだとても若い人のようだ。

「奥方様、ご領主様がお呼びなのですが」
　私はびっくりして、弾かれたように立ち上がる。

「アンドレイ様が？」
　そんなこと初めてだ。