マグノリア・ブルーム〜辺境伯に嫁ぎましたが、私はとても幸せです

辺境の地へ


「辺境伯は、とてもご気性の荒い方という噂です。おまけに」
 そう言って、フェリスはぶるっと身震いした。

「戦さで怪我を負って、頭陀袋(ずたぶくろ)のようなマントを頭から爪先まで(まと)い、足を引きずって歩いていらっしゃる。その姿はまるで死神のようで、誰も本当のお姿を見たことがないとか」

 そんな噂は聞いたことがある。
 でも、私はここにいても、希望の持てる生活ではないのだから、死神の花嫁になるにしても、いっそ新天地に行ったほうがいいのではないだろうか……。


 翌日、お父様たちにお別れの挨拶に伺ったところ、お父様は「マリナ、元気で。辺境伯の力になれるよう頑張りなさい」と言って下さった。
 継母からは、「一生懸命お仕えして、辺境伯に追い出されないようにね。貴女には帰って来る場所は無いのですからね」と、厳しく言われた。

「マリナは気が利かない子だし、見た目も貧相だから、辺境伯に気に入られるよう精々頑張らないと」
 義姉(エレナ)からの別れの挨拶は、そんな言葉だったけど、そんなことは百も承知。
 私みたいに後ろ盾も無い、そばかすだらけの醜い女は、立派な貴族の正妻に迎えられるだけでも有り難い事なのだ。

 挨拶を終えた私たちは、迎えに来た辺境伯の精鋭部隊をお供に出発した。
 長旅は辛くなかった。
 私の為だけに四頭立ての馬車が用意され、カザールまでの道中、至る所に休憩地が設けられていたので、リラックスして過ごすことができた。ほとんど公爵家の館から出ることのなかった私には、見るもの全てが新鮮だった。

 野営というものも、初めての経験で楽しかった。時折、遠くで狼の鳴き声がするけれど、明々と燃やされる焚き火は、私に安心感を与えてくれる。
 満点の星空、というものも初めて見た。
 幼い頃に、母が語ってくれたお伽話の世界が広がっているみたい。

 翌日昼には、隣国との境目にあるブランカブロンコ山脈が見えてきて、麓にあるカザール地方に到着した。ブランカブランコ山脈は、その名の通り、万年雪に覆われた白くて険しい山々が連なった山脈だ。

 カザールの街は、辺境などと呼ぶのも失礼なほど栄えており、鮮やかな色の煉瓦造りの家々が人形の家のように綺麗。私たちが到着した時には、(いち)が開かれていて、とても賑やかだった。

「フェリス、あれを見て。新鮮な野菜や果物がいっぱい。カザールは極寒の地と聞いていたけど、食材は豊かなのね」 
「お嬢様、飴細工屋が! 可愛い」
 私とフェリスは、すっかり興奮してしまう。

 馬車は市街地に入ってからは、ゆっくりと進んでいた。
 街の人々が、私たちの馬車に手を振ってくれる。親子だろうか、男性に肩車された小さな男の子が、ピンク色の花束を窓から私に手渡してくれた。

「まあ! ありがとう。素敵なお花ね」
「これはマグノリア、カザールの州花です。奥方様によくお似合いですね」
 父親と思しき男性が、ニコニコして教えてくれた。
 私は、すっかりこの街が好きになってしまった。

 城館に着いた時は、さすがに少し疲れていたが、これから辺境伯にお会いすると思うと、緊張からか頭は逆に冴え冴えとしている。
 石畳の中庭を囲むように造られた二階建ての建物は、とても大きく頑丈そうである。私たちは、門の正面、最奥にある部屋に通された。


「失礼します」
 護衛をしてくれた騎士団長が、重そうな扉に向かって大声で言うと、すぐに「お入り」という、しゃがれた低い声が聞こえてくる。
 騎士団長が扉を押して開けた部屋には、フェリスの言った噂通り、全身灰色の布で包まれた人がいた!

 とても背が高く、こちらに背を向けているせいか、取りつく島もないといった風情(ふぜい)だ。
 全身がぶるっと震える。

「侯爵様、マリナ・エレンザ姫をお連れいたしました」
「うむ」と言って振り返った辺境伯と対面した途端、私とフェリスは思わず手を取り合ってしまう。

 マントは、片方の目の部分だけくり抜かれており、あとは全くお姿はわからない。ただ、とても長身で逞しい方だということはわかった。そして、瞳の色がとても美しいブルーだということも。

「長旅、お疲れであった。貴女たちの部屋(プライベートルーム)は用意してある。今日はもうゆっくりお寛ぎなさい」
 思いの外、優しい声音。嗄れた(しわがれた)声なので、辺境伯はお年寄りなのかしら、と思った。
 私は、辺境伯のことは噂ばかりで、本当のところは何も知らなかったのである。

「あ、あの!」
「何か?」
「ご挨拶が遅れました、マリナ・エレンザとお付き(コンパニオン)のフェリスでございます。どうぞ末長く、よろしくお願い申し上げます」
「堅苦しい挨拶は抜きで。今日から貴女は、ここの女主人。好きなように暮らして下さい」
「好きなように、とは?」
「国の行事がある時は、領主の妻として振る舞ってほしい。それ以外は、貴女のお好きなように過ごして下されば。幸い、ここは豊かな土地です。贅沢でも何でも、お気に召すまま」

 なんとなく突き離されたような気がして、どう返事したらいいのかわからない。
 私は、急に疲れが押し寄せて来るのを感じた。
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