マグノリア・ブルーム〜辺境伯に嫁ぎましたが、私はとても幸せです
葡萄農園
昼間の中庭を、じっくり眺めたのは初めてだった。私は、その広さに驚いてしまう。フェリスも同じらしく、
「すごいですね。こんなに広くて、しかも芝生が青々として。辺境伯のご威光を見せつけられた気がします」
池の水が、陽の光に反応してキラキラと輝いている。
「綺麗ね、この大きな池。自然に出来たものかしら? それとも人口池?」
「どうなんでしょう。 睡蓮? 花もいくつか見えますね」
池は、庭のかなりの部分を占めているようで、池の周りを歩いている私たちは、川のほとりをそぞろ歩いているような気分になる。
「お天気も良くて、気持ちいいですねぇ」
「ほんとうに」
もうすぐ本格的な夏だ。
カザール地方は、夏が短く冬が長い。
だから、その短い夏に領民は一生懸命働いて、そして思い切り楽しむのだ、と聞いたことがある。
「お城の皆さんも働き者ですよね。夜遅くまで楽しんで、でも何事もなかったように翌朝早くから働いて。今夜もパーティは開かれるんでしょうか?」
「フェリス、実を言うとね、私は今とても眠いの」
「お嬢様、私もです! 猫はいつも眠いんです」
フェリスは笑って言うと、大あくびをした。
「お嬢様、あれが葡萄農園ですよね?」
フェリスが指差す方向には、緑豊かな低木がずらりと並んで生い茂っている。
「あれだわ! よかった、迷うことはなかったわね」
「でも、まだまだ遠いです。だいぶ歩かないと」
「そういえば、誰にも会わないわね。もう皆さん、働いてらっしゃるのかしら」
「葡萄農園は、城館の使用人ではなくて領民が雇われているのかもしれませんね」
そんな話をしているうちに、葡萄農園の入口に到着した。
「ふう〜」
フェリスが、ため息をついて立ち止まる。私も立ち止まり、スカーフの端っこで額の汗を拭った。初夏の風は心地よいが、この長い散歩で少し汗をかいてしまった。
葡萄農園には、特に表示や目印があるわけでなし、立ち入り禁止と言われているわけではなさそうだ。
「入らせてもらいましょう」
「お嬢様、私が先に」
フェリスが私を庇うように先に立って、葡萄の木に向かって歩き始めた。
葡萄の木は、青々とした葉をつけており、私たちとそんなに背丈が違わない。
「実が生る頃も見たいわね」
「収穫のお手伝いですか?」
「それは無理でしょうけど、何事も経験してみたい気もするわね」
広い農園は、意外と隅から隅まで歩くのに、さほど時間は掛からなかった。
農園で働いている人たちを何人か見かけたので、挨拶する。彼らは私を見てすぐに、「奥方様⁉︎」と声を上げた。
「カザールに到着した日もそうだったけど、何故皆さんは、私のことをすぐにわかるのかしら? 」
「街中に、お嬢様の肖像画が配られたそうですよ。メアリーさんが言ってました。だから、実際のお嬢様を見て、すぐにわかったって」
「まあ! そうだったの」
以前一度だけ、肖像画を画家に描いてもらったことがあった。あの絵を、お父様が辺境伯に渡されたのかしら。
私の似顔絵が複製になって、たくさん刷られて……。そんなことを考えて、注目されることに慣れていない私は困惑してしまう。
「まだお昼には早いですよね」
「そうね」
フェリスの問いかけで気づいたけれど、まだお腹は空いていない。
「一応、番小屋に行ってみましょうか」
私たちは葡萄の木から離れて、番小屋を探した。
「農園の人たちに案内してもらったほうがいいかな。あっ、もしかしてあれ?」
フェリスは、何かの建物をめざとく見つけたみたいである。
私たちが居る場所から少し離れた所に、赤い煉瓦屋根の家があった。鬱蒼と生い茂る丈の高い木の間から、ちょこんと煙突のある屋根が見える。
「番小屋にしては可愛いお家ね。それに、しっかりした造りだわ」
誰か住んでいる家のようだが。
家を見ていると、扉が開いて、背の低い小太りのお婆さんが現れた。
彼女は私たちに気がついて、首をかしげる。
私たちは会釈して、彼女に向かって歩き始めた。