二度目の嫁入りは桜神の街~身ごもりの日々を溺愛の夫に包まれて~
11 音楽の調べ
咲希の妊娠は、ありがたいことに周囲にも温かく迎えられた。
同僚たちは表立って祝いの言葉をかけたり、品を渡したりしたわけではない。けれど咲希の体に負担にならないように気を遣って、少し離れたところから咲希を見守ってくれていた。
咲希にとって大きかった気遣いが一つある。直接指示をしたのは青慈だが、育てている植物の経過観察のために、胎教室で過ごす時間が多くなったことだ。
普段は陽射しが入り込みやすい温室で仕事をしているが、胎教室と呼ばれるそこは緑のカーテンで壁が覆われていて、心地よい薄暗がりが広がっていた。聞こえるか聞こえないかの加減でいつも音楽の調べが満ちていて、時折木々の音や小鳥の声が混じる。
ある日部屋をのぞいた青慈に、咲希は声をかけられた。
「ここにいた方が咲希は顔色がいいみたいだね」
咲希はすぐにうなずいたが、少し考えた後に言葉を返した。
「私が胎教をされてしまっているのかもしれません。時々あった貧血も、ここではないんです」
その言葉に青慈はとても満足なようで、うなずいて笑う。
「何よりだ。胎教はまずは母体の心を安定させるものだから、それでいいんだよ」
咲希の中でちくりと痛むものがあった。
やはり青慈は咲希の体のためにここでの仕事を命じたのだ。それは咲希への気遣いの形ではあったが、咲希はそれを見守っていた同僚たちの気持ちが少し気になった。
「……私はこんなに守られていていいんでしょうか。まだ新入社員で、大きな仕事もしていないのに」
「咲希」
ふいに青慈は呼ぶと、彼女を抱え上げて椅子に座らせた。
咲希は不思議そうに彼を見上げて、問い返そうとする。
「青慈さ……」
事もあろうに、青慈は立ったまま屈んで咲希にキスをした。
ここは会社で、咲希が小声でつぶやくと、青慈は顔を離していたずらっぽく言った。
「ほら、僕の方がよほど悪いことをした。でも誰にも詫びないよ。今の咲希に、何が一番大事か教えるためだから」
青慈は咲希の目をのぞきこんで、その頬を包んだ。
「咲希、安心しておいで。今は二人分、体を大事にして。大丈夫、僕らの会社はそれを認めてくれる」
咲希がまだ不安の目で青慈を見上げると、彼は安心させるように笑う。咲希の頭を胸に抱いてそっとなでた。
そのまま咲希の背を撫でて、青慈は咲希の中にいる子にも語り掛けるように言う。
「音楽が聴こえる? ここは穏やかなところ。つらいことは夢の中に置いて、ここにおいで」
咲希はつと目を閉じた。木々のさざめきと鳥の声が残響のように耳に届き、息を吸えば森の香りに包まれている。
「愛してるんだ。……呼吸するみたいに、それを受け入れてほしいな」
子どもの頃、どこか遠いところで聞いた音楽に青慈の声が重なって、咲希は少しずつ記憶を取り戻していった。
同僚たちは表立って祝いの言葉をかけたり、品を渡したりしたわけではない。けれど咲希の体に負担にならないように気を遣って、少し離れたところから咲希を見守ってくれていた。
咲希にとって大きかった気遣いが一つある。直接指示をしたのは青慈だが、育てている植物の経過観察のために、胎教室で過ごす時間が多くなったことだ。
普段は陽射しが入り込みやすい温室で仕事をしているが、胎教室と呼ばれるそこは緑のカーテンで壁が覆われていて、心地よい薄暗がりが広がっていた。聞こえるか聞こえないかの加減でいつも音楽の調べが満ちていて、時折木々の音や小鳥の声が混じる。
ある日部屋をのぞいた青慈に、咲希は声をかけられた。
「ここにいた方が咲希は顔色がいいみたいだね」
咲希はすぐにうなずいたが、少し考えた後に言葉を返した。
「私が胎教をされてしまっているのかもしれません。時々あった貧血も、ここではないんです」
その言葉に青慈はとても満足なようで、うなずいて笑う。
「何よりだ。胎教はまずは母体の心を安定させるものだから、それでいいんだよ」
咲希の中でちくりと痛むものがあった。
やはり青慈は咲希の体のためにここでの仕事を命じたのだ。それは咲希への気遣いの形ではあったが、咲希はそれを見守っていた同僚たちの気持ちが少し気になった。
「……私はこんなに守られていていいんでしょうか。まだ新入社員で、大きな仕事もしていないのに」
「咲希」
ふいに青慈は呼ぶと、彼女を抱え上げて椅子に座らせた。
咲希は不思議そうに彼を見上げて、問い返そうとする。
「青慈さ……」
事もあろうに、青慈は立ったまま屈んで咲希にキスをした。
ここは会社で、咲希が小声でつぶやくと、青慈は顔を離していたずらっぽく言った。
「ほら、僕の方がよほど悪いことをした。でも誰にも詫びないよ。今の咲希に、何が一番大事か教えるためだから」
青慈は咲希の目をのぞきこんで、その頬を包んだ。
「咲希、安心しておいで。今は二人分、体を大事にして。大丈夫、僕らの会社はそれを認めてくれる」
咲希がまだ不安の目で青慈を見上げると、彼は安心させるように笑う。咲希の頭を胸に抱いてそっとなでた。
そのまま咲希の背を撫でて、青慈は咲希の中にいる子にも語り掛けるように言う。
「音楽が聴こえる? ここは穏やかなところ。つらいことは夢の中に置いて、ここにおいで」
咲希はつと目を閉じた。木々のさざめきと鳥の声が残響のように耳に届き、息を吸えば森の香りに包まれている。
「愛してるんだ。……呼吸するみたいに、それを受け入れてほしいな」
子どもの頃、どこか遠いところで聞いた音楽に青慈の声が重なって、咲希は少しずつ記憶を取り戻していった。