二度目の嫁入りは桜神の街~身ごもりの日々を溺愛の夫に包まれて~
12 前夜
咲希は、勤務時間という縛りがなければ研究室で一日を完結してしまいそうな真面目さを持っていたが、妊娠がわかる前から青慈がそれをさせなかった。
青慈は指導というより甲斐甲斐しく咲希の世話を焼き、咲希が滞りなく仕事を終えるのを手伝った。青慈のおかげで咲希は仕事で大きくつまずくこともなく、少しずつだが成果も重ねた。
咲希は桜の樹を見上げながらつぶやく。
「明日、実がつきます」
「そうだね。咲希もわかるようになったか」
仕事を続けるうちに、咲希にも育てている桜が実をつける時期がわかるようになっていた。確かめるように青慈に告げる声が、少し頼りなく響くのも気づいていた。
青慈はそっと咲希の肩に触れて言う。
「でも樹が去るときに惜しむのは変わりないんだね」
泣きたくなるようなこの気持ちを受け止めてくれる人が側にいなければ、咲希は仕事をやめていたに違いない。
実をつけた植物が台車に乗せられて他部署に消えるのは、寂しくてたまらない。相手は植物だと自分に言い聞かせるのは、もうだいぶ前にやめた。
「咲希が愛したからここまで育ったんだ。大丈夫。あの樹は新しいところで、新しく生きるだけなんだ」
咲希は会社の桜を友だちのように親しんでしまう。青慈はそんな咲希を愛おしむようにして言う。
「咲希がそういう子だから、ここに戻ってこられたんだよ」
「私が小学生のときに、ここに来た話ですか?」
離れがたいように植木鉢をみつめながら答えた咲希に、青慈は優しく言う。
「それもある。……それだけではないけど。さて」
青慈は先に腰を上げて咲希に手を差し伸べる。
「少し寄り道をして帰ろう」
咲希は青慈の手を借りて立ち上がると、不思議そうに首を傾げた。
青慈が咲希を連れて行ったのは、会社の敷地の中にある小さな植物園だった。咲希の働く区域は薬品を扱うために一般の立ち入りが禁止されているが、その辺りは子どもたちも遊びに来ることがある。
白嶺街は樹の街、それも白い桜が至るところに枝葉を広げる。それだけでは子どもの遊び場には物足りないように思うのに、いつもそこには子どもたちがいた。
今日もそこでは数人、小学生くらいの子どもたちが植物を見ていた。大人たちに手を引かれて、子どもたちは憧れるように桜を見ていた。
その気持ちは、咲希も覚えがある。咲希も小学生の頃、ここを訪れた。どういう経緯だったかは知らないが、咲希は一人で来たのを覚えている。
青慈は咲希の手を取って歩きながら言う。
「この辺りの木はずっと変わりがないのだけど」
青慈が見上げる先には、そろそろ冬に至るというのに生き生きと枝を広げる桜の樹があった。白嶺街は土壌が豊かで気候も穏やかだから、樹にとって楽園のようなところだった。
青慈はふと咲希を見下ろしてつぶやく。
「咲希の背はずいぶん伸びた」
「もう大人ですから」
咲希が答えると、青慈はふと感慨深そうにため息をついた。
「青慈さん?」
「君が知るずっと前から君を見守ってきた。こうして並んで歩ける日が来るなんて、夢みたいだ」
青慈は咲希とつないだ手を持ち上げて、その手に頬を寄せる。
「……いや、夢じゃないんだ。君は僕の妻で、もうじき子どもも産まれるんだ」
瞬間、咲希には切ないような気持ちがこみ上げた。
幼い日、咲希はやっと出会えたというような気持ちで青慈の袖をつかんだ。そのときの咲希に向けた青慈の表情は、泣きそうな、切ないような笑顔だった。
咲希と青慈は、ずっと離れ離れだったような気がする。どうしてそんな思いを抱くのかは、わからないけれど。
青慈は手をつなぎ直すと、いつものように優しく言った。
「明日、検査だね」
咲希は笑い返して、そうですねとうなずく。
青慈と共に歩む日常にもうじき新しい家族が加わるのだと思うと、咲希もうれしかった。
青慈は指導というより甲斐甲斐しく咲希の世話を焼き、咲希が滞りなく仕事を終えるのを手伝った。青慈のおかげで咲希は仕事で大きくつまずくこともなく、少しずつだが成果も重ねた。
咲希は桜の樹を見上げながらつぶやく。
「明日、実がつきます」
「そうだね。咲希もわかるようになったか」
仕事を続けるうちに、咲希にも育てている桜が実をつける時期がわかるようになっていた。確かめるように青慈に告げる声が、少し頼りなく響くのも気づいていた。
青慈はそっと咲希の肩に触れて言う。
「でも樹が去るときに惜しむのは変わりないんだね」
泣きたくなるようなこの気持ちを受け止めてくれる人が側にいなければ、咲希は仕事をやめていたに違いない。
実をつけた植物が台車に乗せられて他部署に消えるのは、寂しくてたまらない。相手は植物だと自分に言い聞かせるのは、もうだいぶ前にやめた。
「咲希が愛したからここまで育ったんだ。大丈夫。あの樹は新しいところで、新しく生きるだけなんだ」
咲希は会社の桜を友だちのように親しんでしまう。青慈はそんな咲希を愛おしむようにして言う。
「咲希がそういう子だから、ここに戻ってこられたんだよ」
「私が小学生のときに、ここに来た話ですか?」
離れがたいように植木鉢をみつめながら答えた咲希に、青慈は優しく言う。
「それもある。……それだけではないけど。さて」
青慈は先に腰を上げて咲希に手を差し伸べる。
「少し寄り道をして帰ろう」
咲希は青慈の手を借りて立ち上がると、不思議そうに首を傾げた。
青慈が咲希を連れて行ったのは、会社の敷地の中にある小さな植物園だった。咲希の働く区域は薬品を扱うために一般の立ち入りが禁止されているが、その辺りは子どもたちも遊びに来ることがある。
白嶺街は樹の街、それも白い桜が至るところに枝葉を広げる。それだけでは子どもの遊び場には物足りないように思うのに、いつもそこには子どもたちがいた。
今日もそこでは数人、小学生くらいの子どもたちが植物を見ていた。大人たちに手を引かれて、子どもたちは憧れるように桜を見ていた。
その気持ちは、咲希も覚えがある。咲希も小学生の頃、ここを訪れた。どういう経緯だったかは知らないが、咲希は一人で来たのを覚えている。
青慈は咲希の手を取って歩きながら言う。
「この辺りの木はずっと変わりがないのだけど」
青慈が見上げる先には、そろそろ冬に至るというのに生き生きと枝を広げる桜の樹があった。白嶺街は土壌が豊かで気候も穏やかだから、樹にとって楽園のようなところだった。
青慈はふと咲希を見下ろしてつぶやく。
「咲希の背はずいぶん伸びた」
「もう大人ですから」
咲希が答えると、青慈はふと感慨深そうにため息をついた。
「青慈さん?」
「君が知るずっと前から君を見守ってきた。こうして並んで歩ける日が来るなんて、夢みたいだ」
青慈は咲希とつないだ手を持ち上げて、その手に頬を寄せる。
「……いや、夢じゃないんだ。君は僕の妻で、もうじき子どもも産まれるんだ」
瞬間、咲希には切ないような気持ちがこみ上げた。
幼い日、咲希はやっと出会えたというような気持ちで青慈の袖をつかんだ。そのときの咲希に向けた青慈の表情は、泣きそうな、切ないような笑顔だった。
咲希と青慈は、ずっと離れ離れだったような気がする。どうしてそんな思いを抱くのかは、わからないけれど。
青慈は手をつなぎ直すと、いつものように優しく言った。
「明日、検査だね」
咲希は笑い返して、そうですねとうなずく。
青慈と共に歩む日常にもうじき新しい家族が加わるのだと思うと、咲希もうれしかった。