二度目の嫁入りは桜神の街~身ごもりの日々を溺愛の夫に包まれて~
13 守られた庭
咲希が通院を始めて五か月が過ぎ、慣れた定期健診と気に留めていなかった頃、その不調は忍びやかに訪れた。
その日医師は咲希へ、気づかわしげに問いかけた。
「よく眠れていないようですね。どうされましたか」
咲希は伝えようか迷っていたことを、先に医師から言われた。
青慈は一人で通院できると咲希が笑っていても付き添いを欠かさず、その日も彼は咲希と一緒に病院を訪れていた。
咲希は隣に座る青慈を見て、困ったように言う。
「はい。三日ほど前から眠りが浅く、食欲も落ちているんです。大きく体調を崩しているわけではないのですが……」
咲希は原因を青慈に告げていた。また、例の夢を見始めたからだった。
でもどうして行ったこともない古い時代の、見知らぬ人々の中で暮らしているのかはわからない。
ただ青慈に言われたとおり、そっとベッドの中で彼を抱きしめると、また元のように眠ることができた。それは暗闇で光る樹をみつけて、それに腕を回す思いに似ていた。
咲希は首を横に振って言う。
「本当に、大した不調ではないんです。悩みというほどでもなく」
咲希は言葉を濁したが、医師はなお気がかりそうに問いかけた。
「旦那さんは、心当たりはありますか?」
咲希も青慈を頼りにする思いで彼の方を見た。青慈は仕事でも暮らしの中でも、咲希に的確なアドバイスをくれた。咲希にもわかっていない不調の原因も、彼なら気づいているかもしれなかった。
青慈は少し考えたようだった。彼は咲希をみつめて、そっと切り出した。
「彼女は優しいから、過ぎ去ったものに心を残し過ぎているのでしょう」
咲希は、育てた桜の樹たちが去るたびに惜しむことを言われたのだと思った。咲希がはっとして言葉を挟もうとすると、青慈は淀みなく言葉を続けた。
「もっと気を配るべきでした。彼女が未来だけ見られるように、僕が過去を遠ざけなければ」
「青慈さん」
咲希は青慈の袖をつかんで首を横に振った。青慈が言いだそうとしていることを察したからだった。
彼はまだ新入社員の域を出ない咲希への事細かな指導を欠かさず、休憩の取り方さえ教えてくれている。体だって、これ以上労わってもらいようがないほど気を遣ってもらっている。
「彼女は優秀で、素直ですから。仕事があれば、それをこなしてしまうんでしょう……」
青慈は咲希のためらいをなだめるように、きっぱりと首を横に振って言った。
「早期に休暇を取らせましょう」
息を呑んだのは咲希の方で、医師はその提案を好ましく聞いたようだった。
「それがよろしいです」
「待ってください。大げさです。少し経てば、また体調は戻ると思います」
抵抗した咲希は青慈を見上げて、彼が言葉を返す前からその意思の堅さを感じた。
「咲希、仕事は他の誰かでもできるんだ。でも君の体は君しか守れない。最大限、大事にしよう?」
そこにあったのは夫として言うべきことを口にする、毅然とした意思だった。
診察を終えて院内を二人で歩いたとき、咲希は青慈に反発する意思もありながら、感謝もしていた。
咲希一人だったら、休暇を取ろうとは考えなかった。でもおそらく青慈の言う通り、今の咲希にはそれが必要なのだろう。
青慈は咲希のそんな思いに気づいたのか、そっと告げる。
「僕は過保護かな」
「たぶん、そう……。だけど、そうした方がいい時なのかもしれない」
病院の一角、四方を大きなガラス張りの窓で囲まれた箱庭があった。
整然と並ぶ白い石と澄んだ池が取り囲み、天窓から陽光が差し込む光の中で一本の木が伸びている。柔らかい、綺麗な世界にいる木に足を止める。
自分もそんな、守られたところで過ごしていいのだろうか。ふとそんなことを思う。
青慈は咲希の手を取って言った。
「おいしいものを食べて、よく眠って、気分がいいときは一緒に街を歩こう」
「……うん」
咲希はうなずいて、彼の整えた箱庭のような世界を想う。
「そうしてみるわ」
青慈の手に包まれて、咲希は植物が水を浴びるように受け入れた。
その日医師は咲希へ、気づかわしげに問いかけた。
「よく眠れていないようですね。どうされましたか」
咲希は伝えようか迷っていたことを、先に医師から言われた。
青慈は一人で通院できると咲希が笑っていても付き添いを欠かさず、その日も彼は咲希と一緒に病院を訪れていた。
咲希は隣に座る青慈を見て、困ったように言う。
「はい。三日ほど前から眠りが浅く、食欲も落ちているんです。大きく体調を崩しているわけではないのですが……」
咲希は原因を青慈に告げていた。また、例の夢を見始めたからだった。
でもどうして行ったこともない古い時代の、見知らぬ人々の中で暮らしているのかはわからない。
ただ青慈に言われたとおり、そっとベッドの中で彼を抱きしめると、また元のように眠ることができた。それは暗闇で光る樹をみつけて、それに腕を回す思いに似ていた。
咲希は首を横に振って言う。
「本当に、大した不調ではないんです。悩みというほどでもなく」
咲希は言葉を濁したが、医師はなお気がかりそうに問いかけた。
「旦那さんは、心当たりはありますか?」
咲希も青慈を頼りにする思いで彼の方を見た。青慈は仕事でも暮らしの中でも、咲希に的確なアドバイスをくれた。咲希にもわかっていない不調の原因も、彼なら気づいているかもしれなかった。
青慈は少し考えたようだった。彼は咲希をみつめて、そっと切り出した。
「彼女は優しいから、過ぎ去ったものに心を残し過ぎているのでしょう」
咲希は、育てた桜の樹たちが去るたびに惜しむことを言われたのだと思った。咲希がはっとして言葉を挟もうとすると、青慈は淀みなく言葉を続けた。
「もっと気を配るべきでした。彼女が未来だけ見られるように、僕が過去を遠ざけなければ」
「青慈さん」
咲希は青慈の袖をつかんで首を横に振った。青慈が言いだそうとしていることを察したからだった。
彼はまだ新入社員の域を出ない咲希への事細かな指導を欠かさず、休憩の取り方さえ教えてくれている。体だって、これ以上労わってもらいようがないほど気を遣ってもらっている。
「彼女は優秀で、素直ですから。仕事があれば、それをこなしてしまうんでしょう……」
青慈は咲希のためらいをなだめるように、きっぱりと首を横に振って言った。
「早期に休暇を取らせましょう」
息を呑んだのは咲希の方で、医師はその提案を好ましく聞いたようだった。
「それがよろしいです」
「待ってください。大げさです。少し経てば、また体調は戻ると思います」
抵抗した咲希は青慈を見上げて、彼が言葉を返す前からその意思の堅さを感じた。
「咲希、仕事は他の誰かでもできるんだ。でも君の体は君しか守れない。最大限、大事にしよう?」
そこにあったのは夫として言うべきことを口にする、毅然とした意思だった。
診察を終えて院内を二人で歩いたとき、咲希は青慈に反発する意思もありながら、感謝もしていた。
咲希一人だったら、休暇を取ろうとは考えなかった。でもおそらく青慈の言う通り、今の咲希にはそれが必要なのだろう。
青慈は咲希のそんな思いに気づいたのか、そっと告げる。
「僕は過保護かな」
「たぶん、そう……。だけど、そうした方がいい時なのかもしれない」
病院の一角、四方を大きなガラス張りの窓で囲まれた箱庭があった。
整然と並ぶ白い石と澄んだ池が取り囲み、天窓から陽光が差し込む光の中で一本の木が伸びている。柔らかい、綺麗な世界にいる木に足を止める。
自分もそんな、守られたところで過ごしていいのだろうか。ふとそんなことを思う。
青慈は咲希の手を取って言った。
「おいしいものを食べて、よく眠って、気分がいいときは一緒に街を歩こう」
「……うん」
咲希はうなずいて、彼の整えた箱庭のような世界を想う。
「そうしてみるわ」
青慈の手に包まれて、咲希は植物が水を浴びるように受け入れた。