二度目の嫁入りは桜神の街~身ごもりの日々を溺愛の夫に包まれて~
3 柔い日常
咲希は時々、夢を見る。どこか遠い街に嫁ぎ、蔑まれて日々を送っている。
それは少し古い時代のように思う。寒い土地柄でもある。夫となった人は、咲希を愛していない。
けれど咲希は生まれてから白嶺街を離れたことがなく、結婚したばかりの青慈は日々優しさと温もりで咲希を包んでくれている。
だからそれはたぶんただの夢で、今の咲希はまだ何もかもを始めたばかりだ。
青慈と婚姻届を出した翌日、咲希はいつものように会社に出勤した。
咲希の勤める会社は、小さな街にあるものにしては、進んだ仕組みの組織のように思う。
分業が進んで、誰かが行き詰まれば別の誰かに仕事が再分配されていく。休憩も休暇も十分に取らせてもらっている。
咲希は休憩室でコーヒーを飲みながら、隣のブースで壁に寄りかかって目を閉じている青慈をみつけた。
青慈は仕事用の白衣を机に投げ出して、無防備に襟を緩めてうたたねをしていた。しょうがない人ねと咲希は苦笑して、白衣をかけようと手を伸ばす。
陶器のような白い肌に細くしなやかな眉、男性としては華奢な体。青慈は咲希より一回り年上とは思えないような、柔い雰囲気をまとう人だ。
ふと起こすのをためらってその面差しをみつめていると、まぶたが開く。
薄い唇が咲希と動いて笑みを作ったのを見て、咲希は慌てて言う。
「こんなところで眠ってはだめですよ、青慈さん。ここの空調は夏でも最適な温度だそうですから」
「うん。ごめん」
こくんと少年のようにうなずいて、青慈は手を伸ばす。咲希は反射的にその手を取ってしまったが、気恥ずかしさにぱっと手を離した。
青慈は微笑んで咲希に言う。
「夢を見ていた」
「夢?」
咲希はそう問い返して、ふと言葉を口にした。
「私も時々悪い夢を見ますけど、日中になると忘れるんです」
「悪い夢はそれでいいんだよ」
青慈はそう言ってから、慈しむように咲希を見る。
「僕の夢はいい夢だから、いつまでも覚えていたい。咲希が来たときだよ。まだ小学生だったね」
首を傾けて青慈が微笑ましげに語るのは、何度か青慈が口にする咲希の子どもの頃の話だ。
咲希は小学生の頃、職場見学に来て青慈に会ったことがあるらしい。でも咲希には思い出せなくてもどかしい。
青慈はうれしそうにつぶやく。
「僕の袖をつかむと、宝物みたいに笑った」
青慈はふいに咲希の袖を引いた。思っていたより強い力に、咲希は青慈の方に身を傾ける格好になる。
「大きくなったね、咲希」
耳元でささやかれた言葉に、咲希の心がざわめいた。
咲希と青慈はすぐに夫婦になって、恋人同士の時間が短かった。だからなのか、突然出会ったばかりの恋人同士のような気分になって、気恥ずかしくなる。
「ね?」
いたずらっぽく告げた青慈は、同僚、先輩、それよりも大きなものとして咲希の心に存在している。
青慈は伸びをして、実は会社の誰よりも似合う白衣をさっとまとう。
「さて、仕事をしようかな。君の夫はちゃんと日々化学に貢献しているよ」
あなたが夫になったのだと、まだ慣れなくて。そう青慈に言ったら、きっと笑われてしまうだろう。
彼が瞳で咲希をなだめた気配を感じながら、咲希は苦笑してうなずいた。
それは少し古い時代のように思う。寒い土地柄でもある。夫となった人は、咲希を愛していない。
けれど咲希は生まれてから白嶺街を離れたことがなく、結婚したばかりの青慈は日々優しさと温もりで咲希を包んでくれている。
だからそれはたぶんただの夢で、今の咲希はまだ何もかもを始めたばかりだ。
青慈と婚姻届を出した翌日、咲希はいつものように会社に出勤した。
咲希の勤める会社は、小さな街にあるものにしては、進んだ仕組みの組織のように思う。
分業が進んで、誰かが行き詰まれば別の誰かに仕事が再分配されていく。休憩も休暇も十分に取らせてもらっている。
咲希は休憩室でコーヒーを飲みながら、隣のブースで壁に寄りかかって目を閉じている青慈をみつけた。
青慈は仕事用の白衣を机に投げ出して、無防備に襟を緩めてうたたねをしていた。しょうがない人ねと咲希は苦笑して、白衣をかけようと手を伸ばす。
陶器のような白い肌に細くしなやかな眉、男性としては華奢な体。青慈は咲希より一回り年上とは思えないような、柔い雰囲気をまとう人だ。
ふと起こすのをためらってその面差しをみつめていると、まぶたが開く。
薄い唇が咲希と動いて笑みを作ったのを見て、咲希は慌てて言う。
「こんなところで眠ってはだめですよ、青慈さん。ここの空調は夏でも最適な温度だそうですから」
「うん。ごめん」
こくんと少年のようにうなずいて、青慈は手を伸ばす。咲希は反射的にその手を取ってしまったが、気恥ずかしさにぱっと手を離した。
青慈は微笑んで咲希に言う。
「夢を見ていた」
「夢?」
咲希はそう問い返して、ふと言葉を口にした。
「私も時々悪い夢を見ますけど、日中になると忘れるんです」
「悪い夢はそれでいいんだよ」
青慈はそう言ってから、慈しむように咲希を見る。
「僕の夢はいい夢だから、いつまでも覚えていたい。咲希が来たときだよ。まだ小学生だったね」
首を傾けて青慈が微笑ましげに語るのは、何度か青慈が口にする咲希の子どもの頃の話だ。
咲希は小学生の頃、職場見学に来て青慈に会ったことがあるらしい。でも咲希には思い出せなくてもどかしい。
青慈はうれしそうにつぶやく。
「僕の袖をつかむと、宝物みたいに笑った」
青慈はふいに咲希の袖を引いた。思っていたより強い力に、咲希は青慈の方に身を傾ける格好になる。
「大きくなったね、咲希」
耳元でささやかれた言葉に、咲希の心がざわめいた。
咲希と青慈はすぐに夫婦になって、恋人同士の時間が短かった。だからなのか、突然出会ったばかりの恋人同士のような気分になって、気恥ずかしくなる。
「ね?」
いたずらっぽく告げた青慈は、同僚、先輩、それよりも大きなものとして咲希の心に存在している。
青慈は伸びをして、実は会社の誰よりも似合う白衣をさっとまとう。
「さて、仕事をしようかな。君の夫はちゃんと日々化学に貢献しているよ」
あなたが夫になったのだと、まだ慣れなくて。そう青慈に言ったら、きっと笑われてしまうだろう。
彼が瞳で咲希をなだめた気配を感じながら、咲希は苦笑してうなずいた。