二度目の嫁入りは桜神の街~身ごもりの日々を溺愛の夫に包まれて~
5 樹の夢
白嶺街は丘の上の緑豊かな土地で、高原のような風が吹く。
咲希の会社は白嶺街の木々に水を巡らせ、その水を浄化する生業も行っているらしい。
咲希は会社の化学者として、並木道の樹木を点検することがあった。水質を調査し、樹皮から生育状況を確かめていた。
咲希が並木道の樹を調査して驚いたことには、白嶺街の木々はどれも年輪を重ねているのに健やかであることだった。
咲希は歩みながら伸びをして、ふとつぶやく。
「水と空気がきれいだからかしら。ここは気候もおだやかだもの」
咲希が顔を上げると、木立の間から陽光が差し込んでいた。きらきらと金色が混じり、咲希を明るく照らし出す。
光をみつめた直後にそうであるように、咲希が顎を引いたとき、世界が一瞬暗闇に沈んだ。
けれどその暗闇は白昼夢を伴って、咲希は立ったままそこに白嶺街とは違う土地を見ていた。
そこには枝葉がしおれ、雪が吹きつけて枯れかけた樹が立っていた。まもなく倒れるのではと思うほど、その樹には力がなかった。
雪さえも降らない白嶺街で、咲希が今までそのような樹に出会ったとは思えない。けれど咲希は遠い昔、それを見たような錯覚があった。
……冬の日、納屋の裏にその樹は立っていて、咲希はその下で井戸水を汲んだような気がする。
ふいに咲希がめまいを感じてよろめくと、青慈の声が聞こえた。
「樹の夢を見たかな?」
背中を支えられて我に返ると、点検に同行していた青慈の腕が回っていた。
立ち仕事を続けたための貧血だったのか、少し体がだるかった。咲希は青慈に助けられて縁石に腰を下ろして、持ち合わせの水を渡される。
ひとごこちつくと、咲希はそっと青慈にたずねる。
「樹の夢って?」
「おとぎ話だよ」
青慈はそう告げてから、言葉を続ける。
「白嶺街の木々はとても長く生きてきたから、時々夢を見るらしい。それで、遠い土地の樹が見た光景を目の前に描くのだそうだ」
それは青慈の言うとおり、不思議なおとぎ話だった。咲希は樹を仰ぎ見るようにして言う。
「人では生きられない長い時を生きる木々なら、そういうこともあるかもしれませんね」
「うん。それより、体は大丈夫?」
青慈に問われて、咲希は微笑む。
「平気です。ただの立ちくらみだったみたい」
咲希が水を飲んで深呼吸すると、健やかな並木道だけが辺りに広がっていた。青慈を見上げると、彼は先ほど咲希の背を支えたように優しくそのまなざしを受け止めた。
「あ」
「今日はもう帰ろうか」
青慈は咲希を横抱きにして、車の方に歩み始める。
「大げさです」
「そんなことないよ。大事な妻だ」
さらりとそんなことを言って、青慈は車の助手席に咲希を乗せた。
車窓を去っていく並木道を見送りながら、咲希は樹の夢のことを考えた。
通り過ぎた冬の樹の夢は、どこかの地で本当にあったことなのだろうか。
けれど青慈は、樹に思いを馳せた咲希を優しくたしなめた。
「木々はまた診ればいい。僕は誰より、咲希に健やかでいてほしいんだ」
なんだか過保護にされていて、咲希はちょっとむずかゆかった。
青慈が注ぐのはどこまでも続くような並木道のような慈愛で、咲希は目がくらみそうだった。
咲希の会社は白嶺街の木々に水を巡らせ、その水を浄化する生業も行っているらしい。
咲希は会社の化学者として、並木道の樹木を点検することがあった。水質を調査し、樹皮から生育状況を確かめていた。
咲希が並木道の樹を調査して驚いたことには、白嶺街の木々はどれも年輪を重ねているのに健やかであることだった。
咲希は歩みながら伸びをして、ふとつぶやく。
「水と空気がきれいだからかしら。ここは気候もおだやかだもの」
咲希が顔を上げると、木立の間から陽光が差し込んでいた。きらきらと金色が混じり、咲希を明るく照らし出す。
光をみつめた直後にそうであるように、咲希が顎を引いたとき、世界が一瞬暗闇に沈んだ。
けれどその暗闇は白昼夢を伴って、咲希は立ったままそこに白嶺街とは違う土地を見ていた。
そこには枝葉がしおれ、雪が吹きつけて枯れかけた樹が立っていた。まもなく倒れるのではと思うほど、その樹には力がなかった。
雪さえも降らない白嶺街で、咲希が今までそのような樹に出会ったとは思えない。けれど咲希は遠い昔、それを見たような錯覚があった。
……冬の日、納屋の裏にその樹は立っていて、咲希はその下で井戸水を汲んだような気がする。
ふいに咲希がめまいを感じてよろめくと、青慈の声が聞こえた。
「樹の夢を見たかな?」
背中を支えられて我に返ると、点検に同行していた青慈の腕が回っていた。
立ち仕事を続けたための貧血だったのか、少し体がだるかった。咲希は青慈に助けられて縁石に腰を下ろして、持ち合わせの水を渡される。
ひとごこちつくと、咲希はそっと青慈にたずねる。
「樹の夢って?」
「おとぎ話だよ」
青慈はそう告げてから、言葉を続ける。
「白嶺街の木々はとても長く生きてきたから、時々夢を見るらしい。それで、遠い土地の樹が見た光景を目の前に描くのだそうだ」
それは青慈の言うとおり、不思議なおとぎ話だった。咲希は樹を仰ぎ見るようにして言う。
「人では生きられない長い時を生きる木々なら、そういうこともあるかもしれませんね」
「うん。それより、体は大丈夫?」
青慈に問われて、咲希は微笑む。
「平気です。ただの立ちくらみだったみたい」
咲希が水を飲んで深呼吸すると、健やかな並木道だけが辺りに広がっていた。青慈を見上げると、彼は先ほど咲希の背を支えたように優しくそのまなざしを受け止めた。
「あ」
「今日はもう帰ろうか」
青慈は咲希を横抱きにして、車の方に歩み始める。
「大げさです」
「そんなことないよ。大事な妻だ」
さらりとそんなことを言って、青慈は車の助手席に咲希を乗せた。
車窓を去っていく並木道を見送りながら、咲希は樹の夢のことを考えた。
通り過ぎた冬の樹の夢は、どこかの地で本当にあったことなのだろうか。
けれど青慈は、樹に思いを馳せた咲希を優しくたしなめた。
「木々はまた診ればいい。僕は誰より、咲希に健やかでいてほしいんだ」
なんだか過保護にされていて、咲希はちょっとむずかゆかった。
青慈が注ぐのはどこまでも続くような並木道のような慈愛で、咲希は目がくらみそうだった。