二度目の嫁入りは桜神の街~身ごもりの日々を溺愛の夫に包まれて~

7 永く

 咲希が研究室で植物の状態を観察して、周りの音も忘れるほど集中しているとき、森の中にいるような気分になる。
 実際、社員たちの集まる会社で働いているのだから、それは多くの中の一つになっている一体感だろうか。
 顔を上げて辺りを見回すと、天窓から金色の陽光が差し込んできていた。咲希が育てている桜たちは、季節柄、花こそ咲いてはいないが健やかに枝を伸ばしていて、悠々と過ごしているように見えた。
 森を思わせる研究室の中で一人、それは真夜中であれば寂しいのかもしれないが、真昼にここにいて咲希が感じるのはただ安息感だ。
 休憩時間になれば、青慈とコーヒーを飲む。その他愛ない時間が愛おしい。
 いつもの時を抱きしめながら、咲希はふと開け放った扉に目を留めた。
 咲希の研究室には分室に続くいくつかの扉がある。普段は閉じているが、誰かが入室しているときは開け放つこともある。
 そこから聞こえてきたのは、青慈の声だった。誰かと話しているようだが、相手の声は聞こえない。
 青慈とは夫婦になって少し経ったが、周りは温かく見守ってくれている。職場という場ではあるが、彼らは一種の家族のように咲希と青慈を包んでくれた。
 けれど今、青慈の声は少し強張っているようだった。彼は家でも職場でも声を荒らげたことがない人だが、今は何かの感情に押し流されていた。
 青慈は誰かに対して、かみつくように告げる。
 彼女に過去など要らない……つらい思いをさせた者たちなど、滅びればいい……。
 開け放った扉から冷気が流れ込むように、咲希はひどくそちら側に身を固くしながら、目を伏せて仕事に集中しようとした。皮肉にもそれはますます咲希の耳を鋭敏にして、耳に届くか届かないかの微かな声に全身を傾けてしまった。
 そのとき、相手の声が聞こえた。不思議なことに、それは青慈にそっくりの声だった。
 そうだね、君の言う通り、因果応報というものだろう……。
 青慈の声とその声がぴたりと重なったとき、咲希は目の前が暗くなった。
 肩を叩かれて振り向くと、そこに青慈の心配そうなまなざしがあった。彼の視線の先を追うと、咲希の頬に涙が流れた跡があった。
 彼はハンカチを取り出して咲希の頬を拭う。
「どうしたの、咲希」
「……私は病気なんでしょうか」
 ここが職場ということを忘れて、咲希は不安を口にしていた。
 時々見る夢、どうしてか途切れる意識は、この上なく穏やかな日常に小さな風穴を空けている。
 青慈は彼らしく、年上の落ち着きで咲希を宥めて言った。
「咲希は繊細な子だから。そこが愛おしくもあるのだけど」
 青慈は咲希の背をさすって、考えた後に告げる。
「少し仕事を休んでみる? それと……医者にも行こうか。一緒にね」
「でも、迷惑をかけたくありません」
 抵抗した咲希に、青慈は優しく目をのぞきこんだ。
「君は永く共に歩んでいく人なんだよ。僕に寄りかかって構わない」
 青慈は咲希の肩を引き寄せて自分にもたれさせた。
 咲希はその温もりに泣きたくなるような思いで、彼の肩を拠り所に目を閉じた。
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