ある日、憧れブランドの社長が溺愛求婚してきました
「やっぱり、佐々木さんのヘッドスパは日々の疲れが癒されますね」

 そう言って目を閉じたまま、長いまつ毛を僅かに揺らした客は、この美容室に通う常連客の一人である成宮統一郎(なりみやとういちろう)だ。
 統一郎は業界シェア一位の美容室専売ヘアケア用品を扱う会社の三代目社長で、製品の製造から販売までを手がける『フロレゾン』は、業界で知らない者はいない。
 
 シャンプーから仕上がりまで、全てを個室で完結できるこの店は、人目を気にする芸能人やセレブも通う人気店だった。

「ありがとうございます。成宮様にはいつもそう言っていただけて、励みになります」
「いや、お世辞なんかじゃなく本当の事ですよ」
「嬉しいです。ありがとうございます」

 常連客の言葉が余程嬉しかったのか、ヘッドスパ用クリームのアロマが漂う個室で、佐々木杏子(あんこ)は滅多に人前で見せない眩しい笑顔を浮かべる。
 杏子はいつもと同じく、お世辞にも華やかとは言えない全身黒ずくめのシンプルな服装だったが、彼女の艶めく長い黒髪や色白の肌は、それでも十分に見栄えがした。

「今日もありがとう、佐々木さん。これでまた仕事を頑張れそうだ」

 シャンプーを終えた統一郎はゆっくりと起き上がり、テーブルに置いてあったいかにも質の良さそうな眼鏡を手に取る。
 以前に外で素顔を晒すのは美容室くらいだと話していた統一郎だったが、眼鏡を掛けた横顔も誰もがつい見惚れてしまうほど整っていた。

「お疲れ様でした。店長を呼んできますね」
「ああ、悪いね」

 ぺこりと頭を下げ、部屋を出て行こうとした杏子に穏やかな笑みを浮かべた統一郎の表情は、冷たく怜悧な印象を与える普段の顔とは違っている。
 それだけでも杏子は、統一郎が施術したヘッドスパで心からリラックスしてくれたのだと思い、嬉しく感じたのだった。
 
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