ある日、憧れブランドの社長が溺愛求婚してきました
 日本で一番有名なヘアサロン専売品メーカーフロレゾンの新製品をどこよりも早く体験出来るとあって、セレニテは開店後も各メディアで連日取り上げられる人気店となった。
 
 杏子は自らスタッフと共に店に立ちながらも、合間では高山と共に取材に応じるという忙しい毎日を過ごしている。
 元々テレビや雑誌にも度々露出する有名美容師だった高山と違って、杏子は注目を浴びる事に慣れていない。

「大丈夫? 佐々木さん、ちょっと頑張り過ぎじゃない? あ、なんか久しぶりだなぁ……こういう会話。シャルマンでいた頃は、しょっちゅう言ってたよね。佐々木さんって、仕事の事になると頑張り過ぎちゃうから」

 雑誌の取材を受けた帰り、杏子は統一郎の手配した車の後部座席で並んで座る高山に、笑いを交えながらも心配そうに尋ねられた。
 高山とは取材やテレビ出演で一緒するだけで、美容師として共に働く事はなくなった為に、確かに久しぶりのやり取りだった。
 
「確かにそうですね。店長にはいつも心配してもらってばかりで。今でも変わらないなんて、ダメですね」
「そんな事ないよ。佐々木さんほど一生懸命仕事に打ち込んでる人間は、シャルマンにもいないからね。セレニテを任せられるのは佐々木さんしかいないって、そう思えたのも自然の流れだよな」
「本当に、ありがとうございます」

 自分の店を持つ事が夢だった杏子は、今あまりにも順風満帆な日々を送っているのが怖いくらいだった。
 憧れのフロレゾンに関わる事業、自分の店、他人に認められてやりがいのある日々。その全てが、数年前の杏子には想像も出来なかった未来だろう。

「それにしても、成宮は過保護だよなぁ。別に運転手付きの車を準備しなくたって、俺が車を出すって言ってんのに。俺の車に佐々木さんを乗せるのが嫌なんだとさ」

 唇を尖らせ、わざとらしく拗ねるような態度を見せる高山に杏子は微笑み返す。
 子どものような態度を取っても、年齢よりも若々しく見える高山は、つい先程も娘からの電話で頬を完全に緩めていた良き父親だ。

「最近は移動が多いですから。忙しい店長を、少しでも疲れさせない為だと思いますよ」
「いいや、違うね! 成宮は佐々木さんに近づく男には容赦しないから。この前だって佐々木さんを口説いたあのモデルを……」
「え……?」
「あ、いや、何でもない! そういえばさ、『田中清香』って人知ってる? 昨日シャルマン()に突然来て、『佐々木杏子さんに会わせてください』ってレセプション(受付)にしばらく居座ってね」

 田中清香……慎二の店で働いていた時、とにかく杏子を敵視しては陰湿な虐めを繰り返し、のちに慎二のもう一人の愛人だと判明した女性だった。
 その清香は以前慎二が杏子の部屋に押し掛けて来た時に、慎二の妻に慰謝料を払わず姿を消したと聞いていたが、杏子に何用だろうか。

「田中清香さんは、以前働いていた店の同僚です。ご迷惑をお掛けしてすみません。でも、どうして今更私を訪ねて来たのかは……分かりません」

 ほんの少し、窓を下げた。心地よい風がまとめ髪を施した杏子のこめかみの髪を揺らす。
 
「佐々木さんも、もう随分有名人だからなぁ。彼女が美容師なんだとしたら、働き口を探してるとか……お金の無心……とか? その様子だと、あんまり仲が良かった訳じゃなさそうだしね」
「前にお話した、元恋人のもう一人の相手です」
「うわぁ……そりゃあ会いたくない相手だな。今後店に来ても入れないように言っておくよ」

 シャルマンは顧客の安全の為に入り口に警備員が常駐する自社ビルに入っている。
 高山が言えば、今後清香がシャルマンに立ち入る事は決して出来ない。

「ご迷惑をお掛けして、すみま……」
「すみません、は無しだよ。俺だって昔はストーカーまがいの客が何度か店に押し掛けて来たり、アイドルをしてるお客様の女性問題で、個室で派手な揉め事が起きたりしたから。あの時は修羅場だったなぁ」

 そう言ってニカっと笑う高山の変わらぬ明るさに、杏子はほんの少し救われた気がした。
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