転生したら悪役令嬢未満でした。
リヒト王子の自由さにすっかり順応してしまった邸の者たちは、慌てることなくきっちり彼をお見送りしたようだった。優秀。
私は自分の部屋に戻り、クローゼット横に置いた『宝箱』の蓋を開けた。
木製の本体に銀の装飾が施されたそれは、単なる比喩ではなく見た目も本格派宝箱だ。日本にあったものに例えれば、『引っ越し用段ボール(特大)』くらい。最早これは小物入れではなく、家具だね家具。最初の『宝箱』はちゃんと小物入れだったはずなのに、二代目三代目と移し替えるうちにこうなってしまった。
物が溢れる都度、お父様にお願いして新しい『宝箱』を用意してもらうわけだが、「ヴィオは可愛いから仕方がない」とまったく仕方なくない顔で言われるのも、その都度である。まあ『宝箱』の中身の送り主の大半がお父様なのだから、当たり前か。ちなみにリヒト王子からのプレゼントは三割。数は少ないが、異彩を放っているので箱の中でも目立っている。
私はリヒト王子の区画に、今日もらった紙風船を仕舞った。
(さて。この後、何をしよう?)
今日は家庭教師の予定は入っていない。昼間からは人目があるので、頭に本を載せて歩くわけにもいかないし。……刺繍の練習が妥当だろうか。
都合が良いことに、前にリヒト王子にハンカチを渡した際に「何枚でも受け付けるよ」と言われている。お言葉に甘えて、チェスト一段が埋まるレベルで引き取ってもらおう。――いやそこまでしないと上達しないほど、腕前が壊滅的というわけではないけれど。……多分。
定番の花模様より、案外ゆるキャラでもかたどった方が上手くできるかも。何て思い付きを試みようとして、ふと感じた視線に私はそちらを振り返った。
「最近のお嬢様は毎日が楽しそうで、何よりでございます」
「ミーナ」
メイド長の姿を認めて、私は彼女の名を呼んだ。
「楽しそう」と口にした彼女こそ楽しそうな顔で、すっと私に一通の封筒を手渡してくる。
私は何気なしに、その中身であった一枚のカードを取り出し確認した。
(ぶっ)
危ない。令嬢らしからぬ笑い方をするところだった。
滑らかな上質紙に書かれて――いや描かれていたのは、ちまっとした手書きの絵。アメショな猫のゆるキャラが空っぽの皿の前に座り、その頭上に「ごちそうさまでした!」という台詞が書かれている……日本語で。
日本にいた頃、SNSで使っていたスタンプにこういうのがあったなと思い出す。理人と一緒に出かけて帰宅した直後、やはり彼からポンッとスタンプだけが送られてくることがあった。
それにしてもここでゆるキャラ絵を提供してくるとか、どんな以心伝心だ。せっかく堪えたのに、結局笑いが零れてしまう。極力、控え目にはした。
「以前、突然、庶民の店のアップルパイを用意するよう申し付けられたときは驚きましたが、あの頃からお嬢様には良い変化があったように思います」
「そうかしら?」
私はカードと封筒をテーブルに置き、刺繍道具を準備しながら返事をした。
変化は……それはあっただろう。中身がお嬢様から現代田舎の社会人になったのだから。ミーナが「良い変化」と言ってくれたことに、ホッと胸を撫で下ろす。
「お嬢様は、テウトリカ家の名を気にし過ぎるきらいがありました。リヒト殿下のお心がお嬢様に向けられているのは明白ですのに、お嬢様の方は信じておられず……。一向に、あくまで家と家との約束という態度を崩されない。お嬢様も殿下をお好きでしょうに、すれ違わないか随分と心配いたしました。ですから、殿下への贈り物として刺繍をなさっている姿をお見かけしたときには、嬉しさのあまり泣きそうに……」
「そこまで……」
幾ら何でも大袈裟ではと、呆れ交じりにミーナを見る。刺繍の残念な出来に「泣きそう」になら、させる自信はあったが。
「そこまでだったのです、お嬢様の頑なさは。もし殿下が他のお嬢様に少しでも惹かれる様子でも見せたなら、身を引くために「自分も好きな相手がいる」とでも偽りそうでした」
「……」
今ここで吹かなかった私、頑張った。
その台詞聞き覚えあるわ……あり過ぎるわ……。さすが、メイド長。
「リヒト殿下とお嬢様なら、きっと末永く穏やかで幸せな結婚生活を送れます。私はそう確信しております」
「それは期待に応えないといけないわね」
曰く付きの台詞を言い当てたミーナに断言されたなら、心強い。
私は真剣な顔つきでいる彼女に、「応える自信はあるわ」と微笑んでみせた。
「素敵な約束をしたのよ。結婚八十五年目に、式の日に造ったワインを一緒に開けるの」
「まあ」
私の述べた理由にミーナが驚き顔になって、次いで彼女が破顔する。
そんな彼女に私は悪戯っぽい顔で、「良い葡萄の産地を調べておいてね」と今日も突然に申し付けた。
私は自分の部屋に戻り、クローゼット横に置いた『宝箱』の蓋を開けた。
木製の本体に銀の装飾が施されたそれは、単なる比喩ではなく見た目も本格派宝箱だ。日本にあったものに例えれば、『引っ越し用段ボール(特大)』くらい。最早これは小物入れではなく、家具だね家具。最初の『宝箱』はちゃんと小物入れだったはずなのに、二代目三代目と移し替えるうちにこうなってしまった。
物が溢れる都度、お父様にお願いして新しい『宝箱』を用意してもらうわけだが、「ヴィオは可愛いから仕方がない」とまったく仕方なくない顔で言われるのも、その都度である。まあ『宝箱』の中身の送り主の大半がお父様なのだから、当たり前か。ちなみにリヒト王子からのプレゼントは三割。数は少ないが、異彩を放っているので箱の中でも目立っている。
私はリヒト王子の区画に、今日もらった紙風船を仕舞った。
(さて。この後、何をしよう?)
今日は家庭教師の予定は入っていない。昼間からは人目があるので、頭に本を載せて歩くわけにもいかないし。……刺繍の練習が妥当だろうか。
都合が良いことに、前にリヒト王子にハンカチを渡した際に「何枚でも受け付けるよ」と言われている。お言葉に甘えて、チェスト一段が埋まるレベルで引き取ってもらおう。――いやそこまでしないと上達しないほど、腕前が壊滅的というわけではないけれど。……多分。
定番の花模様より、案外ゆるキャラでもかたどった方が上手くできるかも。何て思い付きを試みようとして、ふと感じた視線に私はそちらを振り返った。
「最近のお嬢様は毎日が楽しそうで、何よりでございます」
「ミーナ」
メイド長の姿を認めて、私は彼女の名を呼んだ。
「楽しそう」と口にした彼女こそ楽しそうな顔で、すっと私に一通の封筒を手渡してくる。
私は何気なしに、その中身であった一枚のカードを取り出し確認した。
(ぶっ)
危ない。令嬢らしからぬ笑い方をするところだった。
滑らかな上質紙に書かれて――いや描かれていたのは、ちまっとした手書きの絵。アメショな猫のゆるキャラが空っぽの皿の前に座り、その頭上に「ごちそうさまでした!」という台詞が書かれている……日本語で。
日本にいた頃、SNSで使っていたスタンプにこういうのがあったなと思い出す。理人と一緒に出かけて帰宅した直後、やはり彼からポンッとスタンプだけが送られてくることがあった。
それにしてもここでゆるキャラ絵を提供してくるとか、どんな以心伝心だ。せっかく堪えたのに、結局笑いが零れてしまう。極力、控え目にはした。
「以前、突然、庶民の店のアップルパイを用意するよう申し付けられたときは驚きましたが、あの頃からお嬢様には良い変化があったように思います」
「そうかしら?」
私はカードと封筒をテーブルに置き、刺繍道具を準備しながら返事をした。
変化は……それはあっただろう。中身がお嬢様から現代田舎の社会人になったのだから。ミーナが「良い変化」と言ってくれたことに、ホッと胸を撫で下ろす。
「お嬢様は、テウトリカ家の名を気にし過ぎるきらいがありました。リヒト殿下のお心がお嬢様に向けられているのは明白ですのに、お嬢様の方は信じておられず……。一向に、あくまで家と家との約束という態度を崩されない。お嬢様も殿下をお好きでしょうに、すれ違わないか随分と心配いたしました。ですから、殿下への贈り物として刺繍をなさっている姿をお見かけしたときには、嬉しさのあまり泣きそうに……」
「そこまで……」
幾ら何でも大袈裟ではと、呆れ交じりにミーナを見る。刺繍の残念な出来に「泣きそう」になら、させる自信はあったが。
「そこまでだったのです、お嬢様の頑なさは。もし殿下が他のお嬢様に少しでも惹かれる様子でも見せたなら、身を引くために「自分も好きな相手がいる」とでも偽りそうでした」
「……」
今ここで吹かなかった私、頑張った。
その台詞聞き覚えあるわ……あり過ぎるわ……。さすが、メイド長。
「リヒト殿下とお嬢様なら、きっと末永く穏やかで幸せな結婚生活を送れます。私はそう確信しております」
「それは期待に応えないといけないわね」
曰く付きの台詞を言い当てたミーナに断言されたなら、心強い。
私は真剣な顔つきでいる彼女に、「応える自信はあるわ」と微笑んでみせた。
「素敵な約束をしたのよ。結婚八十五年目に、式の日に造ったワインを一緒に開けるの」
「まあ」
私の述べた理由にミーナが驚き顔になって、次いで彼女が破顔する。
そんな彼女に私は悪戯っぽい顔で、「良い葡萄の産地を調べておいてね」と今日も突然に申し付けた。