三毛猫が紡ぐ恋
 陸上部の列がすぐ真横を通り過ぎていく瞬間、千尋の耳には確かに聞こえた。千尋が知っている小学生の頃とは違い、声変わりして随分低くなっていたけれど、海斗の声で短くはっきりと。

「ミケ」

 驚いて振り返った千尋の顔を、言った海斗本人も驚いたように見ている。そして、吹き出すのを堪えた微妙な顔になったかと思うと、前を向き直してから走り去っていく。慌ただしい足音を立てて遠のく一団の後ろ姿を、瞬きも忘れて茫然と見送る。

「千尋?」
「あ、ううん。雨きつくなりそうだし、早く帰ろ」

 何があったのかと不思議そうな有希には、何でもないと思わず誤魔化してしまった。でも、内心はドキドキだった。海斗からの不意打ちに、心臓がバクバク鳴っていた。

 ――今、ミケって言った?! 海斗が私に向かってミケって……。

 飼い猫が遊びに行く先が千尋の部屋だということに、彼がどうやって気付いたのかは分からない。けれど間違いなく、海斗は手紙の相手が同級生だと知ってしまったようだった。だから、千尋にだけ聞こえるような声でそっと猫の名を口にした。そして、その反応を見て確信したはずだ。


 数日続いた雨が上がり、久しぶりに温かく穏やかな天候になったからだろう、馴染の三毛猫が部屋の網戸の前で鳴いた。
 「ナァー」という愛らしい声に、慌てて窓を開けた千尋は遠慮なく入り込んでくる猫に、思わず顔を綻ばせる。

「久しぶりだね。ずっと雨だったもんね」
「ナァー」

 ゴロゴロと喉を鳴らしながら脚へ擦り寄ってくる猫を、しゃがみ込んで抱き上げる。三色の毛からはふんわりとお日様の匂いがしたので、どこかで日向ぼっこをしてから寄ったのだろうか。

 床に座り込み、膝の上に猫を乗せると、毛流れに沿って優しく撫でる。赤色の首輪を探ってみれば、細く折り畳まれた紙が括り付けられていた。
 その瞬間、一気に鼓動が早くなったのが分かった。首輪に触れたまま止まってしまった千尋のことを、ミケが不思議そうに顔を覗き込んでくる。

 ミケが苦しくないよう、首輪を引っ張らずに手紙を外すのは簡単だ。なのに、つい恐る恐るの仕草になってしまうのは、少し緊張しているからか。細かく折り目のついたメモ用紙を丁寧に開いていくと、見慣れた鉛筆書きの字が並んでいた。

『ミケ共々、これからもよろしく』

 何がよろしくなんだ、とふっと鼻から笑いが漏れ出た。互いに相手が誰だか分かった上で、この猫を通じたアナログなやり取りをまだ続けていくつもりなんだ、と。

 机からいつものメモ用紙を引っ張り出すと、千尋はそれにこう書き込んだ。

『こちらこそ、これからもよろしく』
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