スパダリドクターの甘やかし宣言
小松さんの分娩も無事終わり、休憩に入った私は階段で産科病棟の二つ上のフロアまできていた。
わざわざ別フロアまで行くのは、お気に入りのカフェラテが売っている自動販売機が産科病棟にはないから。それに体を動かして気分をリフレッシュしたいという意味合いもある。
皆エレベーターを使うので階段には人がほとんどいない。気兼ねなく伸びをしながら、考えるのは赤羽さんのこと。
(今日も拒絶されちゃったなぁ……打ち解けられる日なんて来ない気がする……)
助産師になって六年目。今までプリセプターは三回務めてきたけれど、今回が一番苦戦している。まだ彼女のプリセプターになって三ヶ月も経っていないのに、もう心が挫けそうだ。とはいっても投げ出すわけにはいかないので頑張るしかない。
先行きに不安を感じつつ、カフェラテの缶を片手に階段を下る。するとにわかにつんざくような女性の声がした。
「もー!聞いてよー!また鬼に怒られちゃってさー!」
私はハッとして足を止めた。
この声は赤羽さんだ。
側壁に身を乗り出し、折り返し階段の下をそうっと覗き込むと、ゆるくカールしたダークブラウンのポニーテール、それに薄ピンクのナース服を着た後ろ姿が見えた。あれは間違いなく赤羽さんだ。耳元に何かを当てているようだから電話でもしているんだろうか。
病棟でのボソボソとした小さな声とは比べ物にならないくらいハキハキ――むしろ嬉々として話している。
赤羽さんの姿は見えないけれど、今フロアに戻ろうとしたら彼女と出くわしてしまうかもしれない。どうにも動けなくて、私はその場で立ち尽くした。
赤羽さんの刺々しい声がいやでも耳に入ってくる。
「――そうそう、水瀬さん!あの人、本っ当に嫌味でさ――そうなの!ちょっと一個小さいミスしただけなのに、十くらいお説教が返ってきて。本当にパワハラえげつないんだけど。今度師長に訴えてみようかなー」
水瀬莉子は、私の名前。
予想はしていたけれどやっぱり自分の名前が出てきて、胸がズキリと痛んだ。
確かに赤羽さんには注意ばかりしてしまっている。自分ではなるべく気を遣って指導しているつもりだっただけに、鬼とかパワハラなんて言われると心にクるものがあった。
でも私たち助産師は妊産婦さんと、生まれてくる赤ちゃんの命を預かっていると言っても過言じゃない。
一つの些細なミスでも、それが重大な医療事故に繋がる場合だってあるのだ。彼女にそれを自覚してもらえていないのは、私の指導不足なのかもしれない。
私の愚痴で盛り上がる赤羽さんの声が響き渡る中、私はジッとその場で立ち尽くしていた。
わざわざ別フロアまで行くのは、お気に入りのカフェラテが売っている自動販売機が産科病棟にはないから。それに体を動かして気分をリフレッシュしたいという意味合いもある。
皆エレベーターを使うので階段には人がほとんどいない。気兼ねなく伸びをしながら、考えるのは赤羽さんのこと。
(今日も拒絶されちゃったなぁ……打ち解けられる日なんて来ない気がする……)
助産師になって六年目。今までプリセプターは三回務めてきたけれど、今回が一番苦戦している。まだ彼女のプリセプターになって三ヶ月も経っていないのに、もう心が挫けそうだ。とはいっても投げ出すわけにはいかないので頑張るしかない。
先行きに不安を感じつつ、カフェラテの缶を片手に階段を下る。するとにわかにつんざくような女性の声がした。
「もー!聞いてよー!また鬼に怒られちゃってさー!」
私はハッとして足を止めた。
この声は赤羽さんだ。
側壁に身を乗り出し、折り返し階段の下をそうっと覗き込むと、ゆるくカールしたダークブラウンのポニーテール、それに薄ピンクのナース服を着た後ろ姿が見えた。あれは間違いなく赤羽さんだ。耳元に何かを当てているようだから電話でもしているんだろうか。
病棟でのボソボソとした小さな声とは比べ物にならないくらいハキハキ――むしろ嬉々として話している。
赤羽さんの姿は見えないけれど、今フロアに戻ろうとしたら彼女と出くわしてしまうかもしれない。どうにも動けなくて、私はその場で立ち尽くした。
赤羽さんの刺々しい声がいやでも耳に入ってくる。
「――そうそう、水瀬さん!あの人、本っ当に嫌味でさ――そうなの!ちょっと一個小さいミスしただけなのに、十くらいお説教が返ってきて。本当にパワハラえげつないんだけど。今度師長に訴えてみようかなー」
水瀬莉子は、私の名前。
予想はしていたけれどやっぱり自分の名前が出てきて、胸がズキリと痛んだ。
確かに赤羽さんには注意ばかりしてしまっている。自分ではなるべく気を遣って指導しているつもりだっただけに、鬼とかパワハラなんて言われると心にクるものがあった。
でも私たち助産師は妊産婦さんと、生まれてくる赤ちゃんの命を預かっていると言っても過言じゃない。
一つの些細なミスでも、それが重大な医療事故に繋がる場合だってあるのだ。彼女にそれを自覚してもらえていないのは、私の指導不足なのかもしれない。
私の愚痴で盛り上がる赤羽さんの声が響き渡る中、私はジッとその場で立ち尽くしていた。