『彩生世界』の聖女じゃないほう ~異世界召喚されました。こうなったらやってみせます完全攻略~
(私が物語のヒロインなら、「嬉しい」という正解の選択肢を迷わず選べたのにね)

 未練がましく、そんなどうにもならないことまで考えてしまう。

「そうですか。それは良かった」

 だから私はナツメの言葉を聞き逃し、彼が触れていた額を離した理由に気付けなかった。

「貴女は断らなかった。何故なら、断りたくなかったから」
「! ナツ――」

 遅れて意図に気付き呼ぼうとした名が、その主の口に呑み込まれて消える。
 押し返そうとナツメの胸に伸ばした手は、(はか)ったかのように彼の手に絡め取られ、壁に縫い付けられた。

「んん……っ」

 息苦しさに開けたはずの口が、さらに空気を奪われる。
 舌で歯列をなぞられ、快感に全身が(あわ)()つ。熱さ以上にその激しさに翻弄される。

「ふ……ぅ、ん……っ」

 逃げるふりをする舌を追われる。押し返すふりに(かこつ)けて(すが)った手を、握り返される。
 望んで囚われた(おり)を免罪符に、私は抵抗を止め瞼を閉じた。

(ナツメ……)

 この状況を避けようとして、言葉を選んだつもりだった。
 それなのに、強く私を捕らえるナツメの手に、隙間無く重なる唇に、自分は安堵すら感じている。

「口の中というのは正直なもので。他人と同じものを口にしても、個人の好みで快か不快かが変わるんです」

 ふっと離れたナツメの口が、内緒話でもするかのように私に囁く。

「俺とのキスは好きですか? アヤコさん」

 問うだけ問うて彼の口は、答を聞く前に私の口を再び塞ぐ。
 ナツメはわかっている。私がその答を返す相手が、私自身であることを。だから、口で言う必要はないことを。

「――アヤコさん、俺のことが、好きですか?」

 唇が掠める距離で、再度問われる。
 聞かないで欲しい。答えられない。

「もっと、貴女にキスしても?」

 聞かないで。
 聞かないで。
 答えてしまうから。

「アヤコさん。このまま俺とルシスで――」

 ゴトンッ

「⁉」

 突如、静かな室内に物音が響いた。
 ハッとして目を開ければ、松明の一つが床に落ちているのが目に入る。

(嘘……)

 最初は音に驚いた。けれどその次には、それ以上に別の理由が私を震わせた。
 同じく音の出処を振り返ったナツメの向こう、黒い影が揺らぐ。

「魔、獣……」

 自分で発した言葉のはずなのに、私は信じられない思いでそれを聞いた。
 魔獣は、集めたマナをルシスに持ち帰る。それはつまり、魔獣の本当の住処は境界線を通ったその先、ルシスの神域ということ。そして今、その神域への扉はナツメによって開かれている。

「私……」

 知っていた。
 ナツメが開いた扉を通り、大鏡から魔獣が現れることを、私は知っていた。

「私、私はっ……知ってたのに!」

 揺らいでいた黒い影が、魔獣の姿に定まる。

「グルル……」
「あ……」

 そしてそれが私たちを標的と見て、(ちよう)(やく)したのが見えた。
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