『彩生世界』の聖女じゃないほう ~異世界召喚されました。こうなったらやってみせます完全攻略~
全身が、柔らかく温かいものに包まれている。
今度の私が感じたのは、それだった。
それから、誰かが左手に触れているようだった。
妙な触れ方なのは、おそらく脈を測っているからだろう。前にもこんなことがあった。
(……え?)
『前にもこんなことがあった』。それが意味するところに驚き、私はハッとして目を開いた。
「アヤコさん!」
私以上に驚いた紫の瞳と、目が合う。
そうだ。私はあのとき、この瞳を見て思った。『あ、これ夢だわ』と。現実では有り得ない容姿だと。
覚えている、そのときのことを。
「ナツメ」
覚えている。そのときの、そしてここにいる人の名前を。
「! 俺のこと、わかるんですか⁉」
「わかる……わ」
わかる。だからこそ、わからない。
私は周りに目を向け、自分の今の状況を確認した。
ここは『交信の間』で、私は床に描かれた魔法陣の上にいるようだった。正確に言えば、その上に座るナツメの膝の上で横抱きにされていた。
辺りに他に人の気配は無い。
「! まさか美生が⁉」
思い至った可能性に、私は大鏡を振り返った。
「ミウさんなら、カサハさんたちと外です。ちゃんと彼女には、元の世界の記憶もあります」
「そう……良かった」
ナツメの簡潔な答に、ほっと胸を撫で下ろす。
そんな私とは対照的に、ナツメは不安げに揺れる瞳で私を見てきた。
「ミウさんに記憶がある。ルシスも未だかつてないほどに、マナに満ちた世界になっています。アヤコさん、貴女が元の世界の記憶を失っているということはありませんか?」
その不安を、青ざめた顔で尋ねてくるナツメ。
「それは有り得ないわ。だって、私の元の世界は美生と違って『ルシスの記憶』を持っていないもの」
「でもマナの光は、確かに貴女からルシスに還っていました。俺たちは一体、貴女から何を奪ってしまったんですかっ⁉」
叫ぶように言ったナツメが、額に手を当て俯く。
ひとまず取り乱した様子の彼を落ち着かせようと、私はそっとその肩に触れた。
「本当、ナツメって公式の設定から大分――」
次いで茶化すように、そう口にして――その先が止まる。
公式のナツメの設定……それってどんな?
(どんな……だっけ?)
わからないはずがない。何度もクリアしたゲームだ、それこそ会話や戦闘の手順を覚えてしまうほどに。
それなのに――
「……思い出せない」
「! 何をですか⁉」
私の呟きに、弾かれたようにしてナツメが顔を上げる。
「ナツメじゃない『ナツメ』が、思い出せない」
「――――は?」
今程声を荒げた口の形のままに、それとは真逆の呆けた声がナツメの口から零れた。彼の表情も、険しかったものから困惑したものに変わる。
しかしそれも程なくして、普段見る澄ました顔に戻った。「ああ、なるほど」という彼の深い溜息とともに。
「そういえば、あの崖にはルーセンさんもいたんでした」
「崖?」
「その『ナツメ』は、思い出せなくてもいいですよね? 貴女を知らない『ナツメ』を、貴女が覚えている必要なんてない。忘れたっていいことです」
「……あ」
どこか聞き覚えのある台詞に、私はナツメの納得顔の理由に思い至った。同時に、自分が失った『ルシスの記憶』の顛末についても理解する。
(ルーセンは、ここ以外のルシスの記憶を持っていったのね)
ナツメが言うように、崖でのナツメの台詞をルーセンは思い出したのかもしれない。私にも『ルシスの記憶』が二つ以上在ったということを。
(私、ここにいるナツメのことは忘れてない。これからも、忘れることはない)
ドクンと、心臓が跳ねる。早鐘を打ち始める。
熱を宿した、血が巡る。
行動を急かすようなそれに、私は衝動のままにナツメの頬に手を伸ばした。
「ナツメ」
触れる。触れることができる。
そのまま伸び上がって、ナツメにキスをすれば彼は固まって――それから少し意地の悪い顔になった。
「貴女からキスとは、何か裏があるんですか?」
その台詞も覚えている。峡谷でした遣り取りだ。
「大いに裏があってもいいんでしょう?」
だから私は彼の台詞に乗った。ちゃんとそれも覚えていると、伝えるために。
「まあ正しくは、裏とは別に表もあるけれど」
散々なことをしておいて、「やっぱり貴方と一緒にいたい」と虫の良い話を言い出すつもりなのだから、そんなの『裏』もいいところだろう。
「そうですか。では、まず表を聞きましょう」
「――ナツメが好き、だから」
意外にも、素直に言葉が出て驚いた。一度告白して、振り切れてしまったのかもしれない。
私同様、ナツメが驚いた顔をして。次にそれが微笑みに変わる。
それから彼は、私の耳元に口を寄せてきた。
「ありがとうございます。裏は――今夜、聞かせて下さい」
今度の私が感じたのは、それだった。
それから、誰かが左手に触れているようだった。
妙な触れ方なのは、おそらく脈を測っているからだろう。前にもこんなことがあった。
(……え?)
『前にもこんなことがあった』。それが意味するところに驚き、私はハッとして目を開いた。
「アヤコさん!」
私以上に驚いた紫の瞳と、目が合う。
そうだ。私はあのとき、この瞳を見て思った。『あ、これ夢だわ』と。現実では有り得ない容姿だと。
覚えている、そのときのことを。
「ナツメ」
覚えている。そのときの、そしてここにいる人の名前を。
「! 俺のこと、わかるんですか⁉」
「わかる……わ」
わかる。だからこそ、わからない。
私は周りに目を向け、自分の今の状況を確認した。
ここは『交信の間』で、私は床に描かれた魔法陣の上にいるようだった。正確に言えば、その上に座るナツメの膝の上で横抱きにされていた。
辺りに他に人の気配は無い。
「! まさか美生が⁉」
思い至った可能性に、私は大鏡を振り返った。
「ミウさんなら、カサハさんたちと外です。ちゃんと彼女には、元の世界の記憶もあります」
「そう……良かった」
ナツメの簡潔な答に、ほっと胸を撫で下ろす。
そんな私とは対照的に、ナツメは不安げに揺れる瞳で私を見てきた。
「ミウさんに記憶がある。ルシスも未だかつてないほどに、マナに満ちた世界になっています。アヤコさん、貴女が元の世界の記憶を失っているということはありませんか?」
その不安を、青ざめた顔で尋ねてくるナツメ。
「それは有り得ないわ。だって、私の元の世界は美生と違って『ルシスの記憶』を持っていないもの」
「でもマナの光は、確かに貴女からルシスに還っていました。俺たちは一体、貴女から何を奪ってしまったんですかっ⁉」
叫ぶように言ったナツメが、額に手を当て俯く。
ひとまず取り乱した様子の彼を落ち着かせようと、私はそっとその肩に触れた。
「本当、ナツメって公式の設定から大分――」
次いで茶化すように、そう口にして――その先が止まる。
公式のナツメの設定……それってどんな?
(どんな……だっけ?)
わからないはずがない。何度もクリアしたゲームだ、それこそ会話や戦闘の手順を覚えてしまうほどに。
それなのに――
「……思い出せない」
「! 何をですか⁉」
私の呟きに、弾かれたようにしてナツメが顔を上げる。
「ナツメじゃない『ナツメ』が、思い出せない」
「――――は?」
今程声を荒げた口の形のままに、それとは真逆の呆けた声がナツメの口から零れた。彼の表情も、険しかったものから困惑したものに変わる。
しかしそれも程なくして、普段見る澄ました顔に戻った。「ああ、なるほど」という彼の深い溜息とともに。
「そういえば、あの崖にはルーセンさんもいたんでした」
「崖?」
「その『ナツメ』は、思い出せなくてもいいですよね? 貴女を知らない『ナツメ』を、貴女が覚えている必要なんてない。忘れたっていいことです」
「……あ」
どこか聞き覚えのある台詞に、私はナツメの納得顔の理由に思い至った。同時に、自分が失った『ルシスの記憶』の顛末についても理解する。
(ルーセンは、ここ以外のルシスの記憶を持っていったのね)
ナツメが言うように、崖でのナツメの台詞をルーセンは思い出したのかもしれない。私にも『ルシスの記憶』が二つ以上在ったということを。
(私、ここにいるナツメのことは忘れてない。これからも、忘れることはない)
ドクンと、心臓が跳ねる。早鐘を打ち始める。
熱を宿した、血が巡る。
行動を急かすようなそれに、私は衝動のままにナツメの頬に手を伸ばした。
「ナツメ」
触れる。触れることができる。
そのまま伸び上がって、ナツメにキスをすれば彼は固まって――それから少し意地の悪い顔になった。
「貴女からキスとは、何か裏があるんですか?」
その台詞も覚えている。峡谷でした遣り取りだ。
「大いに裏があってもいいんでしょう?」
だから私は彼の台詞に乗った。ちゃんとそれも覚えていると、伝えるために。
「まあ正しくは、裏とは別に表もあるけれど」
散々なことをしておいて、「やっぱり貴方と一緒にいたい」と虫の良い話を言い出すつもりなのだから、そんなの『裏』もいいところだろう。
「そうですか。では、まず表を聞きましょう」
「――ナツメが好き、だから」
意外にも、素直に言葉が出て驚いた。一度告白して、振り切れてしまったのかもしれない。
私同様、ナツメが驚いた顔をして。次にそれが微笑みに変わる。
それから彼は、私の耳元に口を寄せてきた。
「ありがとうございます。裏は――今夜、聞かせて下さい」