『彩生世界』の聖女じゃないほう ~異世界召喚されました。こうなったらやってみせます完全攻略~
宿までナツメと手を繋いで帰ったものだから、美生にはキラキラとした瞳で見られた。一方、ルーセンの目には私がナツメに連行されているように映ったらしい。うん、そっちが正解。
それぞれの部屋に戻り、後は朝まで自由行動。夕食は市場で散々食べたのでパスした。
風呂と着替えを済ませ、ベッドにごろりと横になる。それから私は、常に懐に入れているいつものメモを取り出した。
美生がカサハルートに入ったため詳細は書き加えていないが、私は最初に全員分の恋愛イベントタイトルだけは箇条書きで書いていた。
ナツメルートの項目を目で追う。尾行中にナツメに尋ねられ思い起こしていたあのイベントには、まだ続きがある。その日の夜、ナツメの回想という形で、彼が治療士に目覚めるきっかけとなった出来事が語られるのだ。
ゲームのタイトル画面から行ける『EXTRA』では、見たことがあるイベントを再度見ることができる。さすがにすべてのイベント名は覚えていないが、ナツメのこの回想は印象に残っていた。
イベント名は、『救う側の者』――
その日、四歳になったばかりのナツメは、母と二人暮らしているイスミナの街を母と一緒に歩いていた。
神殿へ礼拝した帰り道で、今日は降神祭が執り行われていたこともあり、人通りが多い日だった。
「あら?」
ナツメの手を引いていた母が、道の端に何かを見つけて立ち止まる。
「まあ……可哀想に」
母が見つけた何かに、ナツメも目を向けた。
そこには荷馬車にでも轢かれたのだろうか、血だらけの猫が一匹横たわっていた。
ナツメが見つめる最中、不意に猫の長い尻尾の先だけが微かに動いた。その様子を見たナツメは、つい先程神殿で見たばかりの『奇跡』を思い出した。
(生きてるなら)
母の手を離し、猫に歩み寄る。
ナツメは猫の側にしゃがみ込んだ。
(えっと……そう、確か元気な体を想像するって言ってた……)
神官の言葉を思い出しながら、『奇跡』を起こす詠唱を真似て口にする。
それからそっと猫の体に触れれば、ナツメの手のひらを中心として、猫の体に光が現れ広がった。
「ナツメ?」
何をしているのかなかなか猫の側を離れようとしない息子に、母が訝しげにその名を呼びながら近寄ってくる。
「ほら、もう大丈夫だよ。お母さん」
ナツメは猫を抱き上げ、すぐ側まで来た母に見せた。猫を治せば、哀しげな顔をしていた母が喜んでくれると思っていた。
「! 何てこと!」
けれどそう思っていた母は叫んだ後、両手で口を押さえ、その場に膝から崩れて座り込んでしまった。
突然叫び声を上げた女性に、周辺を行き交っていた人々が何事かと次々に振り返る。
「何てことなの……ああ、あなたはきっと神の子なんだわ。そうと知らずに我が子として育ててしまうなんて……!」
座り込んだ母は、そのままナツメに向かって祈るように手を組み頭を垂れた。
徒事ではない気配に、がやがやと人が集まってくる。そして彼らは側の少年――ナツメの腕に抱かれた猫を見て、皆一様に驚愕した。
猫の体は光に包まれており、不自然な角度に曲がっていた手足が人々の目の前で元通りに戻っていく。血まみれの一見すると死んでいてもおかしくないはずの猫は、呑気にも顔を洗い始めた。
母と同じく口々に「神の子だ」という言葉が周りから上がる中、ナツメは呆然と未だ顔を見せてくれない母を見つめていた。
(神様の子? 僕はお母さんの子供が良い)
「そうだわ。今日お会いした神官様に、あなたをお願いしましょう。もうあのようなあばら屋に、住まわせるわけには行かないわ。然るべき環境で育てていただきましょう」
(どうして? 僕はお母さんと暮らす今の家が良い)
たっ
腕から抜け出した猫が地面に降り立つ。
ナツメを一度も振り返ることなく、猫が去って行く。
母の顔も、あの猫のようにもう二度と見ることが叶わないのだろうか。
(ああ、そっか)
どよめく人の輪の中心、ナツメは自身の両手を見下ろした。
(神様は僕以外を助けるために、僕を選んだんだ……)
私は、メモを折り畳んでまた懐に仕舞った。
『彩生世界』のナツメが頑なに美生を元の世界に帰そうとするのは、この彼の「自分は救われない側」であるという認識が根本にある。公式ではナツメルートのエンディングで、彼に告白した美生がナツメと出会わせてくれた召喚魔法に感謝し、そのことで彼はようやく自身の能力を肯定することができた……という結末を迎えていた。
「こっちのナツメも、いつかは救われるといいけど……」
ぼんやりと天井を見ながら、呟く。
その願いは本物であるはずなのに、私は彼を救える『誰か』の幻が形になる前に掻き消してしまっていた。
それぞれの部屋に戻り、後は朝まで自由行動。夕食は市場で散々食べたのでパスした。
風呂と着替えを済ませ、ベッドにごろりと横になる。それから私は、常に懐に入れているいつものメモを取り出した。
美生がカサハルートに入ったため詳細は書き加えていないが、私は最初に全員分の恋愛イベントタイトルだけは箇条書きで書いていた。
ナツメルートの項目を目で追う。尾行中にナツメに尋ねられ思い起こしていたあのイベントには、まだ続きがある。その日の夜、ナツメの回想という形で、彼が治療士に目覚めるきっかけとなった出来事が語られるのだ。
ゲームのタイトル画面から行ける『EXTRA』では、見たことがあるイベントを再度見ることができる。さすがにすべてのイベント名は覚えていないが、ナツメのこの回想は印象に残っていた。
イベント名は、『救う側の者』――
その日、四歳になったばかりのナツメは、母と二人暮らしているイスミナの街を母と一緒に歩いていた。
神殿へ礼拝した帰り道で、今日は降神祭が執り行われていたこともあり、人通りが多い日だった。
「あら?」
ナツメの手を引いていた母が、道の端に何かを見つけて立ち止まる。
「まあ……可哀想に」
母が見つけた何かに、ナツメも目を向けた。
そこには荷馬車にでも轢かれたのだろうか、血だらけの猫が一匹横たわっていた。
ナツメが見つめる最中、不意に猫の長い尻尾の先だけが微かに動いた。その様子を見たナツメは、つい先程神殿で見たばかりの『奇跡』を思い出した。
(生きてるなら)
母の手を離し、猫に歩み寄る。
ナツメは猫の側にしゃがみ込んだ。
(えっと……そう、確か元気な体を想像するって言ってた……)
神官の言葉を思い出しながら、『奇跡』を起こす詠唱を真似て口にする。
それからそっと猫の体に触れれば、ナツメの手のひらを中心として、猫の体に光が現れ広がった。
「ナツメ?」
何をしているのかなかなか猫の側を離れようとしない息子に、母が訝しげにその名を呼びながら近寄ってくる。
「ほら、もう大丈夫だよ。お母さん」
ナツメは猫を抱き上げ、すぐ側まで来た母に見せた。猫を治せば、哀しげな顔をしていた母が喜んでくれると思っていた。
「! 何てこと!」
けれどそう思っていた母は叫んだ後、両手で口を押さえ、その場に膝から崩れて座り込んでしまった。
突然叫び声を上げた女性に、周辺を行き交っていた人々が何事かと次々に振り返る。
「何てことなの……ああ、あなたはきっと神の子なんだわ。そうと知らずに我が子として育ててしまうなんて……!」
座り込んだ母は、そのままナツメに向かって祈るように手を組み頭を垂れた。
徒事ではない気配に、がやがやと人が集まってくる。そして彼らは側の少年――ナツメの腕に抱かれた猫を見て、皆一様に驚愕した。
猫の体は光に包まれており、不自然な角度に曲がっていた手足が人々の目の前で元通りに戻っていく。血まみれの一見すると死んでいてもおかしくないはずの猫は、呑気にも顔を洗い始めた。
母と同じく口々に「神の子だ」という言葉が周りから上がる中、ナツメは呆然と未だ顔を見せてくれない母を見つめていた。
(神様の子? 僕はお母さんの子供が良い)
「そうだわ。今日お会いした神官様に、あなたをお願いしましょう。もうあのようなあばら屋に、住まわせるわけには行かないわ。然るべき環境で育てていただきましょう」
(どうして? 僕はお母さんと暮らす今の家が良い)
たっ
腕から抜け出した猫が地面に降り立つ。
ナツメを一度も振り返ることなく、猫が去って行く。
母の顔も、あの猫のようにもう二度と見ることが叶わないのだろうか。
(ああ、そっか)
どよめく人の輪の中心、ナツメは自身の両手を見下ろした。
(神様は僕以外を助けるために、僕を選んだんだ……)
私は、メモを折り畳んでまた懐に仕舞った。
『彩生世界』のナツメが頑なに美生を元の世界に帰そうとするのは、この彼の「自分は救われない側」であるという認識が根本にある。公式ではナツメルートのエンディングで、彼に告白した美生がナツメと出会わせてくれた召喚魔法に感謝し、そのことで彼はようやく自身の能力を肯定することができた……という結末を迎えていた。
「こっちのナツメも、いつかは救われるといいけど……」
ぼんやりと天井を見ながら、呟く。
その願いは本物であるはずなのに、私は彼を救える『誰か』の幻が形になる前に掻き消してしまっていた。