『彩生世界』の聖女じゃないほう ~異世界召喚されました。こうなったらやってみせます完全攻略~
「……その、何の本を見ていたの?」
ここは話を換えるに限る。私はナツメの肩の向こう、先程彼が手にしていた本を指差した。
普通に本を読むなら座って読むだろう。思うところがあって、何かを確認していた可能性が高い。
私の指の先を、ナツメが目で辿る。
「ああ、あれは本ではなく帳簿ですよ。邸の来訪者記録です。一時期この邸で、養父が連れて来た患者を治療していたことがあったんです。それで名ばかりの別邸だというのに、今でも少なくない数の患者が訪ねて来ているようで――」
「⁉」
答えたナツメに、しまったと思ったときにはもう遅かった。反射的に後退ってしまい、その拍子に肘を扉にぶつけた音で彼が私を振り返る。
「アヤコさん?」
言ったと同時にナツメが、ハッと息を呑む。次いで彼は身を翻し、元の執務机の側へと足早に向かった。
(それは……その記録は……)
思いがけず起こった出来事に、どうしていいかわからず無言で立ち尽くす。そんな私の前で、ナツメが帳簿を速い速度で捲って行く。
「――ああ、これ、ですか」
そしてナツメが発した一言に、私は彼が何を見つけてしまったのかがわかった。
「まさか……母がこの邸を訪ねていたなんて」
「…………」
『来訪者記録を確認しているナツメ』は、ナツメルートのイベントの一つだ。本来はこれ以前に、ナツメの母親が行方不明だという話を彼から聞く機会がある。
それが無かったことに加え、現在美生はカサハルートを進んでいるという油断があった。このタイミングでナツメのイベントが発生することを、私は完全に失念していた。
「――なるほど。貴女の今の反応の意味、理解しました。この日付……正確にはこの日付の翌日ですが、覚えがあります。王都を揺るがす大事件があった日です」
帳簿を閉じたナツメが、閉じた表紙を感情の見えない目で見下ろす。
「両手両足と首が切断された女性の変死体が、王都近郊の山中で発見されたんです。その女性の顔は、判別できないほどに潰されていたそうです」
「……っ」
ナツメの母親は息子の活躍を耳にして、ただ様子を見に来ただけだった。そして、折角だからと彼が好んで食べたお菓子を焼いて持って来ただけだった。
しかし、ナツメの養父は金づるのナツメを母親が取り返しに来たと、勘違いした。
「そこまでしなければ、俺が生き返らせるとでも思ったんでしょうか。生憎、俺は例え生きているように見えるほど綺麗な死体でも、死んでしまった人間は治せませんよ」
ナツメの手から帳簿が滑り落ちる。それが机上に落ちた弾みで、脇に積んであった書類をヒラヒラと宙に舞わせた。
「滑稽ですね。俺のせいで死んだ母を、俺はイスミナで待っていたんですから。酷く……滑稽です」
ナツメが嗤う。哀しく、嗤う。
覚えがある。このナツメの哀しい顔に、胸が締め付けられた覚えが。
そんな顔をしているのに、ナツメは美生に「一人にして欲しい」と言うのだ。そして美生はナツメが気になりながらも、どうにもできなくて退室する。
一人になった部屋で静かに涙を流すナツメの姿を、プレイヤーだけが見ることになる。ここでは私もきっと、遠ざけられるのだろう。
私はナツメを見つめながら、キュッと唇を噛んだ。
「――少しの間、傍にいてもらえませんか?」
だから、耳を疑った。
あのときも今も、私が彼に掛けたかった言葉を、彼自身が口にしたことに。
「う、ん……」
ナツメに全意識が行く。地を踏む感覚さえわからなくなった足で、私は彼の方へと歩み寄った。
(ナツメ……)
傍まで来て、それでも足りない気がして、もう一歩だけ踏み込む。
「――っ」
刹那、引き倒されたかのような勢いで私はナツメに抱き込まれた。
「少しだけ……このままで」
耳元でナツメの揺れる声が聞こえる。
ナツメの手が震えているのが、掻き抱かれた背中を通して伝わる。
(私……聖女じゃないほうで、良かった……)
私もナツメの背へと腕を回した。最初はそっと、それからぎゅっと、抱き締め返した。
ここは話を換えるに限る。私はナツメの肩の向こう、先程彼が手にしていた本を指差した。
普通に本を読むなら座って読むだろう。思うところがあって、何かを確認していた可能性が高い。
私の指の先を、ナツメが目で辿る。
「ああ、あれは本ではなく帳簿ですよ。邸の来訪者記録です。一時期この邸で、養父が連れて来た患者を治療していたことがあったんです。それで名ばかりの別邸だというのに、今でも少なくない数の患者が訪ねて来ているようで――」
「⁉」
答えたナツメに、しまったと思ったときにはもう遅かった。反射的に後退ってしまい、その拍子に肘を扉にぶつけた音で彼が私を振り返る。
「アヤコさん?」
言ったと同時にナツメが、ハッと息を呑む。次いで彼は身を翻し、元の執務机の側へと足早に向かった。
(それは……その記録は……)
思いがけず起こった出来事に、どうしていいかわからず無言で立ち尽くす。そんな私の前で、ナツメが帳簿を速い速度で捲って行く。
「――ああ、これ、ですか」
そしてナツメが発した一言に、私は彼が何を見つけてしまったのかがわかった。
「まさか……母がこの邸を訪ねていたなんて」
「…………」
『来訪者記録を確認しているナツメ』は、ナツメルートのイベントの一つだ。本来はこれ以前に、ナツメの母親が行方不明だという話を彼から聞く機会がある。
それが無かったことに加え、現在美生はカサハルートを進んでいるという油断があった。このタイミングでナツメのイベントが発生することを、私は完全に失念していた。
「――なるほど。貴女の今の反応の意味、理解しました。この日付……正確にはこの日付の翌日ですが、覚えがあります。王都を揺るがす大事件があった日です」
帳簿を閉じたナツメが、閉じた表紙を感情の見えない目で見下ろす。
「両手両足と首が切断された女性の変死体が、王都近郊の山中で発見されたんです。その女性の顔は、判別できないほどに潰されていたそうです」
「……っ」
ナツメの母親は息子の活躍を耳にして、ただ様子を見に来ただけだった。そして、折角だからと彼が好んで食べたお菓子を焼いて持って来ただけだった。
しかし、ナツメの養父は金づるのナツメを母親が取り返しに来たと、勘違いした。
「そこまでしなければ、俺が生き返らせるとでも思ったんでしょうか。生憎、俺は例え生きているように見えるほど綺麗な死体でも、死んでしまった人間は治せませんよ」
ナツメの手から帳簿が滑り落ちる。それが机上に落ちた弾みで、脇に積んであった書類をヒラヒラと宙に舞わせた。
「滑稽ですね。俺のせいで死んだ母を、俺はイスミナで待っていたんですから。酷く……滑稽です」
ナツメが嗤う。哀しく、嗤う。
覚えがある。このナツメの哀しい顔に、胸が締め付けられた覚えが。
そんな顔をしているのに、ナツメは美生に「一人にして欲しい」と言うのだ。そして美生はナツメが気になりながらも、どうにもできなくて退室する。
一人になった部屋で静かに涙を流すナツメの姿を、プレイヤーだけが見ることになる。ここでは私もきっと、遠ざけられるのだろう。
私はナツメを見つめながら、キュッと唇を噛んだ。
「――少しの間、傍にいてもらえませんか?」
だから、耳を疑った。
あのときも今も、私が彼に掛けたかった言葉を、彼自身が口にしたことに。
「う、ん……」
ナツメに全意識が行く。地を踏む感覚さえわからなくなった足で、私は彼の方へと歩み寄った。
(ナツメ……)
傍まで来て、それでも足りない気がして、もう一歩だけ踏み込む。
「――っ」
刹那、引き倒されたかのような勢いで私はナツメに抱き込まれた。
「少しだけ……このままで」
耳元でナツメの揺れる声が聞こえる。
ナツメの手が震えているのが、掻き抱かれた背中を通して伝わる。
(私……聖女じゃないほうで、良かった……)
私もナツメの背へと腕を回した。最初はそっと、それからぎゅっと、抱き締め返した。