遅刻しそうな時にぶつかるのは運命の人かと思っていました
 亜由美は首を横に振る。広見は軽く微笑んで口を開いた。

「知らなくてもいいんだ。多少の異常事態が起こっても、それを正常の範囲内としてとらえ、心を平静に保とうとする働きのことなんだ。自分の心を守るためのものだから、悪いことじゃない」

 説明されれば分かる。
 ポストに見知らぬ封筒が入っていても、単なるイタズラなんだと思い込もうとすることがその正常性バイアスで、亜由美はそれにかかっていた。

「私もそれ……でしたね」
「杉原さんだけではない。誰にでもあることなんだよ」

 そう言って広見は微笑んだ。
「例えば火災報知器が鳴ったとする。単なる訓練だろうとかイタズラじゃないかと思ってしまうと逃げ遅れることにもなりかねない。それが正常性バイアス」

 言われてみれば、それが危ないことなのだと分かる。

「心を守るために大切だけれど、本当に危険はないのか、冷静になって周りの状況を確認して判断することが大事なんだ」

 亜由美は広見を真っすぐに見た。
「私はどうしたらいいですか?」

 そう言った亜由美の手を、鷹條が机の下でそっと手を握ってくれる。

 それだけでも亜由美は心強かった。広見は亜由美の様子を見て口を開く。

「まずは周りと情報共有をすることを考えてほしい。その一つが被害届だ。被害届というのは捜査機関に対して犯罪の被害を受けたと申告する手続きになる。直ちに捜査が始まるわけではないことも留意しておいてほしい」

 すぐに捜査が始まるわけじゃないと聞いて亜由美は安心した。
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