遅刻しそうな時にぶつかるのは運命の人かと思っていました
 低くて通りのいい声に亜由美が顔を上げると、涼やかな目元がさっきよりも少しだけ柔らかくなっている。その顔立ちと真っ直ぐな視線に目を奪われてしまった。

 助けてくれたことといい、絶対にいい人だわ。

「あの、ありがとうございます。お礼させて頂きたいのですが、お名前やご連絡先を伺えますか?」

 その瞬間、彼は微妙にイヤそうな顔をしたのだ。
 それは先ほどまでの真っすぐさを全否定するような表情だった。
(え? そんな顔する!?)

「たまたま見かけただけなので、気にしないでください」
 そう言うと、彼は足早に去ってしまったのだ。それは足の長さ分、あの男性よりも早かったと思う。

 亜由美はその場に残されてしまった。
 ──いや、いくらなんでも……え? えーっ?

 これって普通なら出逢いなのではないだろうか?

 しばらく呆然としていたけれど、遅刻だということを思い出して、亜由美は会社に慌てて連絡する。

「すみません。今日、少し遅れます。いえ……電車遅延とかじゃなくて、寝坊でもないんですけど」

 その場で説明をするのに五分は要したと思う。

 結局三十分ほど遅れて亜由美は出社した。まだ出社しただけなのに、もうすでにぐったりだ。

 亜由美は課長の席へまずはお詫びに行く。
「遅れて申し訳ありません」
「いやいや、大丈夫だった? 駅には申し出た?」

 頭を下げた亜由美に課長は心配そうに声をかけてくれた。
 助けてもらって事なきを得たのだし、両手を横に振る。
「いえ。たまたま通りかかった方が助けてくださったので、そのまま出社しました」

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