激甘バーテンダーは、昼の顔を見せない。

バー




涙でぐちゃぐちゃな顔の私は、駅から少し離れた場所にあるバーに向かった。



隠家BAR『lie(ライ)
光莉さんと出会う前、毎日通っていたバーだ。


お見合いをしてからここに来ることも無くなっていたから、本当に久しぶり。

マスター、元気にしているかな…。


 カラン…


音を立て開くドア。
営業時間前のその店は、ひっそりと静まり返っていた。


「あ、お客様…。まだ営業前でございま……あ、え? 聖華ちゃん?」
「マスター、お久しぶりです…」


マスターの杉原(すぎはら)恭寿(きょうじゅ)さん。
大人な雰囲気の漂う杉原さんには『イケおじ』という言葉が良く似合う紳士。


隣には見たことの無い人が立っていた。


若そうな見た目をしているが、私よりは年上かな…。
少しウェーブの掛かった艶のある黒髪に、切れ長の目。


初めて見るその人は、私の顔を見て一瞬だけ目を見開いた。
しかしすぐに視線をグラスに戻し、何事も無かったかのように作業を継続させる。


「聖華ちゃん、どうぞお掛け下さい。」
「失礼します」


マスターの真ん前に座り、小さく溜息をつく。

久しぶりに来たこのお店。
やっぱり、落ち着く。


「いつもので良い?」
「あ、いえ。営業時間前なので…お構いなく」
「いいの、聖華ちゃんだから」


最後にここへ来たのは…2年前かな。

それでも私の好きな物を覚えてくれているマスター。
いつもの、という言葉に深く感動した。


「聖華ちゃん、お見合いするからもう来れないって言っていたよね。…そのお顔を見た感じ、何も聞かない方が良いかな」
「…ううん、マスターが聞いてくれるなら。お話させて下さい」
「僕はいくらでも聞くよ。今日はゆっくりしていって…」


私の前に差し出される、透き通った琥珀色の飲み物。
私の好きな…モスコミュールだ。


「ありがとうございます、マスター…」


グラスを手に取り、口を付ける。
ジンジャーとライムの爽やかな味わいが口いっぱいに広がった。


久しぶり。
マスターが作ったモスコミュール。


懐かしい味を感じ、止まったと思っていた涙は再び溢れ出す。
次第に嗚咽まで漏れ始め、涙は止まる気配が無い。




< 6 / 44 >

この作品をシェア

pagetop