『悪役令嬢』は始めません!
「ラッセ侯爵令嬢。大変不躾なお願いと承知で申し上げます。もし今からお帰りのようでしたら、私を同乗させていただけないでしょうか? そちらの邸宅の隣にある私の別邸へ至急戻りたいのです」
私たちの挨拶が終わった直後、シグラン公爵令息は直ぐさま用件を切り出してきた。表情からも、その「至急」という切実さが窺える。
しかし、そんな彼には悪いのだが今私は無になっていた。
ステップ1.私たちが店を出たタイミングで、偶然ここを通っていたシグラン公爵家の馬車が不調になった。
ステップ2.立ち往生していたシグラン公爵令息。そこへ偶然、セレナ――彼の別邸の隣に邸を構えるラッセ家の令嬢が通りかかった。
ステップ3.普段なら女性にそんな無遠慮な真似はしないだろう彼であったが、このときは偶然火急の用事を抱えていた。
……何これ。
いやいやいや、そうはならないでしょうよ⁉ なったけど!
で、極めつけはこれだ。
「……ラッセ侯爵令嬢は、我が家の馬車で一緒に来ているんです。よろしければ乗って行かれますか?」
はい。私もガッツリ関係者です。寧ろまたセレナが巻き込まれたという可能性もあり。
そんなわけで、シグラン公爵令息は私たちに礼を述べ、彼の別邸まで楽しくご一緒したのでした……まる。
――と、締め括ったつもりが、まだ今日のイベントは終わっていなかった。
「どういうことなの……」
二人を送り届け自宅の自室に一人戻った私は、帰宅の際に執事から渡された手紙に困惑していた。
その内容は……婚約破棄の翌日から消えた予定、王妃教育を再開するというものだった。それも明後日から。
まさか本当に私が側妃になる話が動いているのだろうか? いや、そんなはずはない。あの日来た婚約破棄の通達は、ちゃんと王家の印章付きの手紙だった。第一、父が目を通している。よって、婚約破棄は正しく成立している。
(となると……これはやっぱり、シグラン公爵令息が関係してる?)
心当たりと言えば、それしかない。何より、今日もまた遭遇してしまっただけに信憑性がある。
あのとき父が口を滑らせたように、スレイン王子は唯一の王子であるのにかかわらず王太子ではない。その理由について世間では、国王陛下が王子とシグラン公爵令息どちらに王位を譲るのか決めかねているからだと言われている。
そして、次期国王となる方に、ノイン侯爵令嬢――つまり私が嫁ぐのだとも。
以前まではそれについて、想像力豊かな人がいるんだなくらいに思っていた。しかし、ここに来てこれだ。
(王妃教育再開のお知らせぇ……)
信じたくないその文面に、手紙を持ったまま頭を抱える。
これは本気でシグラン公爵令息を次期国王と決め、私と新たに婚約を結び直すつもりかもしれない。来週末には、私の先の婚約破棄から一ヶ月が経つ。つまり、次の婚約が可能になる。時期的にぴったりではないか。
国としては、今までの王妃教育が無駄にならないで万々歳。私もスレイン王子たちにざまぁできる……と。
(うぅ……『悪役令嬢』なら綺麗にハッピーエンドではあるけれど……っ)
私は違う、そうじゃない。
レンさんと一緒になりたいと無茶を言いたいわけじゃない。そしてシグラン公爵令息が嫌だから気が進まないというのもまた違う。
私の今の気持ちを一言で言い表すならば――
(男主人公は一途なヒロインと幸せになるべき!)
――これに尽きる。
逃げて。シグラン公爵令息、超逃げて。
(あー……もう。こういった現実を思い知らされるのが、何も今日じゃなくたっていいのに)
セレナと楽しく買い物をして、明日はレンさんとデートをして。明後日はそのデートの思い出を噛み締めて日がな一日過ごすはずが。それが私の自由な一ヶ月の、締め括り方だったはずが……。
ボスンッ
私はやるせなさに、行儀悪くベッドにダイブした。
ごろりと仰向けになり、天井をぼんやりと見る。
(いや。レンさんとのお出かけデートが潰れなかっただけ、運が良かったと思おう)
そう。明日は初のお出かけデート。いつものランチとは違い、何と五時間も一緒にいられる。十時から十五時まで、レンさんを独り占めできる。
先日、レンさんからその話が出たとき三回聞き直したので、私の幻聴ではないはずだ。
(明日の夜……明日の夜までは、このことはいったん忘れてしまおう)
それまでは、レンさんに浸っていたい。だって、お出かけデートだもの。
そしてきっと……最後のデートだもの。
「よし」
バッとベッドから身を起こし、手にしていた手紙を同じく持ったままでいた封筒へと戻す。
それから私は、サイドテーブルの適当な段に、私を悩ませる手紙を放り込んだ。
私たちの挨拶が終わった直後、シグラン公爵令息は直ぐさま用件を切り出してきた。表情からも、その「至急」という切実さが窺える。
しかし、そんな彼には悪いのだが今私は無になっていた。
ステップ1.私たちが店を出たタイミングで、偶然ここを通っていたシグラン公爵家の馬車が不調になった。
ステップ2.立ち往生していたシグラン公爵令息。そこへ偶然、セレナ――彼の別邸の隣に邸を構えるラッセ家の令嬢が通りかかった。
ステップ3.普段なら女性にそんな無遠慮な真似はしないだろう彼であったが、このときは偶然火急の用事を抱えていた。
……何これ。
いやいやいや、そうはならないでしょうよ⁉ なったけど!
で、極めつけはこれだ。
「……ラッセ侯爵令嬢は、我が家の馬車で一緒に来ているんです。よろしければ乗って行かれますか?」
はい。私もガッツリ関係者です。寧ろまたセレナが巻き込まれたという可能性もあり。
そんなわけで、シグラン公爵令息は私たちに礼を述べ、彼の別邸まで楽しくご一緒したのでした……まる。
――と、締め括ったつもりが、まだ今日のイベントは終わっていなかった。
「どういうことなの……」
二人を送り届け自宅の自室に一人戻った私は、帰宅の際に執事から渡された手紙に困惑していた。
その内容は……婚約破棄の翌日から消えた予定、王妃教育を再開するというものだった。それも明後日から。
まさか本当に私が側妃になる話が動いているのだろうか? いや、そんなはずはない。あの日来た婚約破棄の通達は、ちゃんと王家の印章付きの手紙だった。第一、父が目を通している。よって、婚約破棄は正しく成立している。
(となると……これはやっぱり、シグラン公爵令息が関係してる?)
心当たりと言えば、それしかない。何より、今日もまた遭遇してしまっただけに信憑性がある。
あのとき父が口を滑らせたように、スレイン王子は唯一の王子であるのにかかわらず王太子ではない。その理由について世間では、国王陛下が王子とシグラン公爵令息どちらに王位を譲るのか決めかねているからだと言われている。
そして、次期国王となる方に、ノイン侯爵令嬢――つまり私が嫁ぐのだとも。
以前まではそれについて、想像力豊かな人がいるんだなくらいに思っていた。しかし、ここに来てこれだ。
(王妃教育再開のお知らせぇ……)
信じたくないその文面に、手紙を持ったまま頭を抱える。
これは本気でシグラン公爵令息を次期国王と決め、私と新たに婚約を結び直すつもりかもしれない。来週末には、私の先の婚約破棄から一ヶ月が経つ。つまり、次の婚約が可能になる。時期的にぴったりではないか。
国としては、今までの王妃教育が無駄にならないで万々歳。私もスレイン王子たちにざまぁできる……と。
(うぅ……『悪役令嬢』なら綺麗にハッピーエンドではあるけれど……っ)
私は違う、そうじゃない。
レンさんと一緒になりたいと無茶を言いたいわけじゃない。そしてシグラン公爵令息が嫌だから気が進まないというのもまた違う。
私の今の気持ちを一言で言い表すならば――
(男主人公は一途なヒロインと幸せになるべき!)
――これに尽きる。
逃げて。シグラン公爵令息、超逃げて。
(あー……もう。こういった現実を思い知らされるのが、何も今日じゃなくたっていいのに)
セレナと楽しく買い物をして、明日はレンさんとデートをして。明後日はそのデートの思い出を噛み締めて日がな一日過ごすはずが。それが私の自由な一ヶ月の、締め括り方だったはずが……。
ボスンッ
私はやるせなさに、行儀悪くベッドにダイブした。
ごろりと仰向けになり、天井をぼんやりと見る。
(いや。レンさんとのお出かけデートが潰れなかっただけ、運が良かったと思おう)
そう。明日は初のお出かけデート。いつものランチとは違い、何と五時間も一緒にいられる。十時から十五時まで、レンさんを独り占めできる。
先日、レンさんからその話が出たとき三回聞き直したので、私の幻聴ではないはずだ。
(明日の夜……明日の夜までは、このことはいったん忘れてしまおう)
それまでは、レンさんに浸っていたい。だって、お出かけデートだもの。
そしてきっと……最後のデートだもの。
「よし」
バッとベッドから身を起こし、手にしていた手紙を同じく持ったままでいた封筒へと戻す。
それから私は、サイドテーブルの適当な段に、私を悩ませる手紙を放り込んだ。