『悪役令嬢』は始めません!
扉の向こうからの「どうぞ」という返事を待って、私は入室した。
色々な設計図が壁一面に貼られた室内。出入口から真っ正面にある執務机に座る、ギルドお仕着せのカッターシャツ姿な壮年男性。
私は目的の人物を認め、執務机の前まで歩いて行った。
「やあ、シア。平日に来るのは珍しいね」
書き物をしていたらしいレンさんが、手を止めて顔を上げる。
そんな彼を前に、私の方は呼吸が止まって心拍数が上がった。
(ああ……今日も声が良い……!)
耳から孕む。こういった表現は令嬢的にアウトだろうが、これ以上しっくり来る言い方が思い浮かばない。
まあアデリシアは見た目が美人なので、自ら暴露しない限りは周りが勝手に「素敵」くらいのマイルドな訳を付けてくれるだろう。悪意がある者には「この平民風情が」というアテレコをされるかもしれないが、どちらにしても本音がバレることはないに違いない。
「こ、こんにちは。レンさん」
「また何か思い付いたのかい?」
レンさんがにこりと笑う。癒やしの笑顔だ。
小柄な体格に小麦色の肌。左肩で一つに纏められた艶やかな黒髪。濃茶の瞳。
ローク王国では一般的に色素が薄い方が美しいとされるが、私にはレンさんの容姿の方が魅力的に映る。前世で三十年近い人生を送った日本人に近くてしっくり来る、という理由もあるかもしれない。
まあ私でなくても、密かに狙っている女性は多いだろう。レンさんは絶世の美男ではないけれど、「職場の部署で一番格好良い」くらいにはハンサムだ。人気はありそう。
「思い付いた……には、違いないのですが……」
私はしどろもどろに答えた。
「うん?」と、レンさんが頬杖をつく。
レンさんが聞いているのは、新しい建築のアイディアについての『何か』だろう。答えてしまってから気付いたが、私のこれは「思い付いた」ではなく「思い立った」に該当する。
とはいえ、私がやるべきことに変わりはない。私はグッと両手を握って気合いを入れ直した。
と、そのタイミングでレンさんが欠伸をする。
「おっと、これは失礼」
直ぐさまレンさんは、ばつの悪い顔で謝罪した。私はというと、全然失礼だとは感じず。寧ろレアなレンさんの姿に、少しドキドキしてしまった。
「いえ、すみません。お忙しかったでしょうか」
よく見れば、レンさんの目元には隈があった。私が今の返事をする間にも、レンさんがまた欠伸をする。今度はかみ殺してはいたけれど。
「いや、ギルドの仕事の方は普段より少ないくらいだよ。これはちょっと家のごたごたで、昨夜年甲斐もなく完徹してしまって」
「完徹⁉」
私の前世の記憶によれば、二十代後半辺りから徹夜はかなり翌日に響いた。レンさんは確か三十八歳。「ははは」なんて笑っているが、大丈夫なのだろうか。
「レンさん、遠慮せず欠伸して下さい。脳に酸素が必要です」
三度目の欠伸もかみ殺したレンさんに、私はつい口出ししてしまった。
レンさんが小さく「え?」と言った後、また「ははは」と笑う。今度は苦笑いではなく、可笑しいときに出る方で。
先程が苦笑いだったあたり、本人に疲れている自覚はありそうだ。
「できれば今日は早めに寝て下さいね」
「そうだね。ギルドの書類についてはこれで一旦区切りを付けて、続きは明日にするよ」
言ってレンさんが、書きかけだった文章の続きをサラサラと記入する。
それから彼は、手にしていたペンを机に置いた。
色々な設計図が壁一面に貼られた室内。出入口から真っ正面にある執務机に座る、ギルドお仕着せのカッターシャツ姿な壮年男性。
私は目的の人物を認め、執務机の前まで歩いて行った。
「やあ、シア。平日に来るのは珍しいね」
書き物をしていたらしいレンさんが、手を止めて顔を上げる。
そんな彼を前に、私の方は呼吸が止まって心拍数が上がった。
(ああ……今日も声が良い……!)
耳から孕む。こういった表現は令嬢的にアウトだろうが、これ以上しっくり来る言い方が思い浮かばない。
まあアデリシアは見た目が美人なので、自ら暴露しない限りは周りが勝手に「素敵」くらいのマイルドな訳を付けてくれるだろう。悪意がある者には「この平民風情が」というアテレコをされるかもしれないが、どちらにしても本音がバレることはないに違いない。
「こ、こんにちは。レンさん」
「また何か思い付いたのかい?」
レンさんがにこりと笑う。癒やしの笑顔だ。
小柄な体格に小麦色の肌。左肩で一つに纏められた艶やかな黒髪。濃茶の瞳。
ローク王国では一般的に色素が薄い方が美しいとされるが、私にはレンさんの容姿の方が魅力的に映る。前世で三十年近い人生を送った日本人に近くてしっくり来る、という理由もあるかもしれない。
まあ私でなくても、密かに狙っている女性は多いだろう。レンさんは絶世の美男ではないけれど、「職場の部署で一番格好良い」くらいにはハンサムだ。人気はありそう。
「思い付いた……には、違いないのですが……」
私はしどろもどろに答えた。
「うん?」と、レンさんが頬杖をつく。
レンさんが聞いているのは、新しい建築のアイディアについての『何か』だろう。答えてしまってから気付いたが、私のこれは「思い付いた」ではなく「思い立った」に該当する。
とはいえ、私がやるべきことに変わりはない。私はグッと両手を握って気合いを入れ直した。
と、そのタイミングでレンさんが欠伸をする。
「おっと、これは失礼」
直ぐさまレンさんは、ばつの悪い顔で謝罪した。私はというと、全然失礼だとは感じず。寧ろレアなレンさんの姿に、少しドキドキしてしまった。
「いえ、すみません。お忙しかったでしょうか」
よく見れば、レンさんの目元には隈があった。私が今の返事をする間にも、レンさんがまた欠伸をする。今度はかみ殺してはいたけれど。
「いや、ギルドの仕事の方は普段より少ないくらいだよ。これはちょっと家のごたごたで、昨夜年甲斐もなく完徹してしまって」
「完徹⁉」
私の前世の記憶によれば、二十代後半辺りから徹夜はかなり翌日に響いた。レンさんは確か三十八歳。「ははは」なんて笑っているが、大丈夫なのだろうか。
「レンさん、遠慮せず欠伸して下さい。脳に酸素が必要です」
三度目の欠伸もかみ殺したレンさんに、私はつい口出ししてしまった。
レンさんが小さく「え?」と言った後、また「ははは」と笑う。今度は苦笑いではなく、可笑しいときに出る方で。
先程が苦笑いだったあたり、本人に疲れている自覚はありそうだ。
「できれば今日は早めに寝て下さいね」
「そうだね。ギルドの書類についてはこれで一旦区切りを付けて、続きは明日にするよ」
言ってレンさんが、書きかけだった文章の続きをサラサラと記入する。
それから彼は、手にしていたペンを机に置いた。