『悪役令嬢』は始めません!
「――けど、それで済ませるにはサミュエルが有能だったんだよね」

 レンさんは、溜息交じりにそう話を続けた。

「能力的にも血筋的にも次期王になるべき彼を差し置いて、スレインを王太子にするのはやはり早計ではないかと。僕は僕のせいで病んで亡くなった妻への(しよく)(ざい)をしたいだけなんじゃないかと、ずっと悩んでいたんだ」

 レンさんが、ふっと()(ちよう)の笑みを浮かべる。

『きっと亡くなった妻にしたって、身分さえ釣り合えば初めから彼と結婚していただろう。つくづく僕は邪魔者だったみたいだ』

 ここに来てまた、あのときのレンさんの言葉が蘇る。
 恨み言のように聞こえたそれは、その実レンさんの弱音だった――私にはそう思えた。

「ずっと結論が出ずにいて。そんなときだ、スレインがシアとの婚約を破棄したのは。それは僕の背中を押すのには充分な事項だった。僕はすぐさまロッガ伯爵に連絡を取ったよ。丁度伯爵が、後継である息子の代わりに兵役に就かせる者を探しているという情報を掴んだからね。伯爵にとっても、君という庶子の存在は都合が良いと確信が持てた」
「兵役⁉」

 スレインが叫んで、伏せていた顔をバッと上げる。聞き捨てならない単語に、衝撃で我に返ったのだろう。

「ゾアラ国は魔物が住む森と隣接しているため、貴族には家の子を兵役に出す義務があるんだ。でもロッガ伯爵には子が嫡子の一人しかいなくてね。利害の一致という奴さ」
「そんな……その処分は、あんまりです! 確かに俺はアデリシアに良くない噂を流しました。でも、たかが婚約破棄ですよ⁉ 兵役だなんて!」

 信じがたいと、何かの間違いだと、スレインが大声で訴える。
 憤る彼とは対照的に、レンさんはスッと冷めた目を彼に向けた。

「利害の一致だと、言っただろう? 僕と伯爵、それから君にしたって妥当な落としどころだと僕は思うけど。だって君、他にどういう手段であの大金を返済するつもり?」
「……返、済?」
「僕が立て替えた、君の借金だよ。コール子爵令嬢に貢ぐために君が使い込んだ税金のことだ」
「は? え……?」

 レンさんの問いに、スレインは何のことか理解出来ないという顔になった。

(そんなことだろうとは思ってた……)

 端から頭に無いか、あっても王に即くことでの出世払い……なんておめでたい考えだろうと。
 しかしこの噂も、やっぱり本当だったのか。そしてレンさんもやっぱり私と同じように思っていたのか、「金返せ」と。
 この決定はもう覆らない。それを悟ったスレインの顔が、絶望に歪む。

「ロッガ伯爵は子爵位もお持ちだから、兵役の期間が終わればそちらをスレインに与えて下さるそうだ。晴れて、コール子爵令嬢を妻とするのに問題のない身分になれるよ」

 そう爽やかに告げたレンさんを、スレインはもう見上げる気力もないようだった。

「僕からスレインに伝えることはもう無い。最後に、ノイン侯爵から話があるそうだ」

 言葉通りもう自分には用は無いとばかりに、レンさんは目を閉じて言った。
 代わりに名前が挙がったノイン侯爵――父がすっくとソファから立ち上がる。そして父はすたすたと床に座り込んだままでいたスレインの側まで歩いて行った。
 ――かと思えば、
 バキッ
 大きな音とともに、スレインの身体は部屋の扉近くまで吹き飛び転がっていた。
 もう一度言おう。()()()()、転がっていた。
 胸ぐらを掴んで立たせての、頬への鉄拳制裁。映画じゃなくても人間は吹き飛ぶ。私は今日、そのことを学んだ。

()は終わった」

 僅かに乱れた衣服を正しながら、父がレンさんに言う。そんな父に、レンさんは苦笑いで返していた。

「仕事以外でもセイはわかりやすく簡潔だね。――連れて行け」

 レンさんの命令に、二人の兵士が立てないでいたスレインの身体を引き上げる。そのまま彼は半ば引き()られる形での退室となるかと思われたが、そこへロッガ伯爵が駆け寄った。

「――息子は私が責任を持って連れて帰ります。そして三年後、子爵位を与えるつもりです」

 蒼白な顔をしながらも、ロッガ伯爵はレンさんを真っ直ぐに見据えていった。
 『子爵位を与える』。見殺しにするつもりはないのだと、言外にそう言い放った伯爵は、スレインとともに扉の向こうへと消えた。
 閉まった扉をレンさんがしばらく見つめていて、それから彼はソファに座り直すかのように身じろいだ。
 レンさんの「ありがとう」という(かす)かな呟きは、きっと私だけが聞こえていた。
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