『悪役令嬢』は始めません!
「実は……息子を本当の父親の元へ返すことが決まってね」

 レンさんが書類の束をトントンと整えながら、「家のごたごた」の内実と思われる話を始める。
 そういえば、レンさんの息子さんは亡くなった奥さんの連れ子だと言っていた。父が話題に出さないため私が聞くわけにもいかず、それ以上詳しくは知らないけれど。

「どうやら下級貴族の女性と恋仲になってしまったみたいで。どうしてもその人と添い遂げたいと言う息子の熱意に負けて、先日子爵の位を持つ彼の実父に連絡を取ってみたんだ。そうしたら向こうからすぐに歓迎する旨の返事が来て」

 レンさんが書類の束を今度は横向きに整える。
 彼はそれを、机の端に既に形成されていた書類の山頂にさらに積み上げた。

「きっと亡くなった妻にしたって、身分さえ釣り合えば初めから彼と結婚していただろう。つくづく僕は邪魔者だったみたいだ」
「そんなこと……」
「うーん、ごめん。話が逸れたね。それで、シアがしたい話とはどんなのかな?」

 重い話をしたにもかかわらず、にこにこと楽しそうな表情でレンさんが私を見上げる。彼の印象はいつだって、こんな感じだ。父曰く、「こういう輩こそ(たち)が悪いんだ。気を付けるように」だとか。至極真面目な顔つきで言うものだから、あのときは思わず笑ってしまった。そして、父にとってレンさんが、そういった冗談を面と向かって言えてしまうほど信頼している相手なのだと思ったことも覚えている。
 だから忘れがちになる、レンさんが平民だと言うことを。
 過去に家名を尋ねて「無いよ」と彼が返してきたとき、私はたっぷり十秒は本当に意味が理解できなかった。

(身分が原因で家族と離れるレンさんに、その身分違いの恋心を伝えていいの?)

 私は開きかけた口を閉じた。
 このタイミングでそれは、あまりに空気が読めない人間ではないだろうか。
 レンさんは昔から、父とともに私をよく褒めてくれた。発想や着眼点が、大人顔負けだと。それはつまり、レンさんが私を評価しているのは『大人びた』点なのでは。それがいきなり聞き分けのない子供のようなことを言って、幻滅されないだろうか。

(……でも、幻滅されたとして、何が変わるかしら)

 どちらにしろ私には、レンさんではない人と結婚する未来しかない。その頃になれば幻滅も何も、そんな対象にすらならないほど疎遠になってしまうだろう。ここへ来られなくなれば、私はレンさんとはまったく接点がなくなってしまうのだから。

(そうだ。私は何も、恋人になって欲しいと言うわけじゃない)

 私はただ、この気持ちを伝えたいだけだ。ずっと秘めていた、一生秘めないといけないと思っていたこの恋心を。
 『悪役令嬢』には男主人公が付きものだ。この後、家に帰ったときには既に次の婚約者が内定しているかもしれない。あるいはいつの間にかお忍びの王族なりと知り合っていて、今回の騒動をきっかけにその人が手を挙げるとか。そんな冗談のような展開が、『悪役令嬢』なら充分に起こりうる。私は詳しいのだ。よく読んでいたジャンルだったから。

「シア?」
「あ……」

 気付けば黙り込んでしまっていたらしい。レンさんに、気遣わしげに名を呼ばれた。
 たったそれだけのことでも嬉しいほど、この人が好きだ。それなのに気持ちを伝えられないままというのは、やっぱり嫌だ。
 ごくんと唾を飲み込んで。それからこの部屋に入るときにもしたように、すぅっと一度深呼吸する。

「私……私、レンさんが好きなんです‼」

 そして私は、真っ直ぐにレンさんを見据えて叫んだ。
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