空飛ぶ消防士の雇われ妻になりまして~3か月限定⁉の蜜甘婚~
(わ、私も逃げないと)

 エレベーターはきっと使えないから、階段だろうか。美月は震える足をどうにか動かそうとした。でもそのとき、焼き肉屋の出口付近で若い女性が転んでしまったのが見えた。後ろからやってきた団体客に押され、細いヒール靴を履いていた彼女はバランスを崩してしまったのだ。助けようという明確な意思があったわけではなかったが、条件反射で身体が動いた。

「大丈夫ですか。どうぞ、つかまってください」

 美月は彼女に駆け寄り、手を差し伸べる。

「すみません、ありがとうございます」

 その瞬間、美月は目にしてしまった。

 焼き肉屋の厨房内、想像以上の高さで揺らめく火柱。パチンパチン、コォーと美月にとってはこの世のなによりも恐ろしい音を立てていた。

「あ、あ……」

 美月の口はハクハクと動くばかりで言葉にならない。額から油汗がダラダラと流れ、吐き気が込みあげてくる。

「大丈夫か? 早く、こっち」

 美月が助けた女性の、恋人らしき男性がやってきて彼女の腕を引いた。女性は「ありがとうございましたっ」と短く告げて、彼とともに階段のほうに向かって走っていった。

(私も……早く逃げよう……階段、階段のほうに)

 頭ではわかっているのに、視界がグニャリと歪んで、自分の進行方向すらわからない。

(待ってよ。私、失恋して仕事まで失って……)

 すでにドン底、これ以下に落ちるなどありえないはずだった。
< 4 / 180 >

この作品をシェア

pagetop