エフェメラ
 娘と過ごす時間があまりにも新鮮で、ついまた会えるものだと思い込んでいた。娘の中では、一つの踏ん切りなのだろうか。俺は何も言えず、地面の梅の花びらを見ることしかできなかった。
 残りの人生、娘と何回顔を合わせられるだろうか。
 元妻と別れたとき、俺はまだまだ未熟だった。あやめが生まれたときはそれ以上に若く未熟で、元妻には迷惑をかけたと思う。東京の大学を卒業し、都内で就職すると同時に、元妻との間にあやめができて結婚を決めたが、独身の同期と遊んでは帰りが遅くなることが多く、子育てもまともに取り合ったことはなかった。
 家に帰れば、温かいご飯ができているのが当たり前でないことを知ったのは、離婚してからだ。大学は下宿でご飯がついていたし、学食もあって料理の大変さを知らなかった。
 俺が離婚を切り出されたのは、愛想を尽かされたからなのだと思う。
 家事は何一つしない、家に帰るのは遅い。浮気はせずに、家庭にお金は入れていたが、それでも、父親であったとは言い難かった。家庭の時間を作ることをしていなかったし、元妻のことを愛していたと胸を張って言えない。自分のことを優先してそれ以外は最低限にして生きていたのだ。
 お金があるからといって娘がすくすく育つわけではないのだ。母親のおかげで、今のあやめがいる。
 女は妊娠し、子供を産む過程の中で自然と母親になるけれど、男は違う。男は、子供を育てていく家庭の中で、妻と共に父親になっていくのだ。
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