捨てられた建築デザイナーは秘密を抱えた天才建築家に愛される
「……誰だ?」
「あ、前、ここで会った……」
 言いにくそうな由紀の表情でようやく元カレを奪った女だと気づいた律はスッと自分の後ろに由紀を隠した。
 その動作も素敵だと美香の口は弧を描く。

「加藤さん、であっているかしら? あなたうちのパパの会社に移ってくる気はない? あなたなら部長級でお迎えするわ」
「断る」
「どうして? もうすぐ潰れる建築事務所よりうちの方がいいでしょう?」
 部長級が不満なら役員になれるようにパパに頼んでもいいと笑う美香の言葉に由紀は目を見開いた。

「行くぞ、由紀」
 律は傘を持つ由紀の手を掴むと美香を無視して歩いて行く。

「そんな芋娘より私の方がいいわよ。気が向いたらいつでも来て」
 あなたならいつでも大歓迎よと笑う美香と目を合わせないように、由紀は傘で顔を隠しながら通り過ぎた。

 どうしよう。
 今度は律が取られちゃうのかな。
 美人で社長令嬢の美香さんの方が、それよりも部長級とか役員とか、収入が魅力かもしれない。
 律のドイツの仕事がどんなものなのか知らないけれど、日本でもそれなりの給料をもらえるならお爺さんの近くにもいられるし、そっちを選ぶかもしれない。

「……紀、由紀!」
「あっ、えっ?」
「ほら、ここを確認したかったんだろ?」
 律が連れてきてくれた場所は、先ほど自分が「途中でここも確認したい」と行った場所だ。
 考えるのはあとで! 悩むのはあとで!
 まずは仕事!
 由紀は自分に言い聞かせるようにスケッチブックを開いた。
 改札の前からの動線をしっかり確認してから裏側へ。
 由紀はデザインと現在の様子を照らし合わせながら、思いついたことをどんどん書き加えた。

「雨が上がったな」
 小雨が止み、空にはうっすらと虹の欠片が浮かぶ。
 律は自分の傘と由紀の傘を畳むと、夢中でデザインの見直しを行っている由紀の顔を覗き込んだ。

「……律?」
 キョトンとする由紀の唇にチュッと律の唇が触れる。
 何も言われなくても、それだけで一気にもやもやした気持ちが晴れていく。

 あぁ、やっぱり律が好きだ。
 由紀がホッとしたような表情を見せると、律は優しく微笑み返してくれた。

 指定サイズの用紙に完成予定のデザインと設計図を記載し、入院中のお爺さん、加藤喜一郎さんにも署名をしてもらい、加藤建築設計事務所の小林由紀でコンペに応募した。
 今の自分ができる限りのことはやったつもりだ。
 
 だが、思わぬ展開に由紀は戸惑うことに。

「……え? 盗作?」
 コンペの主催者から届いた手紙に由紀と律は顔を見合わせた。
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