ネカフェ難民してたら鬼上司に拾われました
 穂香の抱いていた川岸のイメージは、拘って淹れたブラック珈琲に手早く調理したホットサンドか、パン屋さんの焼き立てのバターロールだ。寝起きからびしっと隙が無く、常にこちらに緊張感を走らせるような。
 少なくとも寝癖の付いた髪のまま、コンビニのパンを齧ってカフェオレを飲んでいる姿は想像できなかった。

 ――オーナーって、意外と庶民派なんだ……。

「あ、そうだ。オーナー、今日は何時頃に出ていかれます?」

 定休日の穂香と違って、川岸は今日も仕事があるはずだ。彼より先に出ていくのが筋だと、目の前でまだ眠そうに欠伸を漏らしている上司に確認する。昨晩は勢いで泊めて貰うことになったが、必要以上の長居は迷惑だろう。
 というか、この状況はいろいろと問題があるはずだ。

「いや。今日は君の用事に付き合うつもりで、夜の内に仕事はおおかた片付けてある。家のことは早いうちに何とかした方がいい」
「それはそうなんですけど……」
「鍵を交換するのも、引っ越すのもすぐって訳にはいかないだろ。どうせ、あの部屋はずっと使ってないから、好きにしてもらっていい」

 そういって立ち上がると、リビングの引き出しから合鍵を取り出してきて、穂香の前に置く。黒猫のキーホルダーが付いたそれは、例の婚約者が以前に使っていたものだろうか。

「ネットカフェをホテル代わりにするよりはマシだろ」
「いえ、でも、世間体とかいろいろありますし……」

 大体、オーナーのマンションに居候してるなんて、他のスタッフにバレた時に何て言い訳をすればいいのか。それに、ご近所にオーナーの変な噂が流れでもしたら、申し訳ない。

「そうか。俺はそういう細かい事を気にする歳でもないけど、確かに世間体はあるな。じゃあ、俺が代わりにそっちの家に住もうか?」
「いやいやいや。万が一、あいつと鉢合わせになった時、修羅場確定ですからやめて下さい! そもそも私、すでに同棲してたから、そういうのは気にしないですし」

 首をブンブンと横に振って否定する穂香のことを、川岸はおかしそうに笑って見ていた。揶揄われただけだと分かると、穂香はかーっと顔を赤らめる。
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