ネカフェ難民してたら鬼上司に拾われました
「そうだな、家のことを多少はやってくれるくらいでいい。俺も家事はそこまで得意じゃないから」

 居候させてもらうなら、せめて家賃を払わせて下さいと提案した穂香に、川岸は困惑した顔で答える。確かにキッチンに並んでいる充実した調理器具は、最近になって使われた形跡がない。冷蔵庫も野菜室はスカスカだし、調味料も必要最低限の物があるだけだ。

「普段、食事ってどうされてるんですか?」
「大抵は適当に駅前のコンビニで買ってくるとかかな。昼間は外に出てることが多いから外食が中心になるけど」
「分かりました。遅番の時は無理ですけど、休みと早番の日はご飯作ります。要らない日は連絡してください」

 そういうつもりで同居を勧めた訳じゃないというオーナーに、家賃光熱費を受け取って貰えないなら、せめてそれくらいはとお願いする。二人分の食費を負担したとしても、大幅に黒字だ。どちらかというと家事は得意な方だし、これ以上ない好条件で逆にこちらが恐縮してしまう。

「別に無理強いするつもりはないから、適当でいい」
「適当なら、任せてください」

 完璧主義者だと思っていた上司の口から適当という単語が出てくるとは思わなかった。もしかしたら、川岸オーナーは穂香が勝手に抱いていた印象とは全く違う人なのかもしれないと思い始める。

 ――入社して以来、オーナーとこんなに話したのは初めてだ。意外と普通だったっていうか……。

 ただ、部屋着も私服もそれなりにお洒落だし、家にあったインテリアもなんだか高そうで、その辺りはイメージ通り。でもオーナー本人の人柄はその見た目とはまた別のような気がした。

 川岸の自宅マンションの玄関の壁には大きな姿見が設置されている。背の高い彼でも余裕で全身を写し出すことができるサイズで、最初に見つけた時は「さすが、美意識の塊って感じ」と出掛ける前の最終チェックに余念のない男を心の中でナルシスト扱いしていた。
 が、実際にオーナーの朝の出勤時に出くわして、穂香はそれは勘違いだったと気付かされる。

「お、オーナー! 右の襟が裏返ったままですっ」
「あ……」
「もうっ、ちゃんと鏡見てから出てくださいよー」

 駅まで並んで歩きながら、隣で服を整えている上司へと注意する。

「あんな大きい鏡があるのに、なんで気付かないんですか……」
「ちゃんとしたつもりなんだけどなぁ」

 照れ笑いを浮かべる上司に、穂香はクスクスと笑う。完璧な人間なんて、そう滅多にはいないみたいだ。
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