ネカフェ難民してたら鬼上司に拾われました
「このビルって確か、その内に解体される予定だよね。駅前の開発計画エリア内だから、さ来春には更地になってるんじゃないか」
「はぁ?!」
「物件を見る前に、まずは信頼できる仲介業者を確保しないと。彼女のことを騙したつもりが、君自身が騙されてたってことだね。ま、年内いっぱいは営業を続けられるだろうし、せいぜい今の内に稼いで次の物件を探すんだな」

 川岸は親の代から引き継いだ店を5店舗まで拡大させた男だ。営業圏内の地域情報は一通り把握していて当然のこと。

「ああ、そうだ。彼女の部屋の合鍵は返してあげてくれるかな。あと、荷物を勝手に持ち出した時に床をかなり傷付けていったみたいだから、その補修代金は店へ請求書を回して貰うね。今日は君の連絡先が判明して良かったよ」

 茫然とする栄悟のことは放って、穂香の腰に手を回したまま愛車へと踵を返す。川岸にエスコートされ、助手席へと乗り込んだ穂香は、歩道の上で頭を抱えて項垂れ始める元カレのことを、哀れみの目で眺めていた。

 エンジンをかけ直し、静かに走り始めた車の中。穂香自身もいろいろと頭が混乱していたせいで、マンションの駐車場につくまでぼーっとしてしまっていた。栄悟から回収できた合鍵を握りしめたまま、ずっと窓の外を眺めていた。
 自走式の駐車場の契約スペースに車を停めた後、川岸がぽつりと呟く。

「ごめん。俺、すごく大人げなかったかも」

 ハンドルから離した左手で、前髪をクシャクシャと掻いて、恥ずかしそうに笑っている。

「君の元カレだと思うと、つい……」
「いいえ、オーナーが居てくれて良かったです。でないと私、あいつのこと数発は殴ってました」
「数発って……一発どころじゃないんだ」
「はい。一人じゃきっと冷静でいられなかっただろうし。オーナーの顔見たら、ホッとしたって言うか」
「それなら良かった。それよりその、オーナーって呼ぶのは、いつ止めてくれる? 堅苦しい呼び方は嬉しくないな」
「え……じゃあ、私のことも名前で呼んで下さい。隼人さん」

 身体ごと向きを変えた穂香が、少し照れながら男の下の名を初めて口にする。川岸は自分のシートベルトを外して、その両腕を伸ばした。助手席に座ったままの穂香のことを愛おしそうにギュッと強く抱きしめながら、耳元で優しく囁いてくる。

「穂香。ずっと、ずっと傍に居て欲しい」

 ― 完 ―
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