ボンクラ婚約者の愛人でぶりっ子な悪役令嬢が雇った殺し屋に、何故か溺愛されていました

21. 何も考えていなかったの


 いつもの学院のはずですが、今日から私の心持ちが違うからか、いつもと違った景色に見えました。
 廊下ですれ違う学生たちは、男女問わず普段と違って年相応になるよう華やかに着飾った私を振り返っているのです。

「確かに普段よりは少しばかり華やかに装ったけれど、そんなにいつもと違ったかしら?」

 首を傾げながら教室へと向かいます。

「皆さまごきげんよう」
「ごきげんよう、エレノア様」
「まあ、エレノア様! 今日のお姿はいつもと違いますわね。お化粧も、髪形もとても素敵ですわ!」
「普段のエレノア様もお淑やかで素敵ですけれど、今日のように華やかな装いもお似合いです」

 級友の御令嬢方が私の変化に気づいて声をかけてきてくださいました。

「ありがとう存じます。今朝お兄様からお言葉をいただいて、少し気分を変えてみようと思いましたのよ」

 ジョシュア様の婚約者である私のことを、普段ならばなるべく視界に入れないように留意している令息方も、今日は騒がしくしているからかこちらをチラチラと覗き見ています。

「お兄様とは『騎士団の華エドガー様』かしら? それとも『怜悧な頭脳の鉄仮面ディーン様』? どちらにしても、素敵なお兄様方をお持ちで羨ましいわあ」
「まあ、お兄様方がそのような二つ名で呼ばれてらっしゃったなんて存じませんでしたわ」

 私の雰囲気が変わったからか、いつもと周囲の接し方も異なっている気がいたします。
 心なしか学院での居心地が良くなったような気がするのでした。

「エレノア、おはよう」
「シアーラ、おはよう。それでは皆さま、またあとで」

 シアーラが教室に入ってきたのを見つけて、私は彼女のそばへと近寄りました。
 最近あった様々な出来事を彼女に早く話したかったのです。

「シアーラ! 大変なのよ。話を聞いて!」
「あら、エレノア。貴女いつもと随分イメージが違うのね。なんだかとってもつ……」
「それより、大変なの!」

 まだ話の途中でシアーラの言葉を遮るなど、普段なら絶対にしないことですが、どうしても彼女に話したくてたまらなかったのです。

「私、恋をしたのよ」
「え? またまた突然ね。それで……お相手は誰?」
「私を殺しにきた刺客よ」
「……え⁉︎ 貴女を……むグッ!」

 私は大きな声で叫ぼうとしたシアーラの口元を、思わず手で押さえ込んでしまいました。
 そしてシアーラが落ち着いたのを見計らい、そっと手を離したのです。

 だって、シアーラったら声が大きいのですもの。
 
 周囲の方はそれぞれに会話を楽しんでいましたから、私たちの異様なやりとりには気づいていないようです。

「貴女を殺しにきたって、一体どういう意味?」
「ドロシー嬢が私のことをいよいよ邪魔になって、腕利きの刺客を放ったのよ。かなりの手練れで侯爵家の警備を何なく掻い潜って、ある時私の部屋まで来たの」
「はぁ……エレノア、それってそんなに嬉しそうに言うことじゃないでしょう。それで、大丈夫なの? 痛い目に遭わされたりしていない?」
「見ての通り大丈夫よ。刺客の彼も、私が懇切丁寧にドロシー嬢やジョシュア様との事情を説明したら、何故か助けてくれることになったから」

 とても懐疑的な目でこちらを見つめるシアーラを、私はなんとか納得させようと話を続けようとしたところで始業の合図が鳴りました。

「続きはまたあとでゆっくりね」

 とりあえず話の続きは休み時間まで先延ばしにして、落ち着かない心を何とか鎮めながら授業を受けたのです。

 

 そしてやっと休み時間になりました。昼食を庭園のガゼボで取りながら、私はシアーラに今までの出来事を話したのです。

 刺客に初めての恋をしたこと。
 ドロシー嬢だけでなく、ジョシュア様も私のことを亡き者にしようとしていること。
 家族に状況を少しだけ話したこと。

「本当に、驚くほど短期間で色々とあったのね。それで、さっきから刺客だの彼だの呼んでいるそのお相手の名前は?」
「それがね、まだ聞いていなかったことに私も今朝方気づいたのよ」
「何それ。エレノア、貴女しっかりしているようでどこか抜けているのね。頬を林檎みたいに赤くするほど興奮して話すくらいすっかり心を奪われた相手の名前も知らないなんて」

 可笑しそうにしながらも、私の初めての気持ちをきちんと聞いてくれたシアーラはやはり唯一無二の親友だわ。

「それにしても、ジョシュア様も思い切ったことをしたわね。貴女との婚約は国王陛下からの王命でしょう? すぐにドロシー嬢と婚約を結んだら、明らかにおかしいと疑われるということは考えないのかしらね」

 シアーラの言うことは本当に尤もなことなのです。
 どうしてそのようなことが分からないほどに残念な頭になってしまわれたのか、確か昔はもう少しまともだったと思うのですけれど。

「もうきっと頭の中があのドロシー嬢のふしだらな誘惑でいっぱいなのよ。あの夜会の日、自分が居る部屋で二人が睦み合うところを、じっと息を潜めて聞いていなければならなかった私の気持ちが分かる? しかもその時二人は、平然と私を亡き者にしようと計画していたのよ。情けなくて悲しくて、一体今まで自分は何のために努力してきたのか……すっかり分からなくなったわ」

 軋む寝台で二人がどのようなことをなさっていたのか、いくら乙女の私でも分かります。
 
「それでエレノアはその刺客の彼と今後どうするつもりなの? 十中八九刺客の彼は平民、貴女は侯爵令嬢よね? 身分違いの恋愛が許されるほど、高位貴族である貴女の立場は軽いものではないでしょう」

 シアーラに言われて初めて思い至ったのです。
 私は彼とこれからどうするつもりなのかなど、全く考えてもいませんでした。

 ただ好きだという気持ちを伝えて、それで……よく考えてみれば、彼の気持ちすら聞いていないわ。
 蠱惑的だとか何とか言っていただけで、好きとも嫌いとも言われていません。
 ただ口づけを交わしただけなのです。

「私ったら、何も考えていなかったわ……」

 恋というものは、こうも人を愚かにしてしまうものなのですね。
 これではとてもジョシュア様の事を笑ってなどいられません。


 
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