ボンクラ婚約者の愛人でぶりっ子な悪役令嬢が雇った殺し屋に、何故か溺愛されていました
25. やっぱり貴方だったのね
「この御令嬢は俺の標的なんでね! ドロシー・ケイ・プライヤーに依頼されてるもんだから、アンタらに殺されると報酬が貰えないんだわ! だからさ、とりあえず俺が預かって行くから!」
「お前は確かにあの日の殺し屋だな! あの女の依頼はもう無効だ! その女は……僕が殺す!」
怒りからか顔をリンゴのように真っ赤にしたジョシュア様は、私の目の前に立つ刺客に向かって喚きます。けれども護衛騎士もジョシュア様も、悔しそうな顔をしてその場から動けずにいるのです。
恐らく、それほどまでにこの刺客の腕は確かなのでしょう。
動かない二人を尻目に、恋愛小説の英雄のように私の目の前に颯爽と現れた彼は、ひょいと私を抱き上げてその場を去ろうとしたのです。
「待て! その女を置いていけ!」
怒りにお顔が歪められたジョシュア様が再び喚き、我に返った護衛騎士がこちらへ向かおうとした時……。
――シュッ……!
護衛騎士の喉元に私を抱く彼が放った小刀が突き刺さり、一呼吸後にはおびただしい量の血を噴き出しながらその場に倒れたのです。
騎士は口をパクパクとさせていますが、その度に喉元から血が溢れて声にならないようでした。
もう、きっと助からないでしょう。
「なっ……!」
残されたジョシュア様はその惨劇を目の前にして、その場から動けなくなったようです。
悔しそうにこちらを睨みつけるだけで足元は動こうとしておりません。
「じゃ、コイツはもらって行くから」
そう言って彼は私を横抱きにしたまま林の中を走り抜けました。あたたかな腕の中にほっとしたからか、そのうち私は意識が遠のくのを感じたのです。
単に血を流しすぎたのかも知れません。
ガタガタと身体が揺れる気配がいたしました。
硬い板の間に寝かされているような感覚で、頭の下にだけ柔らかな物が敷いてあるようです。
それでも瞼がとても重く、目を開けることが出来ないのです。
再び意識が深いところに沈んでいくような気がして、聞こえていた音も感覚も途切れました。
「とりあえずこのまま固定して、しばらくは安静にするように。だけどまだ随分痛むと思うから、薬はここに置いておくよ」
「歩けるようになるのか?」
「……分からないな。安静にして、落ち着いたら歩く稽古をしてみることだな」
「……そうか。すまなかった。助かったよ」
「お前が頭を下げるなんてな。珍しいこともあるもんだ。ま、しばらく大事にしてやれよ」
「何かあったらまた頼む」
誰? あの人と誰か他の男性の……声?
もう起きなきゃ……ああ、瞼が重いわ。
深くて暗いところから、段々と明るいところに急浮上していくような感覚を覚えて、自分の瞼が揺れる気がしました。
ゆっくりと目を開けると、邸の天井より低い位置に、見たことのない木目の天井が見えたのです。
「ここ、どこ?」
頭を動かすのも億劫で、目線だけで周りを見渡すと、広いとは言えない部屋の中で寝かせられているというのが分かりました。
初めて見る部屋、窓も小さく可愛らしい大きさで、調度品は決して華美ではなく全て安価な木材でできているようです。
――ガチャッ……
部屋の扉が開く音でしょうか? 頭が重くて……身体も動きそうにありません。
「……貴方……なの?」
掠れた声でそう問いかけると、急いだような足音がこちらへと向かってきました。
「エレノア!」
ああ、やっぱり貴方だったのね。
名前も知らない銀髪の、紅い宝石眼の人。
安心した私は身体の力がすっと抜け、自然と軽く微笑んだのです。