雨の箱庭 甘い傷の舐め合い

雨宿り

『フタミの首! 私、見ちゃった……!』

 興奮した様子のクラスメイト。
 幼稚園のときから、何度も繰り返されてきた光景。

 昼間のことを思い出してまた傷つく自分に嫌気がさして、無意識にため息が出てしまう。
 もっとも、このアンニュイな気分は天気予報をちゃんと確認してなかった自分への嫌気も入っているのかもしれない。もう梅雨入りだろうか。

 降り出した雨に駆け込んだバス停。
 普段使うことのないバス停はしっかりと屋根も壁もあるタイプで、助かったという安堵も混ざる。
 それでも気分が晴れないのは、やっぱり体育の後のロッカールームで聞いてしまったやり取りのせい。
 忘れ物なんて、取りに戻るんじゃなかった。

 カバーがズレないように気を付けながら着替えるのにも慣れていたはずなのに、上手くいかない。
 首元を隠すように伸ばした黒髪も今はずぶ濡れ。
少し梳くと夏服に変わったばかりのセーラーカラーが余計に濡れてしまった。

 一時間に一本しか路線バスの来ないようなバス停。誰かがここで待っているのを見たことがなかった。
 だから油断した。
 雨を吸って重くなったネックカバーが肌にまとわりついて気持ちが悪い。外して絞ると案の定、大量の雨水が足元に水たまりを作った。

「花火みたい」

 バス停の建屋の奥の暗がりから若い男性の声がして、体に震えが走った。

「その首の、キレイだね」

 また声がして、とっさに首元を手で隠す。
 声がした方を振り返った瞬間、空に稲光が走った。遠雷なのか音もせず光だけを届けた雷に、暗がりが照らされる。
 奥に設置されたベンチに浅く腰かけ、物憂げに背をもたれさせている影。
 私と同じ校章のついた学ランにウインドブレーカーを合わせて、フードを目深に被っている。

「なんで隠すの?」

 影になって表情が見えないまま、首を傾げて問われる。
 決してキレイとは言えない傷だと、自分が一番よくわかっていた。
 強い痛みを伴う皮膚症状。
 幼稚園のときにかかった病は、今も消えない傷跡を私の首に残している。
 ケロイド状に盛り上がった傷跡は強い赤味を残して、触れば歪な肌の感触がする。花火なんてキレイな物じゃない。コーヒーを飲んで酔っ払ったクモが作った巣みたい。
 小学校のころ、そういう動画を見たらしい男子が嘲笑(わら)った。

「隣のクラスのフタミさん、だよね?」

 影がゆっくりと立ち上がり、私に歩み寄ってくる。
 百八十センチはありそうな長身が迫ってきて思わず後ずさるけど、そう動けなかった。
 雨足は増して、バス停の屋根から滝みたいに雨が落ちてきていた。
 逃げられない。

「リヒト、くん?」

 私のクラスは廊下の突き当たりで、隣のクラスというと一つしかない。その隣クラスのなかで、思い当たる人が一人浮かんだ。背が高くて目立つから、一度だけ名前を聞いたことがある。
 私が名前をつぶやくと、ふわりと彼の口元がほころぶのがわかった。

「オレのこと、知っててくれたんだ。嬉しいな」

 遠雷を受けて緑に光を反射する目が、細められる。
 背が高くてカッコイイけど、フードを被って誰ともつるまない変わり者だって、名前と一緒に聞いた気がする。

「その傷、いらないならオレにちょうだいよ」

 その噂は違わない。
 リヒトくんは首を押さえる私の手をつかむと、引きはがす。
 傷跡を見られたくなくて抵抗するけど、彼の力は強くて敵わない。強くつかまれた手首が痛くて、手形がつくんじゃないかと思った。
 涙目になる私を見下ろすリヒトくんの笑顔が、貼り付けたようだった。

「やっぱり、キレイ」

 微笑むリヒトくんの目が、私の傷跡をまじまじと見つめる。
 手首を掴まれたまま身動きが取れないでいると、リヒトくんが身を屈めてくる。

 なんだか怖くて顔を背けていると、リヒトくんの唇が首筋に触れた。
 唇だけじゃない。私の盛り上がった傷跡を、リヒトくんの舌が舐める。

「ひゃ、あ……」

 驚いて変な声が出てしまった。
 恥ずかしくなってもリヒトくんに掴まれたままで、顔を手で隠すことも出来ない。

「ねえ、フタミさん。恋人を前提に、オレと友達にならない?」

 私の首から離れたリヒトくんが、私の両手を掴んだまままっすぐに目を見つめてくる。
 リヒトくんの奇妙な告白に、私は目を瞬く。
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