イケメン御曹司とは席替えで隣になっても、これ以上何も起こらないはずだった。

No.03:自宅にて

「ただいまー」

 ファミレスでのバイトが終わったのが9時半。
 10時過ぎに家に戻った。

「おかえり、華恋」

 テレビを見ていたお父さんが、声をかけてくる。
 月島政利(まさとし)
 中堅の設計事務所で働く、普通のサラリーマン。
 一応、一級建築士の資格を持っているらしい。

「晩ごはん、作っといたから。まあ冷凍チャーハンと、サバ缶だけど」

 テーブルの上を見ると、チャーハンとサバ缶らしきものが盛り付けられたお皿に、ラップが被せてある。

「ありがとう。助かるよ。もうバイトでクタクタ」
 私はそのお皿をレンジの中に入れ、ボタンを押した。

 わが家は父子家庭だ。
 母親はもともと心臓が悪く、入退院を繰り返していた。
 ところが運悪く、膵臓がんを発病。
 その後5年の間に全身に転移してしまった。
 闘病も虚しく3年前の夏、私が中2の時に他界した。
 ガリガリにやせ細った母親の姿を、今でも覚えている。

 お父さんは決して低収入ではないけど、母親の治療費の負担は大きかった。
 特にがん治療には、今から思えば非科学的と思われるような治療にも、かなりお金をかけたらしい。
 その時は、もう(わら)をも(つか)む思いだったに違いない。
 お父さんはいろんなところから借金をしていた。
 結局母親は亡くなり、多額の借金だけが残るという最悪の結果となった。

 従って我が家の経済状況は、とても苦しい。
 今住んでいるこのボロアパートも、築40年は超えている2Kの物件。
 畳はカビ臭いし、キッチンの床板はギシギシうるさいし、放っておくとGだって普通に出てくる。
 それでも家賃が安いらしいので、贅沢は言えないだろう。

「でも華恋がアルバイトしてくれてるし学費もかからないから、お父さん助かってるよ」

「家にお金を入れたほうがいい?」

「いや、華恋だってお小遣いとか学校で必要なお金があるだろう? それに使いなさい」

 私は去年、私立英徳高校に入学。
 どうやら入学試験の成績が良かったらしく、特待生となった。
 つまり授業料が免除される。
 公立の高校も受かっていたけど、それが理由で英徳に進学した。

「学校はどうだ? 楽しいか?」

「ん? まーね。友だちもいるし、バイトでいじめられることもないし。楽しいよ」

「そうか。それはなによりだよ」

 お父さんは私のことをいつも心配してくれている。
 片親をなくし、経済的にも不自由させているという負い目でもあるのだろうか。
 全然そんなことは、気にしなくていいのに。

「そういえばさ、今日例の宝生グループの御曹司としゃべったんだよ。市立図書館で」

「市立図書館? あれ、たしか同じクラスじゃなかったか?」

「そうそう。でも今まで話したこともなかったし。そしたらさぁ」

 私は今日、図書館であったことをお父さんに話していた。

「あーっはっはっ、そいつは傑作だ。キャラメルを踏んづけるとはねぇ」
 お父さんは爆笑していた。

「もう本当にびっくりだよ」

「まあ明日が楽しみじゃないか。せっかく話すようになったんだから、友達になれるといいな」

「どうだろうね」

 私は曖昧な返事をしたけど、あの緩やかな微笑みを浮かべた彼の横顔を思い出して、心穏やかではなかった。
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