イケメン御曹司とは席替えで隣になっても、これ以上何も起こらないはずだった。

No.30:カタツムリ

「ほい、これ」

「え? なに?」

 私は彼が差し出した小さな袋を受け取った。
 包装紙からすると、さっきの売店で買ったもののようだ。

「やるよ」

「えっ?」

 やるよ、って言われても……。

「あ、開けてもいい?」

「もちろん。大したもんじゃないぞ」

 私は袋を開けた。
 中からキーホルダーが出てきた。
 サメのキーホルダーで、アメコミのようにユーモラスなデザインのやつだ。

「似てるだろ?」

「誰がサメよ」

「凶暴なところだ」

「だから凶暴じゃないでしょ!」

 私たちは言い合いながら、歩いていく。
 そんなに気を使わなくていいのに……。

「でも、いいの? もらっちゃって」

「チケットを出してもらったからな。一応お礼みたいなもんだ」

「やめてよ。そんなこと言ったら、私はどんだけお返ししないといけないのよ」

「後日まとめて請求する。大丈夫だ、体で返せとは言わないから」

「うわー、マジセクハラ。どうせ私は体の凹凸が!」

 そういいながら彼の腕をポカポカと叩いてやった。
 宝生君は爆笑していた。
 私は笑えないんだけど。

 そうやって2人ふざけて歩きながら、近くのサンゼリアへ向かった。
 休日なので混んでいる時間帯を外した。
 今は午後2時前だから、ピーク時は過ぎただろう。

 サンゼリアに着くと、混んでいたが待ち時間なしだった。
 席について、2人でメニューを眺める。

「これは……思った以上に安いな」
 宝生君はメニューを広げながらごちた。

「やっぱりそうかな?」

「ああ。これだと本当に回転をあげないと、利益がとれないんじゃないかな」

「うん、そんなイメージだよ。いつでも混んでるしね」

「実はサンゼリアは、あるアンケート調査で外国人観光客の中で人気ナンバーワンのファミレスらしいんだ」

「へーそうなんだ」

「ああ。グループで来てオードブルにサラダ、メインにデザート、それにワインもしっかり飲んで一人当たり20ドルもかからない。味のレベルもかなり高いし、チップも不要。そんなイタリアンレストランは、海外にないそうだ」

「なるほど」

「グラスワインが一杯100円とかだろ? ありえない」

「まあサンゼリア価格ではあるよね」

 注文が決まってから、オーダー用紙に記入する。
 宝生君がパスタの大盛り、私がドリア、シェア用にピザとサラダも注文。
 あとはドリンクバーが2つ。
 そしてベルを押して、用紙を店員さんに渡した。

「このオーダー方法、効率を極めた感があるな。ただちょっと無機質な感じは否めない」

「そうだね。でもこのシステム、私のバイト先でも採用してほしいな」

 2人揃ってドリンクバーへ向かう。
 私は白ぶどうのジュース、宝生君はウーロン茶を持って席にもどる。

「子供がメロンソーダとコーラとオレンジジュースを混ぜてたぞ。どんな味がするんだ?」

「まあドリンクバーあるあるだね。あとさ、サンゼリアといえば都市伝説とかもあるし」

「都市伝説?」

「前にね、サンゼリアのエスカルゴが凄く人気が出た時があったの」 

「なにっ? エスカルゴまであるのか……本当だ、しかも安いな」

「そう。その時に『日本中のカタツムリがいなくなった』って噂がたったんだよ」

「それは都市伝説と言うより、ネタだな」

「でも最近、カタツムリ見なくなったと思わない?」

「……怖いこと言わないでくれ」

 そんな話をしていると、料理が運ばれてきた。
 2人でいただきますと言って、食べ始める。

「うん、この値段とは思えない味だな。流行るわけだ」

「そうだね。リピーターも多いし」

「ただこの値段で出せるという事実の裏側には、安い人件費というのがあるのも見逃せないな」

「人件費が安いって?」

「そのままの意味だ。2018年の統計だとOECD加盟35カ国のうち、日本の平均年収ランキングは24位で決して高くない。ちなみにお隣の韓国が19位で日本より高い」

「えー? そうなの?」

「4位のアメリカの平均年収は、日本の1.7倍だ。もちろんアメリカはとんでもない高所得者層がいて、それらが平均を押し上げているという要因があるが、一方で日本の平均年収はこの30年ぐらいほとんど変化がないんだ」

「そうなんだね」

「もちろんその分、日本の物価自体も上がってないわけだが……何かの犠牲の上に成り立っている経済っていうのは、納得がいかないと思わないか? こんなんじゃあ、俺たちの世代は結婚して子供を育てること自体がとても大変で、人口なんか増えるわけがない」

「……なんだか明るい未来が見えてこないね」

「……すまん。やめよう、食事がまずくなる」

 でも我が家が経済的に逼迫しているのは、主に借金からなんだけどね。
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