王族の婚姻に振り回された聖女ですが、幸せを見つけました
宗教画に描かれる初代聖女の絵は、時に女神の慈悲を請い、時に戦火に巻き込まれた民の傷を癒やし、時に悩み苦しむ民の心に寄り添う。たとえ絵画越しであっても、慈しみにあふれた微笑みを見るたび、勇気づけられた者も少なくないだろう。
理想の聖女像を求める気持ちもわからないまでもない。しかし、意図的ではなくても初代聖女と比べられることは、クレアという人間性を否定されているようで毎回心に影が落ちる。
クレアは慈愛の女神でもなく、初代聖女でもなく、ただの人間だ。喜怒哀楽の感情だって当然ある。聖女のお勤めでは感情を表に出さないだけだ。
(感情的になる聖女は聖女ではない。つまりは、そういうことよね……)
聖女になってから、誰も自分自身を見てくれない。
クレアをただの少女として扱わない。求められている役割をこなさなければ、周囲の者たちにとってクレアが存在する意味はないに等しいのだろう。
(――聖女になんて、選ばれなければ)
そう思っていたときだった。
よく響く声が、沈みゆく思考に割って入ってくる。
理想の聖女像を求める気持ちもわからないまでもない。しかし、意図的ではなくても初代聖女と比べられることは、クレアという人間性を否定されているようで毎回心に影が落ちる。
クレアは慈愛の女神でもなく、初代聖女でもなく、ただの人間だ。喜怒哀楽の感情だって当然ある。聖女のお勤めでは感情を表に出さないだけだ。
(感情的になる聖女は聖女ではない。つまりは、そういうことよね……)
聖女になってから、誰も自分自身を見てくれない。
クレアをただの少女として扱わない。求められている役割をこなさなければ、周囲の者たちにとってクレアが存在する意味はないに等しいのだろう。
(――聖女になんて、選ばれなければ)
そう思っていたときだった。
よく響く声が、沈みゆく思考に割って入ってくる。