侯爵様の愛に抱かれて。〜大正溺愛華族譚〜
「その女に罪はない! 離してもらおうか!」

 声がした方を葉子と男、それにいつのまにか出来上がっていたやじ馬らが振り返るとそこには灰色のスーツ姿の紳士が着物姿の付き人を数名携えて立っていた。いかにも華族の人物である。

「誰だ貴様!」
「紀尾井坂正則。爵位は侯爵。さあ、その女を離せ。無理なら警察を呼ぶ」
「ひっ、き、紀尾井坂様……!」

 男は慌ててその場から走り去った。正則はやれやれと呟き息を大きく吐くと、座り込んでいる葉子の元にひざまずく。

「婦人。けがはないか?」
「あ……」

 葉子の手には小さな擦り傷が出来ていた。正則がそれを見つけると葉子の手を大事そうに支え、傷をじっと見る。

「屋敷に来たまえ。手当をしよう。女中ゆえか……あかぎれの跡もあるのな」
「あ、そんな……」
「金はとらん。心配するな。それと貴様……大波家の者だな?」

 見事に素性を言い当てられた葉子。目を丸くさせる。正則からは葉子の反応は予想通りだったらしく、特段動揺する事も驚く事も無かった。

「貴様の事は知っている。子爵と芸者との間に生まれた娘である事もな」
「き、紀尾井坂様……どうして……私の事を」

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