引きこもり婚始まりました
順調すぎて怖いくらい。
その言葉はこんな時に使うんだろうと、あの時も思った。
「……優冬くん」
「ん? あ、次の角曲がるよ」
でも、今回はかなり違う。
この前の冷やかされまくった食事会が懐かしいくらい、今のこの状況が理解できない。
「……根回しした? 」
この、オフィスなのか何なのか分からない建物がどれだけ豪華だったって、初めて来る場所だからって。
さすがに手を繋がれていれば、迷いようがない。
わざわざそんなことを言って、暗に「手を離さないで」と人前で告げる優冬くんを、ジトリと見上げた。
「何のことでしょう。……うそ。したよ、もちろん。根回しも牽制も。こんなことで、めぐが傷つくのは絶対に嫌だし」
「……でも、それじゃ優冬くんが」
会う人会う人感じが良すぎて、不自然なくらいだった。
牽制というより、脅しに近いんじゃないかと心配になる。
「俺に面と向かって文句言う奴なんて、まずいないよ。でも、これからはめぐ一人で社内を歩くこともあるでしょ。一緒に出社してくれるだけでも有り難いのに、嫌な思いさせるなんてあり得ない。だから、これは必要」
そう。
あれから、優冬くんの仕事のお手伝いをする機会も増えて、内容も少しずつ深くなった。
反比例して、私の業務量が日に日に減っていったから、どうせならちゃんと皆さんに挨拶をと思ったのだけど。
「それに、最初はそうだったかもしれないけど、実際に仲良くなったのはめぐの人柄だよ。ほら、この前も会った彼女とか」
「華子さんは……だって、いきなり奥様って呼ぶんだもん」
「合ってるでしょ? あ、ほら、噂をすれば」
のんびり歩く私たちとは対照的に、後ろからタタッと軽やかな足音が聞こえて振り向くと、自分だってお偉方のお嬢様な華子さんがいた。
「まだこんなところにいたんですね。でも、よかった。同僚が萌さんに会いたいって集まってて。カフェテリアとか案内するので、よかったら一緒にお茶どうですか? 」
「めぐは、どこ行っても人気なんだから。みんな、俺から奪ってっちゃう」
「社内で手繋ぎデートしてる人の台詞じゃないですよ」
いや、まったく。
でも、彼女の優冬くんにすらポンと言っちゃう感じは好ましい。
「えっと……確かに、デートはよくないと思うから、行ってきていい? というか、いい加減、道覚えさせて……」
このまま手を引かれていたら、いつまで経っても一人で歩けなさそう。
「えー……仕方ない。いい子にお仕事したご褒美、後でくれるって約束するなら」
「そ、そういう恥ずかしいこと言うから、早く逃げたいの……! 」
そうは言っても、一人だけ仕事させるのは気が引ける。
会社にカフェとかそこからうちの会社とは全然違うけど、ともかく何か差し入れも兼ねて。
「俺から逃げたいなんてひどい。……でも、行っておいでよ。たまには、女性だけで俺の愚痴とか語りたいだろうから。気が済んだら、早めに帰ってきて? 」
「……愚痴らずとも、もうバレバレな気がする」
というより、惚気話になるから言わない。
……言わなくても、どうせその話題になりそうだし。
「大変ですねぇ、プリンスからの溺愛も」
(……ああ、そっか)
クスクス笑われて真っ赤になったり、優冬くんの少し――いや、かなり寂しそうな顔に困惑したり。
今この瞬間は反応に忙しいのに、頭の中は妙にクリアで強烈な違和感を覚えていた。
(……好意的すぎる、だ)
優冬くんの根回しや牽制を前提としても、華子さんはフレンドリーすぎる。
優冬くんがやけにあっさり手を離したのも、きっとこれが理由。
――リモートに飽きてきたのが、きっとバレた。
同世代との、何てないやり取り。
上司や先輩との会話の、ちょっとした緊張感。
そういうのが私に不足していると、優冬くんは感じ取ったんだと思う。
それが積み重なって、外に出たくなる前に――恐らく先手を打ってきた。
(……だったら? )
そうだとしたら、何なのだろう。
実のところ私は、今満たされたんだ。
華子さんや他の人たちは、確かに本心から私と親しくなりたいわけじゃないだろう。
それなりの圧力と打算は別として、どこの会社でも似たようなものだ。
プライベートではけして仲良くしようとは思わなくても、業務を円滑に進める為にも表面上の付き合いは必要になることが多い。
そういうのを抜きにしても、単純に仕事は楽しい方がいいのもある。
そこから本当に仲良くなる可能性も、どちらも同じくらい。
――無意識に欲したものを、優冬くんは用意してくれただけだ。