引きこもり婚始まりました
こんな幸せを表現するのに、「人間じゃなくなる」は物騒すぎる。
でも、他の言葉を探してみても、どうしても穏やかではいられなかった。
「脳が溶ける」とか、「外の世界を忘れそうになる」とか――ここは。
「めぐ……」
――優冬くんだけが側にいてくれたら、それで完成する箱庭みたい、とか。
「……っ、好き……。好きだ……」
(……わたし、変だ)
優冬くんが大好きで、お姫様みたいな結婚式ができて、ハネムーンはそれを通り越して、それこそ女神様みたいにある種崇められるほど大事にされて。
優冬くんからも、もちろん私から優冬くんへの気持ちも「好き」でいっぱいなのに。
不快なものなんて、優冬くんと私の世界に存在感し得ない。
温かくて、ほんの少しヒヤッとしようものならたちまち不安になってしまうくらいの適温。
これが日常になってしまったら、外になんて出られるの?
こんなに大切にされるのが当たり前になったら、優冬くんに会える時間が減った時、我慢できるの?
そもそも「我慢」しないといけないのなら、もうその時点でどうかしている。
普通に戻れるだろうかと優冬くんに愛されながら思い、一瞬で手離した。
――恐らく、戻る必要はないから。
不要な心配は、するだけ無駄だ。
・・・
結論から言うと、そこまで諦めることはなかった。
ハネムーンも少し長めの休暇だと言える範囲内で、もちろん優冬くんと過ごすのが苦痛になるはずもなく。
きっと、私が疑心暗鬼にならないように計算されていて、ある程度の外出は何度もあったし下界との繋がりも私には残されていた。
「めぐ、大丈夫? 疲れてない? 」
変わったことといえば、以前の会社は退職した。
あの後もなぜか業務量は減り続け、優冬くんの手伝いが一日の割合のほとんどを占めていたからだ。
いろいろと面倒が増えそうな手続きを考えると、続けたいと思うほどの熱量はなかった。
「大丈夫だよ。まだ、なんかぼんやりしちゃうけど。変なことしてたら注意してね」
そして、正式に優冬くんの会社で勤めることになり。
気を抜くとハネムーン脳に戻りそうで、そのたびに何とか会社用の自分を連れ戻すけど上手くいかない。
「それは俺も。でも、めぐに助けてもらってやれてるから。……本当にありがとう。無理させたよね」
「ううん。あのまま、あの会社に残るメリットも特になかったから」
気掛かりといえば、日に日に春来の話題が家族間でも出なくなっていくこと。
私に気を遣ってるのかもとも思ったし、そもそも兄弟仲は良くない。
名前が出ないのは当然――だとは思う。
「ほんっとに助かる。俺が苦手なこと、ほぼ全部君がフォローしてくれるんだから。社交性って、身につけようと思ってつくもんでもないね……。まあ、仕方ない。相手だって、どう考えてもめぐと話したいに決まってるし」
「それは全然。……でも、男性が来たら笑顔で威圧しまくるのだけやめようか。みんな怖がって仕事にならないから」
優冬くんが苦手なことは、これまで春来が率先してやってきた。
能力がというより、単純に二人の性格と好みを優先しておじさんも割り振っていたんだと思う。
「笑顔になるだけでも頑張ってるのに。大丈夫。まさか、上司も上司の奥さんに言い寄る命知らずな男がいるなんて思ってないよ」
(……役に立てるのは嬉しいけど)
『これからお前にできることは、どんどん……』
――春来をどんどん表舞台から追いやってる……?
「それよりさ。今週頑張ったから、何かご褒美考えといて」
「ご、ご褒美って……。仕事だし、特にそれ以上のことをした覚えは」
私の思考を遮って、後ろから包み込まれる。
肩を寄せてくる腕のシャツの袖口。
一瞬目に入ったネクタイ。
何より、広いけど閉鎖された優冬くんのオフィスは「勝手には誰も来ないから」という安心のもとにイケナイ考えが生まれそうになる。
「じゃあ、俺のご褒美。……めぐはいてくれるだけで……俺を好きでいてくれるだけでいいって、いっぱい伝えるから」
言い直した時の声色が、毒を孕んでいるのは気がついてる。
「……嫌いになるようなこと、優冬くんはしないよ」
だから、それは甘い毒のまま。
「もちろんだよ」
後ろを向いているから、優冬くんの顔は見えない。
そう即答してくれた唇は、優しく自然に弧を描いているはずだ。
たとえ、妙な間があった気がしても。