引きこもり婚始まりました
正直、春来ほどの酷い経験は過去を遡っても他にはない。
「昔のことだもんね。忘れちゃった……? いいんだよ、それで。大丈夫、俺が覚えてる……」
忘れてしまった。
それはつまり、思い出の範疇ということであって。
私自身の中から抜け落ちてしまったことを、優冬くんはまるで私がたった今傷ついてるみたいに背中を擦ってくれた。
「幸せそうだったよね。……うん、そうだよ。めぐが結ばれる相手じゃなかった。相手が誰だか知らないけど、きっと相応でお似合いだ」
失礼すぎる慰め――いや、これは。
「君を傷つけることを許されて、幸せな奴。めぐがどんなに痛くて、怖かったか……想像するだけで苦しい。あの頃のめぐはまだ幼かったし、相手は年上だ。断るなんて、できなかったよね」
――ふつふつとした、怒り。
「ごめんね。俺だって、めぐの辛さを理解なんてできてないと思うのに。助けてあげられなくて、本当にごめん」
「……優冬くん、あのね。付き合ってれば、どんなに最高の相手だったとしても、まったく一度も傷つかないってことはないと思う。それに、その……初めてって、そうだから。先輩に酷いことされたわけでもないし、優冬くんが怒るようなことは、何も」
「そんなことないよ」
低く遮られて、肩がビクッと震えた。
「めぐが傷つけられるなんて。そんなの、絶対にあっちゃいけないことだ。そりゃ、付き合えばケンカもするだろうし、本当の本当にもしかしたら、めぐから起因したこともあるかもしれない。だとしても、けして傷つけていいことにはならないよ」
分かるような分からないような……いや、やっぱりめちゃくちゃだ。
確かに人を傷つけていい理由なんてないけど、お互い様のところはある。
ましてや、今思えば子どもの頃の話。
初めて同士で、何もかも手探りで。
結果的に別れることにはなったけど、あれが消したい過去だとは思わない。
「めぐを傷つけて、初めてはそういうもの、なんて……そんなふうに思う奴の気が知れないよ。初めての彼氏に組み敷かれて、頷く以外にできなくても仕方ない。そうだよね……? なのに、俺も春来も何もできなかった」
「……っ、優冬くん……! 」
そんなことはなかった。
あれは、私の意思でもあった。
「もう、今から言っても仕方のないことだよ。私も先輩も、ただの思い出になってる。先輩も既婚者で、奥さんしか見てない。た、確かに初めてではあったけど、そんなの、もうどうしようも……」
それが優冬くんだったら、どうなっていたんだろう。
もしも、それが春来だったら――……。
「めぐを責めてるんじゃないよ。君を傷つけて平然としてるのが信じられないだけ」
「だから、傷ついてなんてないってば……! 」
一体、どうしたら伝わるんだろう。
戸村くんの時は、優冬くんの歪んだ愛情に負けてしまったけど、今回はそのままにしておくとマズい気がする。
「未熟、だったんだよ。私も先輩も、もしかしたら春来や優冬くんも。みんな子どもだったから……だから、今、これから優冬くんと……」
(……ダメだ。きっと、こんなんじゃ……)
自分で、言っていて分かる。
「うん。大人になって、やっと……やっとなんだ。やっと、めぐを幸せにできる。春来が自分から堕ちてくれた分、今俺が春来のいた位置にいて、めぐが元々いるはずだった環境と同じものが手に入ったし。おかげで忙しくなっちゃったけど……ごめんね。寂しい思いはさせたくないし、俺もめぐと一緒にいたい。でも、もうちょっと寂しがってくれると嬉しいかも」
――綺麗事だって。
そのせいで、優冬くんから返ってきたものは相変わらず筋は通っていてもめちゃくちゃで、私の不安が的中しただけだった。