引きこもり婚始まりました













完全に目が覚めると、向かいのソファに優冬くんが横になっていた。
それを見てドキッとはしたものの、


(やっぱり、夢じゃなかったんだ)


と、何だかおかしな諦めみたいなものが広がって、罪悪感に変化しながらムクムクとモヤモヤを量産した。
私はやっぱり肌触りのいいブランケットに包まれていて、あの一瞬抱きしめられた感覚も夢ではなかった。
いや、抱きしめられたというのは強すぎる表現で、直接身体に触れたのはふわふわの毛だけだったと思う。
だからこそ、弟みたいとは一切思えなくて、寧ろ自分は男だから気を遣ったと言われてるみたいで。
優しく頭を撫でられ、出し切るのを促されたように次々と溢れていく涙を最後だけそっと拭った指先も。


(……あの時、何て言ったのかな)


優冬くんの気配がなくなる直前、何か囁かれた気がするのに。
そこの記憶だけ曖昧で、どうしても思い出せない。
頭を撫でられた感触はこんなにも鮮明なのに、どうしてだろう。


(……って、それより)


私にはブランケット着せて、自分は何も掛けずに丸まってる。
そうっとそうっと、起こさないように――……。


「……おはよ」

「……!! お、おはよう……」


真上からブランケットをそっと掛けようと思ったのに、影でもできて気配を感じたのだろうか。
いきなり目が開いて、手首を握られただけでドキッとしてしまう。


「ごめん。一人の方が落ち着くかなって思ったけど、考えが足りなかった。あんな殺風景な部屋で、リラックスしろって無理な話だよね。……春来の部屋と、大分違うだろうし」

「そ、そんなの優冬くんが謝ることじゃないよ。な、なんか寝ぼけてたみたい。ごめ……」

「……顔洗ってくるね」


(……まただ)


私が笑ってごまかしたくなるたび、そうやってクスッと笑って聞かなかったことにしようとしてくれる。

――また、甘えてしまった。





・・・




「大丈夫? 道覚えてる? 不安だったら送ってくけど」


今日は仕事だ。
昨日ゆっくり歩いてくれたおかげで迷子にならずに済みそうだったから、それは丁重に辞退した。
毎日のことなんだし、優冬くんだって忙しい。
無事に出社してしまえば、後の乗り切らなくちゃいけないことは決まってる。


「えっ、婚約破棄!? なんで……」

「しーっ!! 」


あと何度、「シッ!」を聞くことになるのか考えるだけで、気が遠くなりそう。
でもそれも、慣れなくちゃいけないことだ。
どうせ、別の人と婚約したというのが広まれば、また同じことになるんだから。
ましてや、相手が元婚約者の弟だなんて知られたら、もっと大きな噂になって、しかもずっと長引くに決まってる。




・・・



そんな一日も、恐らくは無事に終わり。
お世話になっているというのに、私はまったく何もできてないことに今更ながら気づく。
昨日はパーティーをしてくれたし、今度は私が何か買って帰ろうか。
もっとずっと庶民的なお返しにはなってしまうけど、せめて優冬くんが好きそうなものを。


(……って、何だろう……)


春来と三人でいた時は、ほぼ全部春来が設定していた。
それに優冬くんは否定も肯定も、喜んだり嫌がったりもしなかった。

面倒だったんだろうな。
一瞬でも早く終わるには、それがきっと最善だった。
ダメだと思うけど、身勝手だと何度もやめようと思うけど。それでもやっぱり、悲しい。


(今は知らないことばかりだけど……せめて、これから見つけていこう)


とりあえず、今日は何か買って帰って反応を見て。
何はともあれ一緒に暮らすんだから、きっと何か見えてくるはず――……。


「萌」


そう、足早に駅方面へと向かおうとしたところだったのに。


「……春来」


――まだ、この声を聞くの。









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