虐げられた人生に別れを告げた私は悪女の道を歩む

2-9 取引

「貴方、仮にもシェフなのでしょう? なのに何故あんな下働きの人間でも食べないような料理をこの私に出していたの?」

「そ、それは旦那様に命じられたからだ……」

ヤコブはたかだかシェフのくせに私に横柄な口の利き方をする。

「ふ~ん。お父様に命じられたの? だけど貴方はこの屋敷のシェフでありながら、伯爵令嬢の私にカチカチのパンや、冷めきった具材も味も殆ど無いスープを出していたのね?」

「ああ、そうだ。旦那様がこの俺を拾ってくれたから今の俺があるんだ。だから旦那様の命令は絶対なのだ」

ヤコブは腕組みをしながら私を見下ろす。

「あ、そう……。実はね、私最近町でお気に入りのパン屋を見つけたのよ。そのパン屋の名前は『パネム』と言うのだけど、とっても人気でいつも行列が出来ているのよね。安くて美味しいし、しかも種類が豊富となれば当然町の人達は買いに行くわよねえ? 私もあんなに美味しいパンを口にするのは生まれて始めてだったわ。だってこの屋敷ではカビが生えかかったようなカチカチのパンしか出せないのですものねえ?」

「な、何だって……?」

ヤコブの眉間にしわが寄り、顔が徐々に怒りの為か赤くなっていく。

「ライザ様は……俺の腕を馬鹿にする気なのか……?」

「馬鹿にする機などまったくないけれど? ああ、そう言えばこんな事もあったわ。実はねジュリアン侯爵様にお肉料理がメインのレストランに連れて行った貰った事があったの。その店はお客さんが多くてとても賑わっていたわ。それに出されたお肉もとっても美味しかったわ。だから思ったのよ。この屋敷には私の為にまともな料理を作れる料理人がいないから、私が個人的に自分専用の料理人を雇おうかと思ってるの。ちょうどここに金貨100枚あるしね」

私はわざともって来た金貨の袋をジャラジャラさせて中から1枚取り出して見せた。

「!そ、それは……っ!」

それを見た途端、ヤコブの顔色が変わった。それは当然の事だろう。父はとても強欲でケチな男だ。お金はあるくせに使用人達を安い給料でこき使っている。今目の前のシェフであるヤコブもそうだ。私が取り出した金貨1枚は彼等の給料の2ヵ月分に該当する。

「私はね、彼らを1カ月分の給料を金貨1枚分の賃金で支払おうかと思っているの。勿論私専属だから私の分だけ料理を作らせるつもり。彼等は町で人気店を作り上げているから楽しみだわ。それにもし、彼らの腕がこの厨房で認められれば貴方のシェフの地位も危うくなるかもね?」

私は背の高いヤコブを睨み付けた。

「クッ……!」

ヤコブは悔しそうに拳を握りしめる。

「……何が望みなんですか?」

「私にもお父様たちと同じ料理を出して頂戴。あんな料理食べれたものじゃ無いわ。大体この私を見れば分かるでしょう?」


頬はこけ、やせ細った貧相な身体。それは長年に渡り、栄養状態の悪い粗末な食事しか食べて来なかった結果だ。父は私を地味な女と言った。だが、あんな人並み以下の食事ばかり与え続けられていては肌の状態も悪くなるし、髪の艶も無くなる。何よりあばら骨が見えるような痩せ細った身体なのだから見栄えが悪くなっても仕方ない。

「……」

ヤコブは私をじっと見つめた。恐らくこれ程私を注視する事は無かっただろう。

「分かりました……」

初めてヤコブの瞳に同情の色が宿った。

「ライザお嬢様にも同じ食事を提供します」

「ありがとう、では今夜から食事は私の部屋に持って来てくれる? もう家族と食事を取るのはやめにしたから。私の部屋は今は南棟の3階、階段を登って手前から3つ目の部屋よ。隣はカサンドラの部屋だからすぐに分かるでしょう?」

そう、私はわざとカサンドラの隣の部屋の空き部屋を自分の部屋にしたのだ。もうこれ以上この屋敷で誰にも馬鹿にされない為に。


「ああ〜気分がいい!」

厨房を出た私は邸宅の中庭のベンチに座って伸びをした。一応、ヤコブには謝礼金として金貨3枚を渡した。1枚はヤコブの為に、残りの2枚は10人いる料理人達に分けるようにと、敢えて料理人を全員集めた所で私はヤコブに言いつけた。こうしておけばヤコブは金貨を独り占めする事は出来まい。
私は悪女になると決めたが、きちんと筋は通すつもりである。父のような業突く張りな真似は決してしない。私の為に尽くしてくれた者にはそれなりの対価を与えるつもりだ。そしてその逆も然り。
もし私に言い訳も許されない程の理不尽な行為を働いて来た者に関しては、こちらも容赦しない。徹底的に仕返しをするまでだ。
18年間虐げられて生きてきたのだ。

「いい加減、私も我慢の限界よ……」

私は決意を言葉にした――

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