空と海が出会う場所〜発達障害をもつ私が出会った、小さな恋と希望の物語
3.

予想外の言葉〜胸を吹き抜ける風

私は、たとえ同級生たちになじめなくても、
学校が嫌いだとは思わなかった。

教科書の挿し絵や、
音楽室のピアノの鍵盤の感触や、
体育館のにおい。 
学校の中には風変わりで興味深いものがたくさんあった。五感にしっくりくるものが好きだった。

だけど、クラスのみんなは、私のことがしっくりこなかったらしい。

学校のみんなは、私のことをヘンだとヒソヒソささやきあっている。

私は、ヘンとフツーについて考えてみる。
ヘンとフツーの境目はどこだろう。
私にはそれがよく分からなかった。

だけど、みんなは教えてもらわなくても、フツーに生きていれば、その答えが分かるらしかった。

どのリンゴも、ちゃんと赤い色に染まるみたいに、
イチゴは間違ってトマトになったりはしないみたいに、
当たり前に生きていれば、当たり前に身につけられる何かがあって、
みんなはそれをごく自然に身につけていくことができた。

学校で、教室で、街中で、どう振る舞えば浮かないか。
何がフツーで、何がヘンか。
みんなは知っているそれらのことが、私には分からなかった。

ヘンって何なんだろう。
リンゴだって、よく見れば少しずつ色が違う。
クラスの子たちも、顔も声も喋り方も違う。
違うっていうことと、ヘンということ。
その二つはどう違うんだろう。
私はヘンで、みんなはヘンじゃないのはなんでだろう。
そんなことを考えるから、ヘンって言われるのかもしれない。

      • • •

「南ってさ、変わってるよな」

夏川くんがそう私に言ったのは、ある日の体育の授業中のことだった。
 
その日、運動場でサッカーのドリブルとシュートの練習をした。
一直線に置いた三角コーンを、左、右と交互にかわして蛇行しながら、ゴール前までドリブルをしてシュートを決めるという課題を体育教師から出された。
授業時間が残り十分になったころ、
「ミスせずに一連の動作ができた人から、好きな遊びをしていい」
と、体育教師は言った。

私はうまくドリブルができず、途中でボールがあさっての方向に転がってしまう。
そのたびにスタートラインに戻っては、またぎこちない動きで球を蹴った。球を操るというより、球に遊ばれていた。
夏川くんは、あっという間に課題を達成したけれど、私が達成するまでそばにいてくれて、どうすればうまくドリブルできるか助言してくれていた。

クラスの他の生徒たちも次々と課題を終え、運動場の片隅で雑談をしたり、数人で集まってサッカーをしたりしていた。
あと、課題が達成できていない人は私だけになった。

私があんまり下手くそなので、体育教師さえ指導するのをあきらめて、「一人で練習するように」と言いおいて、他の生徒たちとサッカーをしていた。

私はまたミスをしてため息をつくと、サッカーを楽しむ生徒と体育教師を眺めた。
白線で囲まれたサッカーコートの中を、サッカーボールが行き交っていた。
生徒が体育教師へパスを出し、きれいにパスがつながって歓声が起こった。
「先生、こっち」と生徒が手をふる。 
体育教師が生徒にボールを回し、生徒は敵をかわしながら鋭いシュートをうった。 
見事にゴールが決まり、またまた歓声が起こった。
そこにいるみんな、表情が生き生きとしていた。

「ほら、南も課題を終わらせて、早く遊びに行こうぜ」

夏川くんが話しかけてくる。

「できるもんなら、やってるよ。
夏川くんはもう課題ができたんでしょ。
さっさと、遊びに行けば?」

私はいつも夏川くんにツンとした話し方をしてしまう。本当はそんな話し方をしたくないんだけど。

こんな話し方をしていたら、夏川くんを怒らせてしまうかもしれない。私は人を怒らせるのが得意だし。
そう思ったが、夏川くんはそばから離れようとしなかった。
私が課題を成功させるまで、ずっと待っているつもりらしかった。
もしかしたら、夏川くんは底抜けのお人よしなのかもしれない。

「もっとさ、こうやって蹴るんだよ。足を当てる角度が違うんだ」

夏川くんは、そんなふうに何度も教えてくれた。

「頭で分かったとしても、足が思い通りに動いてくれないんだもん」

私は唇を尖らせた。

「大体、なんでこんな球を蹴らなきゃならないの? こんなことして、なんの意味があるの?」

夏川くんに怒ったって仕方ないんだけど、私はだんだんイライラし始めていた。
私はまず、サッカーという球技に興味がもてなかった。私は好きなものが偏っている。
好きなことには、何時間でも打ち込めるが、興味がないことにはまったく関心をもてなかった。一応、興味を持つ努力をしてみるのだけれど、全然ダメ。
取り組む理由が理解できないものについては、余計にそうだった。

「理屈屋だな。
とりあえず、やってみりゃいいじゃん。
そういうとこがさ、みんなからめんどくせーって思われて、距離置かれちゃうんだよ」

学校の先生が聞き分けのない子供をさとすように、優しい口調で言った。
そして、やれやれというふうに笑った。

私は笑わなかった。
足を止め、地面に目を落とす。
サッカーボールは、急に操ってくれる人を失ってコロコロと遠くへ転がっていった。

「やめちゃうのか?」

「だって……」

土で汚れたスニーカーの靴先を、ムッスリした顔をして見つめる。

「なんだよ、むくれてんのかよ」

夏川くんが私の顔をのぞきこむ。その視線から逃れるように、顔を背けた。

夏川くんが言ったことは、たぶん、
正しいんだろう。
だけど、そんなにハッキリ言わなくてもいいじゃないか。

それに、私は理屈っぽいって言われるのが嫌いだった。
だけど、理屈で説明されないと嫌だった。
そんな自分を、まわりが扱いずらそうにしているのを見るのはもっと嫌だった。
本当、かわいくないなって思う。

私が地面を見つめて押し黙っていると、
「南ってさ、変わってるよな」
と夏川くんが言った。

私はズキリと心が痛んだ。
「私って、やっぱり……、ちょっと変わってるかな」

答えを聞くのが怖くて、ためらいながら発したその言葉に、夏川くんはあっさりとこう言った。

「そうだよ。変わってるし、ちょっと面倒くせー」

何かしらのなぐさめの言葉を期待していた私はますます傷ついた顔になった。 

私はため息をつくとその場にしゃがみこんだ。
そして膝を抱え、背中を丸くする。
ダンゴムシみたいに。
すると、夏川くんが、
「何、子供みたいなすねかたしてんだよ」
と言って笑った。
それでも、私が何にも言わないので、ハアとため息をついて、隣に肩を並べてしゃがみこんだ。

「本当、めんどくさいやつ。
だけどさ、俺、嫌いじゃないよ。おまえのそういうとこ」

私はびっくりして顔を上げた。

夏川くんを見ると、にっこりと笑っていた。

「ほら、そんなところにしゃがんでないでさ、立てよ」
夏川くんはサッと立ち上がって、青空を背にして私に手を差し伸べてくる。

「……自分で立てるよ」

そう言って立ち上がると、夏川くんは私と向き合ってニッと笑った。
私はすぐに、目を背けた。

「なあ」
と夏川くんがそっぽを向いた私に話しかけてくる。
「何?」
照れ臭くて不機嫌そうな声を出すと、夏川くんは楽しそうな口調で、
「おまえのこと、なんて呼べばいい? 名字呼びはナシな」
と言ってきた。

私はドキリと心臓がはねた。
人から急に心の距離を詰められたことがなかったので、私はどうしたらいいのか分からなかった。頭がボンッと爆発しそうだった。

戸惑いが顔に出ないように注意しながら、
「……勝手に距離つめてこないでよ」
と言うと、夏川くんは、
「だってさ……」
と言った。頭の後ろで手を組んで空を見上げている。
夏川くんの視線の先に目をやると、雲が気持ち良さそうに空を泳いでいた。

「おまえのこと、嫌いじゃないって言った時、一瞬、すげー嬉しそうな顔してたぜ。
こいつ、かわいい顔するじゃんって思った」

その言葉はまったく予想していないものだった。
胸の真ん中を風が吹き抜けたみたいだった。
私は心を奪われたように空を見ていた。
夏川くんも、隣で空を見上げていた。

「もう課題ができたことにしちゃおうぜ。
遊ぼうよ、海音」

海音、と自分の名前を呼ぶのが聞こえた。
私は、手を引かれ、運動場の土を蹴った。
二人の足が、軽く跳ねる。
辺りではにぎやかな声がしていた。その声の中に、私たちもいた。

続く~
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