空と海が出会う場所〜発達障害をもつ私が出会った、小さな恋と希望の物語
9.
広がる輪、変わる教室の景色
休み時間のチャイムがなって、教室がザワザワとにぎやかになった。斜め後ろで椅子をひいて席から立ち上がる音がする。月森くんが私の方へ歩いてきて、ポンと肩に手を乗せた。
「がんばれよ」
私は席に座ったまま、もの問いたげな顔をして月森くんの顔を見上げた。
「ん? 何?」
月森くんは、私の顔にぐっと顔を寄せて見つめ返してくる。
私は人と目を合わすのが苦手なので、慌てて視線をそらさないといけなかった。
「ええと……、最近よく声をかけてくれるから、なんでかなと思って……」
「ああ、そのことね」
月森くんは無理やり私の視界に入ろうとするみたいに、私の机に腰をかけた。
「おまえは、なんでだと思う?」
月森くんが私の顔をのぞきこむ。
「さあ……?」
私が視線をそらすと、そらした方向から月森くんが顔をのぞきこんできた。逆方向に顔をそらしても、またのぞきこむ。なかなかしつこくて、何度顔をそらせても同じことだった。
私は目がまいそうになった。
「もう! やめてよ!」
私が怒ると、月森くんはクツクツおかしそうに笑いだした。
「ごめん、ごめん、マジで怒るなよ」
と月森くんが謝ってきた。
「話を戻すけど、なんで俺が最近おまえに話しかけるようになったかって言うとさ……、
海音が転校してきた時、なんか壁を感じたんだ。
いつも面白くなさそうな顔をして一人でいてさ。
だけどさ、一度話しかけてみたら、思ってたより普通に話ができたからさ、
なんだ、もっと早く話しかけてみたら良かったなと思ってさ。
たぶん、壁を作ってたのはお互い様だったんだと思う」
月森くんがニッと笑う。
「やっぱり、人ってちゃんと会話してみないと分かんないよな」
その時、
「そうよね!」
と、大きな声を出して二人の間に突然乱入してきた女の子がいた。
表情がクルクルとよく動く、勝ち気そうな女の子だった。
女の子は、月森くんと私の間に腕を伸ばして、バンッと音をたてて机をたたくと、
「やっぱり、会話してみないとね!」
と言った。
「えっと……、誰?」
とまどっている私に、女の子は不満そうな顔をする。
「えー、まだ名前、覚えてくれてないの? 同じクラスの一条花蓮!」
一条さんは、私の手をとると、はずむような元気な口調でこう言った。
「私はねっ、本当のことを言うと、あなたに興味はあったの。
だけど、一人でムスッとしてることが多いから、話しかけにくくて。
話しかけるきっかけを探してたの。
やっと話しかけられて良かった!
これからは、私ともおしゃべりしてよねっ」
一条さんが私の手を両手で包んでにこっと笑った。
「おまえは割り込んでくんなよ」
と、悠人が一条さんを押しのけようとする。
「なんでよ、私も混ぜてよ!」
月森くんと一条さんが言い合いを始めると、同じクラスの生徒たちがザワザワと周りに集まり始めた。
「何? 何?」
「何の話で騒いでんの?」
急にあたりが騒がしくなった。
みんなが口々にしゃべり、笑い合う。
言葉と視線が入り乱れていた。
急にたくさんの人に囲まれて、うれしいというより目が回りそうだった。
その話の輪の外で、ポツンと窓際にたたずんでいる人がいた。
それは、立花さんだった。
今日、立花さんは日直だったので、黒板の文字を黒板消しできれいに消したあと、手についたチョークの粉を窓の外ではたいていた。
そのあと、立花さんはチラリと私たちの方に顔を向けてから、再び窓の外を眺め、そこにポツン立っていた。
うつむき加減の後ろ姿が、さみしそうに見えた。
「ごめん、ちょっと、私抜けるね」
私は話の輪から抜け出すと、立花さんに駆け寄った。
私はまだ、この前の班での話し合いの時のことを、謝れていなかった。
「立花さん」
声をかけると、立花さんが不安そうな顔をして振り返った。
「何?」
私は話しかけておきながら、タイミングが唐突すぎたことに気がついた。
「えっと……」
なんで切り出せばいいだろう。
両手を握りしめ、精一杯言葉をしぼり出した。
「変なタイミングだけど、この前はごめん……」
立花さんは、それを聞いて目を丸くしてパチパチと瞬きをした。
変な間ができた。
やっぱり唐突すぎたかもしれない。
私はそのあと何と言葉を続けたらいいのか分からなくて、二人してパチパチ瞬きしながら戸惑い顔で見つめあっていた。
その時、私の肩に悠人が後ろから腕をからめてきた。
「もー、おまえ、何、急に話から抜けてんだよ」
「そうよ、私たちと話してたんでしょっ!」
一条さんがぷりぷりしていた。
私たち三人を取りまいていた人たちもそばにやってきて、三人のやりとりを見ておかしそうに笑った。
立花さんも、クスリとつられるように笑った。
私が、ハッとして立花さんを見ると、立花さんは私に視線を合わせて微笑んだ。
かすみ草がほろほろっと咲きこぼれるみたいな笑みだった。
月森くんや、一条さんや、立花さんの、
声と笑みに包まれるようにして私は窓際に立っていた。
窓からは、
日差しがうらうらと照りこんでいる。
その時、ふっと目の前の景色が今までとは違って見えた。
よそよそしく感じていた教室の壁や机や伝言板の掲示物が、少し近しいものに感じられた。
その景色の中に、晴空がいた。
晴空は席についたまま、窓の外を眺めていた。
私が晴空を見つめていると、晴空も私の方に視線を向けた。
そして、良かったな、というふうに微笑んだ。
遠くから、そっと見守ってくれているような笑顔だった。
• • •
晴空の覚え書き。
1、苦手なものって、誰にでもあるだろうけど、晴空の苦手なものを探すのは難しい。
虫も、ヘビも、ホラー映画も、テストも運動もなんでもこいだ。
2、怖いものも見つからない。
機嫌が悪いときの先生も、大きな声でどなる大人も、いじめっ子も、どんなものを前にしても、穏やかな顔をしている。
3、 苦手な人もいないみたい。
自分の自慢話ばかりする人、すぐ怒る人、すぐにいじける人……、どんな人とも穏やかに話ができる。
4、 そんなわけで、晴空は同じクラスの誰とでも仲良くできる。
午後の授業中、少し退屈していたので、ノートの端に晴空のことについて書き出してみた。
晴空は不思議だ。
晴空はどんなものにもすんなりとなじめるし、どんな人ともたいていうまくやれる。
(月森くんはそんな晴空のことを、
「超人的にいいやつなのか、ずば抜けて計算高いのかどっちかだ」
と言っていた)
教室や校庭で友達に囲まれている晴空は、いつも穏やかな顔をしている。
そして、よく笑っている。
だけど……。
私は鉛筆を動かす手を止める。
晴空は、私の前では穏やかでない時もある。怒ることもある。
みんなの前にいる晴空は隙がない。完璧。
だけど、私といる時は、もう少し人間くさい。
私といると、晴空は気持ちが乱されるみたい。
今日の昼休みだって、教室で晴空とケンカをした。フラフと同じサイズの紙に下書きをしていた時のことだった。
派手に口論をして、クラス中の人をびっくりさせた。
最後は晴空が怒ったまま教室を飛び出していった。
教室に取り残されたあと、急に後悔の念が湧いてきて、机にふせてため息をついた。
すると、そんな私の背中をちょいちょいと指でつついてくる人がいた。
振り返ると、斜め後ろの席から月森くんがこちらを見ていた。
「派手なケンカしたな」
そう言ってからかうように笑う。
「おまえ、よくあれほど晴空を怒らせたな。
クラスのみんなの前で晴空があんな顔を見せるのって初めてじゃないかな」
月森くんは楽しんでいるような口調だった。
「人ごとだと思って……」
と私はつぶやく。
晴空に言わせてみれば、月森くんは「人をからかうのが趣味」で、「楽しいことにしか興味がないやつ」だそうだ。
おまけに、「みんなとワイワイ楽しくやりたい時にだけ話に加わってきて、都合が悪くなるといつの間にか姿を消しているようなやつ」だという。
「晴空とケンカするつもりじゃなかったのに……」
そうつぶやいた私は、転覆した船みたいな気持ちだった。
がっくりと肩を落とし、うつむいて自分の膝を見つめる。
「まあ、落ち込むなよ。だけど、晴空も人間だったんだな。怒んないやつなのかと思ってた」
「私にはわりと怒るよ」
「へえ」と月森くんが大げさに驚いた顔をした。
「そんなに驚くこと?」
「そりゃ、そうだよ。
俺、晴空のことは小一から知ってるけどさ、あいつが怒るのって本当に珍しいことだぞ。
相当しつこくからめば話は別だけどさ」
そう言ってから、月森くんは大きく胸をそらした。
「まあ、この学校で、晴空を怒らせられるのは俺ぐらいじゃない?
俺は人をからかうことにかけてはプロ級だから」
私はあきれた顔をする。
「いばるようなことじゃないよ」
月森くんがへへへと笑ってから、こう言った。
「ともかくさ、あいつは怒んないやつだってことだよ」
私はしばらく黙り込んだ。
確かにそうだ。
月森くんは例外として、確かに晴空はクラスのみんなに対して怒らない。
私と二人でいる時より、クラスのみんなといる時の方がずっと優しい。
それって、つまり……、と私は心の中でつぶやく。
「晴空は、クラスのみんなと比べたら、私のことがあんまり好きじゃないのかな」
鉄の塊を飲み込んでしまったみたいに、胸のあたりが重苦しかった。
私の暗い横顔を眺めていた月森くんが、ふっと笑って、
「バカだな」
と言った。
私は目を丸くして月森くんを見た。
「その逆だろ」
私がキョトンとしていると、月森くんは机の上に身を乗り出してきて、ニヤニヤしながら私の顔をじっと見つめてきた。
「そうか、おまえだったのか」
「私が、何?」
「ずっと探してたけど、見つからなかった晴空の弱点。おまえだったんだな」
首をかしげる私を、月森くんは楽しそうに見つめていた。
「まあ、あとで晴空と仲直りしてやれよ。その方が俺も楽しいから」
そう言って、月森くんは頭の後ろで手を組んで椅子の背もたれにもたれた。
ちょうどその時、チャイムが鳴った。晴空がもうすぐ教室に帰ってくる。
私は、一つ、深呼吸をした。
続く~