少し、黙ってていただけますか?
私の名前は宮田七瀬
子供の頃から悪者や弱者を見過ごすことが出来ない、正義感溢れる性格だった。
憧れの存在は、警察官だった父。
父は私が小学生の時に、殉職してしまった。死因は交通事故だった。
当時、父は交通整理を行っていた。そのとき、目の前の横断歩道を歩いていた初老の男性に信号無視をした車が突っ込んできたのだ。
父はその男性の元に駆けつけて突き飛ばした。初老の男性は転んだものの怪我は無かった。
そして身代わりとなって父は車に轢かれて死んでしまった――
父のお葬式には、大勢の警察官たちが弔問に訪れてくれた。
皆が父の勇気を称え、いかに父が立派な警察官だったかを知った。
私も、父のように皆から尊敬されるような立派な警察官になる。
子供心に自分自身に誓いを立てたのだった。
そして15年の歳月が流れた――
****
――19時
この日の私は、人生で一番幸せな日だった。
何故なら昇任試験に合格し、憧れの警部補になることが決定したからだ。然もおまけに今日は私の27歳の誕生日。
試験に合格した、この喜びを早速恋人の達也に報告しなければ。
雑踏の中を歩きながら、スマホをタップして電話を掛ける。
数回の呼び出し音が鳴った後‥…。
『……もしもし』
達也の声が聞こえてきた。
「もしもし、達也? 私よ」
『ああ、七瀬か…‥どうしたんだ?」
「聞いてよ、達也! 私ね、昇任試験に合格したのよ! 何と警部補よ! 私、警部補になれたんだから!」
『そうか、良かったな。おめでとう』
それは何とも素っ気ない返事だった。
「おめでとう……? ちょっと、おめでとうってそれだけなの? 他に言う事は無いわけ!?」
『う~ん……頑張ったな? ……で、いいか?』
「何よ、その言い方は……まぁいいわ。達也は仕事終わったの?」
『終わってる』
「そう、それじゃ今から会いましょう。2人でお祝いを兼ねて、食事に行きましょうよ」
すると次に、耳を疑うような言葉がスマホから聞こえてきた。
『…‥悪い、行かない』
「は? 今、何て言ったの? 行かないって聞こえたけど……?」
『ああ、確かに行かないと言ったよ』
何処か投げやりな言葉に苛立ちを感じる。
「行かないってどういう意味よ! 今日は私の昇任試験の合格祝いと……誕生日なのよ! 27歳の! この日は一緒に食事をしようって約束していたでしょう!?」
『そう言えば、そんな約束もしていたっけな……でも過去の話だ』
「ちょ、ちょっと……達也、さっきから何言ってるのよ?」
『ちょうどいい機会だ、今言うよ。七瀬、お前とはもう終わりだ。別れよう。俺……別に好きな女性が出来たんだよ』
それはあまりに突然の別れ話だった――
****
私は家に向かう川沿いの道を歩いていた。
「何よ……そりゃ、確かにこのところ昇任試験の勉強や残業ですれ違いは多かったけど……だからと言って、浮気は無いでしょう!? しかも同じ会社の女の子と半年前からなんて……」
達也とは大学時代からの付き合いだった。
お互い同じゼミ仲間でたまたま気が合い、何となく付き合うようになって8年目に突入する頃だったのに…‥。
「私達の8年は、交際期間半年の子に負けちゃうってわけ!? 最っ低!!」
達也の別れ際の言葉が頭の中でリフレインする。
『俺は、お前のような気の強い女はもう嫌なんだよ。しかも今度は何だ? 警部補だって? 増々逞しくなっていきやがって……もうお前には男なんか必要無いだろう?』
「男なんか、必要無いって……どういう意味よ!」
空に向かって叫んだ時。
「だ、誰か! 助けて!」
川の方向から人の叫び声が聞こえてきた。
慌てて振り向くと、女性が川に向かって叫んでいる。
「どうしたのですか!」
土手を駆け下り、私は女性の元へ駆け寄った。
「か、彼が…‥落としたハンカチを拾おうとして……!」
震えながら川を指さす女性の先には、溺れかかっている男性がいた。
「大変!」
泳ぎに自信があった私はショルダーバッグを外し、靴を脱ぐと川に飛び込んだ。
「落ち着いて! 私に掴まってください!」
「た、助けてくれ!! お、溺れる……!」
パニックになっている男性は私にしがみついてくる。
「だ、だから暴れないで……ガボッ!」
男性に頭を抑えつけられ、私の口の中に水が流れ込んでくる。
「ゴホッ! ゴホッ!」
一気に意識が遠のいていく。
苦しい……息が……。
こんなところで……私は死んでしまうのだろうか……?
自分の身体が水の中に沈んでいく感覚を最後に、私は意識を無くした――
****
ザッ
ザッ
すぐ傍で土を掘るような音が聞こえてくる……。
何だろう……? 自分の周りがとても冷たいもので覆われているみたいだ……。
その時。
ザッ!
大きな音と共に、口の中に土が入ってきた。
「ゴホッ! ちょ、ちょっと何なのよ!」
ガバッと起き上がり……。
「え?」
私は目を疑った。周囲が土の壁に覆われている。
何と私は穴の中に入れられていたのだった。
「ペッペッペッ! ちょっと! 何よこれ! 口の中に土が…‥信じられないっ!」
口の中に入った土を吐き出し、袖で口元を拭い……驚いた。
何と私が今着ているのは、ゴージャスドレスだったのだ。まるで黒いウェディングドレスのようにも見える。
「な、な、何の……? このドレスは……?」
すると、頭上で悲鳴が起こった。
「ギャアアアッ! い、生き返った!?」
「そ、そんな……死んだはずよ!!」
「助けてくれ! 神よ!!」
「迷わず天に召されて下さい!!」
黒いスーツやドレス姿の何ともクラシカルな出で立ちの人々が私を見て震えている。彼らはまるで西洋人のように堀の深い整った顔立ちをしていた。
だが、迷わず天に召されて下さいと言う言葉は聞き捨てならない。
「はぁ!? さっきから一体何を言ってるのよ!!」
立ち上がって文句を言うと腰を抜かす人々が続出する。
「ぎゃああ!! 立った! 立ったぞ!」
「死人が生き返るなんて……この世の終わりだ!」
「はぁ!? 死人って……!」
死人という言葉に食ってかかろうとしたとき。
「メリッサ! ま、まさか……お前、死んだふりをしていたのか!?」
1人の青年が私を指さした。
「メリッサ?」
その名前を口にした途端、私の頭に怒涛の如く何者かの記憶が蘇ってくる。
私の名前はメリッサ・アーモンド、24歳。
夫はジルベール・アーモンド。26歳で私よりも2つ年上。
私は資産家の娘であり、ジルベールは男爵だが名ばかりの貧しい貴族。
メリッサの父は貴族に憧れ、爵位を手に入れる為に娘をジルベールに嫁がせた。
一方のジルベールは没落したアーモンド家を立て直すために、愛してもいないメリッサに求婚して2人はめでたく結婚。
何しろメリッサは美しい青年ジルベールに恋していたので、この結婚を喜んだ。
しかし、ジルベールにはアロアという恋人がいた。彼女もまた平民だったが、私よりずっと貧しい身分で結婚出来る様な立場にはない。
つまり、メリッサは愛する恋人たちを引き裂くような形でジルベールと結婚したのだ。
そうなると、当然2人の結婚はうまくいくはずはない。
ジルベールは結婚初夜からメリッサの元へ来ることはなく、同じ屋敷に住まわせた(なぜ、そんなことが許されるのか考えられない)アロアの部屋を訪ね……濃厚な夜を過ごしたのだ。
新婚初夜に不貞を働く夫に激怒したメリッサは、怒りの矛先をアロアに向けた。
メリッサはこの事実を両親に訴え、嫌がらせの為にジルベールに資金を援助するのをやめるように父親に訴えた。
可愛い娘の訴えを聞いた父親はジルベールの個人資産を凍結し、一切の資金援助を断ち切った。
代わりにジルベールに渡す予定の資金を全額メリッサに渡すことにしたのだ。
一方、面白くないのはジルベールの方だった。
巨万の富を手にするメリッサの父親のお金目当てで結婚したのに、肝心の資金援助を受けられなくなったからだ。
そこで、ジルベールはメリッサにお金を渡すように命じるも、彼女はこれを拒否。
メリッサの態度に頭に来たジルベールは恋人と共謀して、彼女を殺すことにした……。
という、記憶が一斉に頭の中に流れ込んできたからだ。
「ううっ……」
あまりにも一気に情報が頭の中に流れ込んできたので、私は頭を抑えた。
すると人々が騒ぎ立てる。
「死人が苦しがっているぞ!」
「いや、待て。本当に死人なのか?」
「実は死んだふりをしていただけだったりして……」
「メリッサ! お前、まさか魔女だったのか!?」
ジルベールが再び私を指さしてきた。
「はぁ!? 誰が魔女よ! 私が魔女ならあんたは悪魔よ! そこの女もね!」
私はジルベールから少し離れた場所に立っていたアロアを指さす。
恐らく2人は自分たちの関係を世間に知られたくない為に距離を置いて立っていたのだろう。
「な、なぜ俺が悪魔だって言うんだよ! それよりお前の方が余程悪人だ、この悪女め!」
「うるさいわね!! 考えがまとまらないじゃない!! 少し黙っていなさいよ!」
葬儀で集まっていた人々は、口を閉ざして私とジルベールの会話を聞いていた。
私とジルベールは少しの間、穴の中と外で睨みあっていたが……いつまでも土の中にいるわけにはいかない。
「ちょっと! 誰か私をここから引っ張り上げてちょうだい!」
周囲でガタガタ震えている参列者らしい人達を見渡すも、誰一人私に手を貸そうとする者はいない。
「聞こえないの!? ロープでも何でもいいから持ってきて、上から垂らして引っ張り上げてと言ってるのよ! もし言うことを聞かなければ……」
こんなことを口にしたくはないが、やむをえまい。
「呪うわよ?」
私は髪をかきあげると、ニヤリと笑った。
「ひいいいっ!! わ、分かった! 分かりました!」
「ロープ! ロープはどこだ!!」
「早くしろ! の、呪い殺されるぞ!!」
恐らく土にまみれた私の身体はさぞ不気味だったに違いない。頭上では人々の慌てふためく悲鳴が響き渡っている。
やがて、私の目の前にブランとロープが垂れてきた。
「?」
見上げると、数人の男性がロープをしっかり握りしめている姿がある。
「ど、どうぞ……ロープをお持ちしました……」
先頭の男性が震えながら声をかけてくる。
「ええ、ありがとう」
私はしっかりとロープを握りしめた。ふむ、なかなか立派なロープだ。一体、どこから見つけ出してきたのだろう?
「つかまったわ! 早く引っ張り上げてちょうだい!」
ロープを握りしめた男性達に声をかける。
「わ、分かりました! 皆、引っ張るぞ!」
その男性の掛け声にと共に、私の掴んだロープがズルズルと引き上げられていく。
「その調子よ! もっと引っ張って!」
私が声をかけると、さらにロープは上に引っ張られ……ようやく私は穴の中から出ることが出来た。
「ありがとう。みんな、よくやったわ」
私は地面に大の字で寝っ転がっている男性達に声をかけた。
「は、はい……」
「の、呪わないで下さいよ……」
「疲れた……」
「ええ。呪わないから安心してちょうだい」
彼らににっこり笑みを浮かべて答えると、次に怯えた様子でこちらを見ているジルベールとアロアに視線を移す。
「ジルベール」
「な、何だ! この魔女! 死んだふりして俺たちを騙しやがって! 悪女め!」
ジルベールはアロアを守るように抱きしめると喚いた。
「怖いわ……ジルベール」
アロアは震えながらジルベールに抱きついている。
「黙りなさい、ジルベール! あなた……私を殺したわね!? あなたが私にプレゼントしたワインを飲んだから私は死んだのよ!」
そう、私にはメリッサが死ぬ直前までの記憶がはっきり残っている。
「な、何を言っている! 証拠……そうだ、証拠を出せ!」
「ここにいる私が証拠よ! あのワインを飲んだ後、私がどれ程苦しんで血を吐いて死んでいったかあなたに分かるの!?」
「お、お前が悪いんだろう!? 俺には恋人がいるのを承知のうえで結婚したくせに! お前の家の金が目的だったのに、一切の資金を断ちやがって! 殺されたって文句は言えないだろう!?」
愚かなジルベールは殺意がありありだった事実を口にし、集まった参列者達は騒めく。
「ほら、やっぱり私を殺すつもりだったのね……。こんなに急いで葬式をあげたのも、私を殺害した事実を隠すためだったのね?」
「な、なぜ急いで葬式を上げたかって分かるんだよ! お前、やっぱり魔女だったんだな!? 眠ったふりをしていたんだろう!」
狼狽えながらも、ジルベールは言い返してくる。
「眠ったふりなんかしてないわよ! 本当に私は一度死んだのよ! だけど、日頃の行いが良いからなのか、神様が生き返らせてくれたようね?」
私は腕組みすると、首をコキコキ鳴らした。
この身体は間違いなく一度は心臓が止まっている。なのに、どういう仕組みかは知らないが、死後硬直すら起こっていない。
「何故、急いで葬式をあげたことが分かるのかって聞いて来たけど、そんなのは当然よ。何しろ私の葬式だって言うのに家族も来ていないし、神父もいない。それどころか棺桶に入れることも無く、私を直に埋めようとしたでしょう?」
「くっ……」
図星だったのか、ジルベールが身体を震わせる。
「恐らく、この身体にはまだ毒物が残っているはずよ。これから警察に行って、調べてもらうわ。ワインの入手ルートだって調べれば、あんたが浮上してくるはずよ」
ついでに軽く脅しをかけておいた。警察官は口もうまくなくてはいけない。
私は彼らに背を向けて歩き出すと、突然ジルベールが叫んだ。
「おい待て!! 本当に警察に行くつもりか!?」
「行くに決まっているでしょう? 妻を毒殺し、あげくに私の銀行口座に勝手に手を付けたことだって分かっているのよ? 懲役刑は免れないわね」
メリッサの記憶が全て残っている私には何でもお見通しだ。
「こ、この悪女め……」
ジルベールは怒りで肩を震わせると、足元に落ちていた棒を拾い上げて襲い掛かって来た。
「だったらもう一度死ねっ!」
馬鹿な男だ。私を誰だと思っているのだろう。
私も足元に落ちていた棒を拾い上げる。
私はメリッサでもあり、警察官だった宮田七瀬なのだ。
「アハハハハッ! 抵抗しようってのか!」
ジルベールは私に向かって棒を振り下ろした。
ガッ!!
軽々と私は持っていた棒で受け止める。
「な、何!?」
驚愕の表情を浮かべるジルベール。
「本当に、愚かな男ね」
ポツリと呟き、この際死なない程度に叩きのめしてやることに決めた。
この最低男は、何よりも私を捨てた元恋人に外見が似ていて気に入らなかったからだ。
「ギャ~ッ!! い、痛い! た、助けてくれ! や、やめろ~っ!!」
墓場にジルベールの悲鳴が響き渡る。
私は憂さ晴らしにボコボコにジルベールを叩きのめすと、手にしていた棒を放り投げた。
「ふ~すっきりした!」
私の勇ましい姿を震えながら見ている人々。
「まだ、死んでいないから手当てでもしてあげたら?」
怯えているアロアに声をかけた。
「ジ、ジルベールッ!」
慌てた様子でジルベールに駆け寄るアロアを見ると、私は参列客達に向き直った。
「皆様、お騒がせいたしました。次はジルベールの裁判でお会いしましょう!」
にっこり笑って手を振ると、私は背を向けて歩き出した。
これから新しい人生を生きていく最初の一歩を――
子供の頃から悪者や弱者を見過ごすことが出来ない、正義感溢れる性格だった。
憧れの存在は、警察官だった父。
父は私が小学生の時に、殉職してしまった。死因は交通事故だった。
当時、父は交通整理を行っていた。そのとき、目の前の横断歩道を歩いていた初老の男性に信号無視をした車が突っ込んできたのだ。
父はその男性の元に駆けつけて突き飛ばした。初老の男性は転んだものの怪我は無かった。
そして身代わりとなって父は車に轢かれて死んでしまった――
父のお葬式には、大勢の警察官たちが弔問に訪れてくれた。
皆が父の勇気を称え、いかに父が立派な警察官だったかを知った。
私も、父のように皆から尊敬されるような立派な警察官になる。
子供心に自分自身に誓いを立てたのだった。
そして15年の歳月が流れた――
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――19時
この日の私は、人生で一番幸せな日だった。
何故なら昇任試験に合格し、憧れの警部補になることが決定したからだ。然もおまけに今日は私の27歳の誕生日。
試験に合格した、この喜びを早速恋人の達也に報告しなければ。
雑踏の中を歩きながら、スマホをタップして電話を掛ける。
数回の呼び出し音が鳴った後‥…。
『……もしもし』
達也の声が聞こえてきた。
「もしもし、達也? 私よ」
『ああ、七瀬か…‥どうしたんだ?」
「聞いてよ、達也! 私ね、昇任試験に合格したのよ! 何と警部補よ! 私、警部補になれたんだから!」
『そうか、良かったな。おめでとう』
それは何とも素っ気ない返事だった。
「おめでとう……? ちょっと、おめでとうってそれだけなの? 他に言う事は無いわけ!?」
『う~ん……頑張ったな? ……で、いいか?』
「何よ、その言い方は……まぁいいわ。達也は仕事終わったの?」
『終わってる』
「そう、それじゃ今から会いましょう。2人でお祝いを兼ねて、食事に行きましょうよ」
すると次に、耳を疑うような言葉がスマホから聞こえてきた。
『…‥悪い、行かない』
「は? 今、何て言ったの? 行かないって聞こえたけど……?」
『ああ、確かに行かないと言ったよ』
何処か投げやりな言葉に苛立ちを感じる。
「行かないってどういう意味よ! 今日は私の昇任試験の合格祝いと……誕生日なのよ! 27歳の! この日は一緒に食事をしようって約束していたでしょう!?」
『そう言えば、そんな約束もしていたっけな……でも過去の話だ』
「ちょ、ちょっと……達也、さっきから何言ってるのよ?」
『ちょうどいい機会だ、今言うよ。七瀬、お前とはもう終わりだ。別れよう。俺……別に好きな女性が出来たんだよ』
それはあまりに突然の別れ話だった――
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私は家に向かう川沿いの道を歩いていた。
「何よ……そりゃ、確かにこのところ昇任試験の勉強や残業ですれ違いは多かったけど……だからと言って、浮気は無いでしょう!? しかも同じ会社の女の子と半年前からなんて……」
達也とは大学時代からの付き合いだった。
お互い同じゼミ仲間でたまたま気が合い、何となく付き合うようになって8年目に突入する頃だったのに…‥。
「私達の8年は、交際期間半年の子に負けちゃうってわけ!? 最っ低!!」
達也の別れ際の言葉が頭の中でリフレインする。
『俺は、お前のような気の強い女はもう嫌なんだよ。しかも今度は何だ? 警部補だって? 増々逞しくなっていきやがって……もうお前には男なんか必要無いだろう?』
「男なんか、必要無いって……どういう意味よ!」
空に向かって叫んだ時。
「だ、誰か! 助けて!」
川の方向から人の叫び声が聞こえてきた。
慌てて振り向くと、女性が川に向かって叫んでいる。
「どうしたのですか!」
土手を駆け下り、私は女性の元へ駆け寄った。
「か、彼が…‥落としたハンカチを拾おうとして……!」
震えながら川を指さす女性の先には、溺れかかっている男性がいた。
「大変!」
泳ぎに自信があった私はショルダーバッグを外し、靴を脱ぐと川に飛び込んだ。
「落ち着いて! 私に掴まってください!」
「た、助けてくれ!! お、溺れる……!」
パニックになっている男性は私にしがみついてくる。
「だ、だから暴れないで……ガボッ!」
男性に頭を抑えつけられ、私の口の中に水が流れ込んでくる。
「ゴホッ! ゴホッ!」
一気に意識が遠のいていく。
苦しい……息が……。
こんなところで……私は死んでしまうのだろうか……?
自分の身体が水の中に沈んでいく感覚を最後に、私は意識を無くした――
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ザッ
ザッ
すぐ傍で土を掘るような音が聞こえてくる……。
何だろう……? 自分の周りがとても冷たいもので覆われているみたいだ……。
その時。
ザッ!
大きな音と共に、口の中に土が入ってきた。
「ゴホッ! ちょ、ちょっと何なのよ!」
ガバッと起き上がり……。
「え?」
私は目を疑った。周囲が土の壁に覆われている。
何と私は穴の中に入れられていたのだった。
「ペッペッペッ! ちょっと! 何よこれ! 口の中に土が…‥信じられないっ!」
口の中に入った土を吐き出し、袖で口元を拭い……驚いた。
何と私が今着ているのは、ゴージャスドレスだったのだ。まるで黒いウェディングドレスのようにも見える。
「な、な、何の……? このドレスは……?」
すると、頭上で悲鳴が起こった。
「ギャアアアッ! い、生き返った!?」
「そ、そんな……死んだはずよ!!」
「助けてくれ! 神よ!!」
「迷わず天に召されて下さい!!」
黒いスーツやドレス姿の何ともクラシカルな出で立ちの人々が私を見て震えている。彼らはまるで西洋人のように堀の深い整った顔立ちをしていた。
だが、迷わず天に召されて下さいと言う言葉は聞き捨てならない。
「はぁ!? さっきから一体何を言ってるのよ!!」
立ち上がって文句を言うと腰を抜かす人々が続出する。
「ぎゃああ!! 立った! 立ったぞ!」
「死人が生き返るなんて……この世の終わりだ!」
「はぁ!? 死人って……!」
死人という言葉に食ってかかろうとしたとき。
「メリッサ! ま、まさか……お前、死んだふりをしていたのか!?」
1人の青年が私を指さした。
「メリッサ?」
その名前を口にした途端、私の頭に怒涛の如く何者かの記憶が蘇ってくる。
私の名前はメリッサ・アーモンド、24歳。
夫はジルベール・アーモンド。26歳で私よりも2つ年上。
私は資産家の娘であり、ジルベールは男爵だが名ばかりの貧しい貴族。
メリッサの父は貴族に憧れ、爵位を手に入れる為に娘をジルベールに嫁がせた。
一方のジルベールは没落したアーモンド家を立て直すために、愛してもいないメリッサに求婚して2人はめでたく結婚。
何しろメリッサは美しい青年ジルベールに恋していたので、この結婚を喜んだ。
しかし、ジルベールにはアロアという恋人がいた。彼女もまた平民だったが、私よりずっと貧しい身分で結婚出来る様な立場にはない。
つまり、メリッサは愛する恋人たちを引き裂くような形でジルベールと結婚したのだ。
そうなると、当然2人の結婚はうまくいくはずはない。
ジルベールは結婚初夜からメリッサの元へ来ることはなく、同じ屋敷に住まわせた(なぜ、そんなことが許されるのか考えられない)アロアの部屋を訪ね……濃厚な夜を過ごしたのだ。
新婚初夜に不貞を働く夫に激怒したメリッサは、怒りの矛先をアロアに向けた。
メリッサはこの事実を両親に訴え、嫌がらせの為にジルベールに資金を援助するのをやめるように父親に訴えた。
可愛い娘の訴えを聞いた父親はジルベールの個人資産を凍結し、一切の資金援助を断ち切った。
代わりにジルベールに渡す予定の資金を全額メリッサに渡すことにしたのだ。
一方、面白くないのはジルベールの方だった。
巨万の富を手にするメリッサの父親のお金目当てで結婚したのに、肝心の資金援助を受けられなくなったからだ。
そこで、ジルベールはメリッサにお金を渡すように命じるも、彼女はこれを拒否。
メリッサの態度に頭に来たジルベールは恋人と共謀して、彼女を殺すことにした……。
という、記憶が一斉に頭の中に流れ込んできたからだ。
「ううっ……」
あまりにも一気に情報が頭の中に流れ込んできたので、私は頭を抑えた。
すると人々が騒ぎ立てる。
「死人が苦しがっているぞ!」
「いや、待て。本当に死人なのか?」
「実は死んだふりをしていただけだったりして……」
「メリッサ! お前、まさか魔女だったのか!?」
ジルベールが再び私を指さしてきた。
「はぁ!? 誰が魔女よ! 私が魔女ならあんたは悪魔よ! そこの女もね!」
私はジルベールから少し離れた場所に立っていたアロアを指さす。
恐らく2人は自分たちの関係を世間に知られたくない為に距離を置いて立っていたのだろう。
「な、なぜ俺が悪魔だって言うんだよ! それよりお前の方が余程悪人だ、この悪女め!」
「うるさいわね!! 考えがまとまらないじゃない!! 少し黙っていなさいよ!」
葬儀で集まっていた人々は、口を閉ざして私とジルベールの会話を聞いていた。
私とジルベールは少しの間、穴の中と外で睨みあっていたが……いつまでも土の中にいるわけにはいかない。
「ちょっと! 誰か私をここから引っ張り上げてちょうだい!」
周囲でガタガタ震えている参列者らしい人達を見渡すも、誰一人私に手を貸そうとする者はいない。
「聞こえないの!? ロープでも何でもいいから持ってきて、上から垂らして引っ張り上げてと言ってるのよ! もし言うことを聞かなければ……」
こんなことを口にしたくはないが、やむをえまい。
「呪うわよ?」
私は髪をかきあげると、ニヤリと笑った。
「ひいいいっ!! わ、分かった! 分かりました!」
「ロープ! ロープはどこだ!!」
「早くしろ! の、呪い殺されるぞ!!」
恐らく土にまみれた私の身体はさぞ不気味だったに違いない。頭上では人々の慌てふためく悲鳴が響き渡っている。
やがて、私の目の前にブランとロープが垂れてきた。
「?」
見上げると、数人の男性がロープをしっかり握りしめている姿がある。
「ど、どうぞ……ロープをお持ちしました……」
先頭の男性が震えながら声をかけてくる。
「ええ、ありがとう」
私はしっかりとロープを握りしめた。ふむ、なかなか立派なロープだ。一体、どこから見つけ出してきたのだろう?
「つかまったわ! 早く引っ張り上げてちょうだい!」
ロープを握りしめた男性達に声をかける。
「わ、分かりました! 皆、引っ張るぞ!」
その男性の掛け声にと共に、私の掴んだロープがズルズルと引き上げられていく。
「その調子よ! もっと引っ張って!」
私が声をかけると、さらにロープは上に引っ張られ……ようやく私は穴の中から出ることが出来た。
「ありがとう。みんな、よくやったわ」
私は地面に大の字で寝っ転がっている男性達に声をかけた。
「は、はい……」
「の、呪わないで下さいよ……」
「疲れた……」
「ええ。呪わないから安心してちょうだい」
彼らににっこり笑みを浮かべて答えると、次に怯えた様子でこちらを見ているジルベールとアロアに視線を移す。
「ジルベール」
「な、何だ! この魔女! 死んだふりして俺たちを騙しやがって! 悪女め!」
ジルベールはアロアを守るように抱きしめると喚いた。
「怖いわ……ジルベール」
アロアは震えながらジルベールに抱きついている。
「黙りなさい、ジルベール! あなた……私を殺したわね!? あなたが私にプレゼントしたワインを飲んだから私は死んだのよ!」
そう、私にはメリッサが死ぬ直前までの記憶がはっきり残っている。
「な、何を言っている! 証拠……そうだ、証拠を出せ!」
「ここにいる私が証拠よ! あのワインを飲んだ後、私がどれ程苦しんで血を吐いて死んでいったかあなたに分かるの!?」
「お、お前が悪いんだろう!? 俺には恋人がいるのを承知のうえで結婚したくせに! お前の家の金が目的だったのに、一切の資金を断ちやがって! 殺されたって文句は言えないだろう!?」
愚かなジルベールは殺意がありありだった事実を口にし、集まった参列者達は騒めく。
「ほら、やっぱり私を殺すつもりだったのね……。こんなに急いで葬式をあげたのも、私を殺害した事実を隠すためだったのね?」
「な、なぜ急いで葬式を上げたかって分かるんだよ! お前、やっぱり魔女だったんだな!? 眠ったふりをしていたんだろう!」
狼狽えながらも、ジルベールは言い返してくる。
「眠ったふりなんかしてないわよ! 本当に私は一度死んだのよ! だけど、日頃の行いが良いからなのか、神様が生き返らせてくれたようね?」
私は腕組みすると、首をコキコキ鳴らした。
この身体は間違いなく一度は心臓が止まっている。なのに、どういう仕組みかは知らないが、死後硬直すら起こっていない。
「何故、急いで葬式をあげたことが分かるのかって聞いて来たけど、そんなのは当然よ。何しろ私の葬式だって言うのに家族も来ていないし、神父もいない。それどころか棺桶に入れることも無く、私を直に埋めようとしたでしょう?」
「くっ……」
図星だったのか、ジルベールが身体を震わせる。
「恐らく、この身体にはまだ毒物が残っているはずよ。これから警察に行って、調べてもらうわ。ワインの入手ルートだって調べれば、あんたが浮上してくるはずよ」
ついでに軽く脅しをかけておいた。警察官は口もうまくなくてはいけない。
私は彼らに背を向けて歩き出すと、突然ジルベールが叫んだ。
「おい待て!! 本当に警察に行くつもりか!?」
「行くに決まっているでしょう? 妻を毒殺し、あげくに私の銀行口座に勝手に手を付けたことだって分かっているのよ? 懲役刑は免れないわね」
メリッサの記憶が全て残っている私には何でもお見通しだ。
「こ、この悪女め……」
ジルベールは怒りで肩を震わせると、足元に落ちていた棒を拾い上げて襲い掛かって来た。
「だったらもう一度死ねっ!」
馬鹿な男だ。私を誰だと思っているのだろう。
私も足元に落ちていた棒を拾い上げる。
私はメリッサでもあり、警察官だった宮田七瀬なのだ。
「アハハハハッ! 抵抗しようってのか!」
ジルベールは私に向かって棒を振り下ろした。
ガッ!!
軽々と私は持っていた棒で受け止める。
「な、何!?」
驚愕の表情を浮かべるジルベール。
「本当に、愚かな男ね」
ポツリと呟き、この際死なない程度に叩きのめしてやることに決めた。
この最低男は、何よりも私を捨てた元恋人に外見が似ていて気に入らなかったからだ。
「ギャ~ッ!! い、痛い! た、助けてくれ! や、やめろ~っ!!」
墓場にジルベールの悲鳴が響き渡る。
私は憂さ晴らしにボコボコにジルベールを叩きのめすと、手にしていた棒を放り投げた。
「ふ~すっきりした!」
私の勇ましい姿を震えながら見ている人々。
「まだ、死んでいないから手当てでもしてあげたら?」
怯えているアロアに声をかけた。
「ジ、ジルベールッ!」
慌てた様子でジルベールに駆け寄るアロアを見ると、私は参列客達に向き直った。
「皆様、お騒がせいたしました。次はジルベールの裁判でお会いしましょう!」
にっこり笑って手を振ると、私は背を向けて歩き出した。
これから新しい人生を生きていく最初の一歩を――